南へ吹く風
港町の朝は、湿っている。
潮と魚と、
昨夜の酒の匂いが混ざった空気。
スイは、
昨日より少し色が濃い。
港の水が合うらしい。
酒場に入ると、
店主が桶を運んでいた。
「早いな」
「習慣です」
嘘ではない。
昨夜はそれなりに飲んだが、
頭は静かだ。
「南の話、広がってるぞ」
店主が言う。
「昨日より?」
「昨日より」
それだけで、十分だ。
昼前、
港に一隻の船が入った。
傷の多い船だった。
帆の端が焦げている。
人が降りてくる。
鎧を着た男が、
酒場に転がり込んできた。
「酒をくれ」
声が掠れている。
店主が黙って出す。
一気に飲み干す。
「南は、荒れてる」
それだけ言って、
椅子に沈んだ。
誰も詳しく聞かない。
港町では、
荒れている場所の話は珍しくない。
だが、
その男の鎧には、
焼けた跡が残っていた。
「勇者は?」
誰かが聞いた。
男は首を振る。
「見てない」
それだけだ。
スイが、
足元で小さく揺れる。
泡ではなく、
床に落ちた灰に反応している。
「……南か」
自分でも、
何度目か分からない。
噂は、噂だ。
だが、
焦げた匂いは、本物だ。
店主がこちらを見る。
「行く気か?」
昨日と同じ問いだ。
「冷たい酒は、南にもありますか」
店主は笑う。
「たぶんな」
それで十分だった。
荷物は、重くない。
理由も、
重くなくていい。
外に出ると、
南へ向かう道は、
潮風に押されるように伸びていた。
「行ってみるか」
独り言だった。
スイは、
迷わずついてくる。




