できればまだこの町で暮らしたい
「行かなくてよかったのか?」
翌日、朝のコーヒーを持っていくと、唐突にヴィゴが尋ねた。
何のことかはすぐにわかった。
あのあと、ぼくは改めて絵描き兼事務員ととして勧誘を受けた。
魔術学校では絵をかくことも仕事に含まれる。
高給で住むところもあって食事はただ。
家をでたばかりの、仕事を探していたころのぼくなら喜んでうけただろう。
でも、今はそんなふうには思えなかった。
くちうるさいおかみさん。
料理上手なおやじさん。
最近恋人ができたというニイナさん。
生意気になって、でも優しいケビン。
ちょっとづつ覚えた工房の仕事。
モス爺とのおしゃべり。
黙々と作業するヴィゴの背中。
生家に帰るつもりも家庭を持つつもりもないぼくにとって、この八年でできた人とのつながりは嬉しい誤算だった。
「今の生活にすごく満足しているから、離れたくないかな。ヴィゴが結婚してここを辞めることになったら考えるよ」
なるべくならこの町を離れたくはないけど、次の仕事がなければ頼るかもしれない。
笑ってそう答えると、ヴィゴはカップに伸ばした手を引っ込めた。
座って作業していたヴィゴが、立ったままのぼくをみあげる。
じろりとにらみ上げられているみたいに感じて、笑みが引きつる。
悪気はないんだろうけど、視線が強すぎだ。
「ローエン、すまなかった」
「ええと?」
謝られる理由はない。
りんごの消えた事件だって、ヴィゴのおかげで解明されたうえ、金貨も儲けた。
それとも、結婚することになったからぼくは首なんだろうか?
ヴィゴに興味のありそうな人を教えたから?
「俺の母親は俺と父さんを捨てて恋人と出て行ったんだ。ありったけの財産をもって」
「うわあ」
いきなり重い過去を告げられてぼくは引いた。
モス爺のところにコーヒーを持っていくのに、長い話になるんだろうか。
ぼくは真面目な話の聞き手にはすごく不向きなんだ。
「だからローエンのことも疑ってた。爺さんに取り入ってどういうつもりだ?って」
「そ、それは」
全くの無実とはいえない。
モス爺の親切に甘えて過分によくしてもらっている。
あんまり遠慮もしてないし、なんなら実の孫みたいな気分でいた。
いや、実の孫のヴィゴより馴れ馴れしくしてる。
「でもそんなことはなかった。いや、本当は爺さんが送ってきた絵をみたときにわかってたんだ」
「ヴィゴは、ぼくがモス爺に助けてもらってることを怒ってない?」
「もちろんだ。助けられているのは爺さんのほうだ。俺もローエンがいてくれて救われている」
「大げさだよ」
たしかに倒れているのを見つけたのはぼくだけど、偶然だ。
それに別にヴィゴの役に立ってはいない。
「ローエンのおかげで爺さんといても気まずくない」
「はあ」
ヴィゴならともかく、モス爺と気まずいって感覚はよくわからない。
言えないけど。
というかヴィゴがそんなことを気にするのも意外だ。
もっと我が道を行くタイプかとおもった。
「だから、辞めるなんて言わずにずっといてくれ。むしろ、うちに引っ越してくればいい」
「うん。ありがとう。モス爺にコーヒー持っていくね」
とりあえずぼくは逃げ出した。
ここで暮らせばいいというのは、モス爺にも言われた。
モス爺が絵を描くようになって、画材も揃っている。
中庭の野菜畑や花壇もいい感じだ。
「でもヴィゴが家庭をもったら、職場と住むところをいっぺんに無くすんだよね」
それはちょっと勘弁してほしい。
その時はそう思っていた。
*
「ヴィゴ、モス爺、ぼくこっちに引っ越してきてもいい?」
昼食の席でぼくは口を開いた。
ニイナさんが恋人と結婚を考えているらしい。
お相手は半年ほどお付き合いしていた大工さんだ。
今は職場の独身寮に暮らしている。
それを教えてくれたのはケビンだった。
『よかったねえ!お父さんだね!』
そう答えながら、ぼくは急いで引っ越し先を探すと決めた。
あの屋根裏はもともと子ども部屋だ。
ケビンと、生まれるかもしれない兄弟に返すべきだった。
「もちろ」
「もちろん、歓迎する」
モス爺の返事をかき消すようにヴィゴが大きな声をあげた。
遮られたモス爺が呆れたようにヴィゴをみてから、ぼくに片目をつぶって見せた。
*
朝のコーヒーのかわりに、ぼくたちは朝食を食べるようになった。
ビスケットとプレーンのオムレツ、果物が付く。
それからぼくは絵の続きを描いて、モス爺は畑に水をやる。
ヴィゴは洗い物をして先に工房へ行く。
工房主で一番忙しいのにね。
ヴィゴは几帳面で働き者だ。
「いいのかなあ。雇い主のヴィゴに頼りすぎな気がする」
そんなふうにモス爺に言うと、モス爺は首を振った。
「ヴィゴには寂しい思いをさせたんじゃ。今はローエンのおかげで毎日楽しそうにしとるよ」
楽しそう?
未だに笑顔を見た記憶はないのに?
だけど、モス爺によろしく頼むと頭を下げられてはぼくは頷くしかなかった。
三食におやつ、住むところもついて、絵を描くのも応援してもらえる職場。
すごすぎる。
ぼくに不満なんてあるはずもない。
「ぼくも毎日楽しいよ。モス爺もいるし」
ケビンに泣かれたのはちょっと困ったけど、結果オーライだね。