ルシアンと神楽坂蓮
俺は、神楽坂蓮。
声優として、それなりに名が知られるようになった。
最初は端役ばかりだったけど、気づけば主演も増えて、イベントに呼ばれることも多くなった。
ファンレターも届く。SNSでは「蓮くんの声で泣いた」とか「低音で殺される」とか、ありがたい言葉が並ぶ。
でも、正直なところ、俺はずっと迷っていた。
──俺の声は、誰かの“理想”を演じるためのものだ。
それは、俺自身じゃない。
演じるたびに、俺は“誰か”になっていく。
冷静な王子、狂気の科学者、優しい兄。
どれも俺の声で、俺の感情で、でも“俺”じゃない。
そんなある日、マネージャーが言った。
「次の仕事、乙女ゲームのメイン攻略キャラ。タイトルは『薔薇と罪の舞踏会』。氷属性の公爵役だ」
氷属性。孤高。冷徹。
──俺の得意分野だ。
台本を読んだ瞬間、息が止まった。
ルシアン・ヴァルモン。
完璧すぎる設定。
冷たいけれど、心を許した相手には激重愛を注ぐ。
しかも、婚約者との確執、魔法暴走、舞踏会での選択……。
「……この役、俺に来たのか」
収録が始まると、俺はルシアンになった。
台詞を読むたびに、彼の孤独が胸に刺さった。
誰にも心を開けない。
でも、誰かに選ばれたい。
その願いを、俺は知っていた。
「君が誰を選んでも、僕は君を忘れない。……でも、願わくば、僕を選んでほしい」
その台詞を録った日、俺はスタジオの帰り道で空を見上げた。
春の風が吹いていた。
どこか、懐かしい気がした。
(もし、あの世界に生まれていたら。
俺は、ルシアンとして生きられただろうか)
その瞬間、視界が白く染まった。
目が覚めた瞬間、まず思ったのは──「収録、終わったはずだよな?」だった。
天井が高い。
空気が冷たい。
ベッドが広すぎる。
そして、身体が……重い。いや、違う。長い。腕も、脚も。
「……ここは……?」
声が出た。
低く、澄んでいて、どこか他人のような響き。
でも、聞き覚えがある。
何度もマイクの前で出した声だ。
ルシアン・ヴァルモン。
俺が演じた、あのキャラクターの声。
鏡を見た。
銀髪、紫がかったグレーの瞳。
完璧すぎる顔立ち。
そこに映っていたのは、俺が“演じていた”男だった。
「……マジかよ」
夢じゃない。
これは、現実だ。
俺は、ルシアンになっていた。
最初は混乱した。
でも、すぐに気づいた。
この身体には、ルシアンの記憶がある。
幼少期の訓練、貴族としての礼儀、魔法の制御。
全部、俺の中にある。
けれど、それと同時に、神楽坂蓮としての記憶も、確かに残っていた。
声優としての仕事。
台本。
収録スタジオの匂い。
そして、あのゲームの世界観。
「……二重の記憶、か」
不思議と、怖くはなかった。
むしろ、しっくりきた。
俺は、ずっと彼の中にいたのかもしれない。
声だけじゃなく、感情も、孤独も、全部。
ルシアンは、孤独な男だった。
氷の魔力を持ち、誰にも心を許さず、ただ静かに“選ばれる”のを待っていた。
俺は、彼を演じていた。
でも今は、彼として生きている。
「……なら、俺はルシアンとして生きる。
この世界で、誰かに選ばれるために」
けれど、俺はもう“台本”に従うつもりはない。
この世界がゲームだとしても、俺は“演じる”だけの存在じゃない。
俺は、神楽坂蓮だ。
そして今は、ルシアン・ヴァルモンとして、
この世界で“自分の物語”を始める。
――そして、時は舞踏練習の時に遡る。
俺は、神楽坂蓮だった。
声優として、数えきれないほどのキャラクターを演じてきた。
その中でも、ルシアン・ヴァルモンは特別だった。
冷徹で孤高、でも心を許した相手には激重愛を注ぐ男。
俺は彼の孤独に、どこか自分を重ねていた。
そして今、俺はその“彼”になっていた。
この世界で、ルシアンとして生きている。
演じるのではなく、呼吸し、魔力を感じ、選ばれるのを待っている。
――そんな俺の前に、彼女は現れた。
「公爵様。もしよろしければ、私と踊っていただけますか?」
講堂がざわめいた。
当然だ。ルシアン・ヴァルモンは、誰の誘いも断ることで有名だった。
それは“設定”でもあり、“俺の選択”でもあった。
けれど、彼女の声を聞いた瞬間、俺は断れなかった。
「……君が、そう言うとは思わなかった」
気づけば、手を差し出していた。
魔法礼儀演習。
春の光が差し込む講堂で、俺たちは向かい合っていた。
ルシアン・ヴァルモンとしての俺。
そして、ヴァイオレット・ド・ローゼンとしての彼女。
手を取る。
魔力が交差する。
舞踏の所作に従い、足を運ぶ。
それだけのはずだった。
けれど、彼女の手は少しだけ震えていた。
その震えは、演技では隠しきれない“本音”のように感じられた。
(君は、誰かを演じている。
でも、その演技は……俺の知っている“演技”とは違う)
俺はプロの声優だった。
感情を乗せる技術には自信がある。
だからこそ分かる。
彼女の所作には、技術ではなく“意志”がある。
――この舞踏を、失敗したくない。
――この瞬間を、壊したくない。
その想いが、指先から伝わってくる。
俺は、彼女を知らない。
面識もない。
ただ、彼女の声に、どこか聞き覚えがあった。
それは、ファンレターの一節か。
イベントで交わした言葉か。
それとも──ただの錯覚か。
でも、確かに感じた。
彼女は、台本の中のヴァイオレットじゃない。
俺が知っていた“キャラクター”ではない。
(君は、俺を“攻略”しようとしているのか?
それとも、“俺自身”を見ているのか?)
舞踏のステップが進む。
彼女の瞳が、ふと俺を見上げる。
その目に、演技ではない“問い”が宿っていた。
(君は、誰だ?)
俺たちは、まだ互いを知らない。
でも、確かに“知ろうとしている”。
その距離は、まだ遠い。
氷と薔薇。
冷たさと棘。
けれど、その間に、春の光が差し込んでいた。
――これは、台本の外にある物語だ。
君と俺が、演じるのではなく、生きる物語だ。




