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ヴァイオレットとしおり

「お嬢様!ローゼン家として、そのお振る舞いはいかがかと」

昔、家庭教師に叱られた言葉が胸に去来する。

それは私が十歳の頃、メイドたちと鬼ごっこをしていた時の記憶だった。


――公爵令嬢として、奔放でいることは許されない。


「ヴァイオレット。お前の婚約者ルシアンが、我が国最年少で公爵位を賜った。

お前は嫁ぎ先に恥じぬ女性にならねばならぬ。付き合う相手もよくよく考えて交流しなさい」


まだ会ったこともない婚約者の存在を告げられたあの日。

愛してくれるかも分からない不安な約束。

それは幼い私の心に重くのしかかった。


初めて会ったルシアン様は、氷の公爵に相応しい冷たい眼差しで私を見据えた。

よそよそしい態度、名目だけの面会が月に一度か二度。

「この人は私に好意を持つことがあるのだろうか?」

そんな疑問がいつも胸に浮かんだ。


だが、貴族社会では家格で結婚が決まる。

そこに愛は必要なのか?

小さい頃は奔放でいられた。社交界デビューを果たす十二歳までは。

だが、許嫁として公にされた瞬間から、冷たい眼差しが私を縛りつけた。


この先に幸せはあるのだろうか。

いや、幸せの代わりに贅と特別階級位を得ている。

おとぎ話のような結末は訪れない。

歳を重ねるごとに、人生は辛く暗いものになっていった。


――だからこそ。


私はそんなヴァイオレットを変えるために転生したのかもしれない。

彼女の孤独とプレッシャーを理解し、仮面の裏に隠された本当の心を救うために。


しおりとしての私と、ヴァイオレットとしての彼女。

二つの存在が胸の奥で重なり合い、葛藤と悩みを織り成していた。


「この世界で、彼女を変えられるのなら……それが私の役目なのだ」

私は心の中で強く宣言した。

――私は『氷の微笑』のヴァイオレット・ド・ローゼンから変わって見せる。


冷たい仮面に守られてきた過去を脱ぎ捨て、今度は誰かを守るために歩むのだ。

その決意を胸に、私は足を速めた。

向かう先は、アメリアがいる医務室。

彼女を傷つけた出来事を、ただ見過ごすわけにはいかない。


廊下を進む私の背中に、静かな視線が注がれていることに気づいた。

振り返らなくても分かる。――ルシアン様だ。


彼は何も言わず、ただ私の背を見守っていた。

氷の公爵と呼ばれるその人が、冷たい眼差しの奥に何を抱えているのか。

それはまだ分からない。

けれど、確かにその視線には、私の決意を見届けようとする温度が宿っていた。


私は胸を張り、医務室の扉へと手を伸ばす。

「私は変わって見せる!今は選ばれる側かもしれないけど、きっと選ぶ側に立ってみせる!」


 (だって、ここは乙女ゲームの世界だもん!誰を攻略するか決めるのは主人公だけど、私もアメリア同様選ぶ側に立って見せる!)


 

「アメリア!? 大丈夫?」

慌てて医務室に駆け込むと、制服に着替えたアメリアがブラウスの上から氷嚢を肩に当てていた。


「ヴァイオレット様! 心配して来てくれたんですか!?」

驚いたように目を丸くする彼女に、私は当然のように答える。


 

「当たり前じゃない! 私たちお友達でしょう?」


 

その言葉に、アメリアは感激したように口を開いた。


 

「やっぱりヴァイオレット様はお優しい方ですね! 怪我は幸い軽い火傷程度で、少し冷やせば大丈夫だそうです。私、庶民なのでやけどなんて慣れてるんで、これくらいなんでもないですよ!」

 


そう強がって笑うアメリアは、いじらしくて胸が締め付けられる。

だが、私の心は怒りで滾っていた。


(にしても腹が立つな! ロゼッタ・バーミリオン男爵令嬢!)

拳を握りしめ、胸の奥で誓う。

――いつか必ず仕返ししてやる。悪役令嬢を舐めるなよ、格下令嬢め!


そんな私とは対照的に、アメリアは健気に微笑んでみせた。


 

「本当に大丈夫ですから……心配しないでくださいね」


 

その笑顔は、痛みに耐えながらも周囲を安心させようとする主人公のものだった。

くぅー! ライバルだけど、やっぱり主人公だけあってかわいいわ!アメリアちゃん!


私は心の中で叫びながら、彼女の笑顔を守るために、さらに強く決意を固めた。


 医務室の静けさを破るように、扉がノックされた。


 

「失礼する」


 

低い声と共に現れたのはルシアン様だった。


 

「模擬店はもうすぐ終わりの時間だ。……君たちの様子を見に来た」


 

氷の公爵らしい冷静な口調。けれど、その瞳にはわずかな柔らかさが宿っていた。


「ルシアン様……」


 

私は思わず立ち上がり、執事姿のまま一礼する。


 

「ご心配いただきありがとうございます。アメリアは軽い火傷程度で、もう大丈夫ですわ」

 


アメリアも氷嚢を肩に当てながら、慌てて笑顔を見せた。


 

「はい! ヴァイオレット様が心配してくださって……もう平気です。庶民なので、こういうのは慣れてますから!」

 


その強がりに、ルシアン様は小さく息を吐いた。


 

「慣れているからといって、軽んじていいものではない。……君は特待生として、この場にいる。だからこそ、守られるべきだ」

 


アメリアは目を丸くし、少し頬を赤らめた。


 

「ルシアン様……ありがとうございます」


私はそのやり取りを見つめながら、胸の奥が熱くなるのを感じた。

氷の公爵と呼ばれる彼が、こうしてアメリアを気遣う姿。

それは冷たい仮面の奥に隠された、人としての温かさだった。


「ヴァイオレット」


 

ルシアン様が私に視線を向ける。


 

「君もよくやった。……だが、あまり無茶はするな」


 

私は氷の微笑を浮かべ、けれど心の奥では素直に頷いてい

た。


 

「承知いたしましたわ。ですが、友を守るためなら、多少の無茶も厭いませんわ」



ルシアン様は一瞬だけ目を細め、何かを言いかけてから黙り込んだ。

その沈黙が、彼の心の揺らぎを物語っていた。


模擬店の終わりを告げる声と共に、医務室には静かな余韻が残った。

――氷の公爵と、悪役令嬢。

その間に確かに芽生え始めたものがあった。

 

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