謎の生き物ちゃん
数日後、モス爺と同じぐらい年に見える研究者と、まだ二十歳ぐらいの助手の人がやってきた。
「おお!確かに消えておる!ここにりんごがあったのか!」
「前の作品と同じ作者ということは、彼に秘密があるのかもしれません」
賢そうな助手の人が眼鏡を光らせてぼくをみた。
解剖されそうな怖さを感じる。
ぼくはヴィゴのうしろに隠れた。
工房主として店員を守ってもらおう。
「協力者を害するなら帰ってくれ」
ヴィゴは不機嫌そうに告げた。
いいぞ!眼光の鋭さなら負けていない!
だから工房主なのに結婚できないんだね!
「ふむ。写真画ではだめじゃったか!君、魔術学校で絵を描かんかね?」
いきなりの申し出にぼくはぶんぶんと首を振った。
横に。
絵を描くのは好きだ。
褒められればうれしいし、お金ももらえたらうれしい。
次の画材を買える。
だけど依頼とか、締切とか、そういうのは好きじゃない。
仕事にしてしまったら、きっとこんな風に楽しくは描けない。
写真画が流行らなくても、ぼくは画家にはなれなかっただろう。
その日ヴィゴと研究者はぼくの描いた絵をひとつひとつ調べてまわった。
宿に飾ってあるのも、屋根裏に置いているぶんもだ。
研究者のおじいさんと助手の若い人が真剣な顔で確認している。
ヴィゴはするどい視線であたりを見回していた。
「広いな」
そう、屋根裏はだだっ広い。
窓も大きいし、キャンバスを出しっぱなしにしていても大丈夫だ。
それに煙突も通っていて冬は暖かい。
理想のアトリエだ。
ぼくは胸を張った。
「埃っぽい」
ヴィゴが付け加えた。
ぼくは首をすくめた。
「あー、このところ、あんまり掃除していないかな」
シーツはおかみさんがうるさいからまめに変えているけど、くしゃくしゃのままだ。
からっぽの水さしや、丸めた寝間着。
だらしないと思われているだろうな。
ちょっと待ってもらって片づければよかった。
それでなんとかなるレベルじゃないけど。
みんなは全部の絵をみて、ヴィゴは引き出しまで開けた。
だけど、消えた部分のある絵も、謎の生物もみつからなかった。
ぼくが画材ばかり買い込んで部屋着がぼろぼろなことがバレただけだった。
几帳面なヴィゴが、適当に突っ込んでいたシャツをだまってたたみなおした。
おかみさんみたいに、がみがみ言ってくれれば首をすくめていられるのに。
ぼくは居たたまれないという気持をそっとかみしめた。
「現場から離れているが、そのうちやってくるかもしれん」
「ああ、俺が見回る」
研究者とヴィゴが話している。
見回るって、謎の生き物を?
もともと見えるものじゃないんじゃなかったっけ?
魔力のことはよくわからない。
ただ、研究者が言うには、ぼくの絵からはほんの少し魔力の気配がするらしい。
「あの、大叔父さんは魔術学校に行ったと聞いたことがあります」
「おお!では、少ないが魔力があってもおかしくないな」
「独立して使えるほどではなくても、絵にこめているのか」
「大叔父殿の名前は?」
「マクスウェル・リドラ・メルファです」
「リドラ?貴族家か?」
おじいさんが眉をあげた。
ヴィゴは眉間に皺が寄っている。
あ、しまった。
家名は捨てたんだった。
「ぼくは後継ぎでもないし、勉強も得意じゃなくって。平民として気楽に暮らせるように家から抜けたんです」
「なるほど」
助手の人が大きくうなずいた。
わかってもらえたみたいだけど、なんだかなあ。
事実だけどね。
そのあとぼくらは工房に戻った。
工房と中庭をはさんで立つ居住スペースにもぼくの絵があるからだ。
「あった!ないのがあったぞ!」
研究者のおじいさんは声を上げた。
モス爺が額に入れて飾ってくれていた山小屋の絵だ。
背景の茂みの赤い実がすべてなくなっていたのだ。
そういえば野イチゴのつもりで描いた記憶がある。
赤い点なのに、ちゃんと食べ物って認識されるんだ。
ぼくはますます謎の生き物が好きになった。
「金貨1枚だ」
モス爺がよければぼくはあげてもいいくらいだったのに、ヴィゴはふっかけた。
金貨一枚って、ぼくのひと月分の給料だよ?
研究者は平気な顔で食べたあとのある絵を二枚とも買って帰っていった。
りんごのと、野イチゴのだ。
つまり、金貨2枚!
それだけあれば筆を新しくして、キャンバスと絵の具もたくさん買える。
「買い物に行くぞ。部屋着は擦り切れて部屋履きもないなんて自分に構わなささすぎる」
厳しい声で言うヴィゴには何もない部屋を見られている。
言い訳もできずに、ぼくは仕方なくうなずいた。
*
新しい靴と部屋履き、ヘアブラシ(髪は梳いてなかった)、新しい歯ブラシ(ぼそぼそになっても使っていた)、着替え。
きっちりしているヴィゴは、気になったところをいちいち覚えていた。
「ヴィゴはきれい好きでしっかりものだよね」
おかみさんみたい。
というのは飲み込んだ。
ヴィゴは嫌そうに顔をそむけた。
彼を知らない人なら怒っているとおもうだろうけど、きっと照れているだけだ。
それがわかるぐらいには、ぼくはヴィゴに打ち解けていた。
もう友達といってもいいんじゃないかな。
日用品を、ついでに絵の具と絵筆も、買ってぼくは宿に戻った。
ヴィゴは荷物を運ぶのを手伝うと言ってくれたけど、断った。
せっかく研究者の対応で臨時休業になったのだから、もっと有意義な時間にするべきだ。
「パン屋のミリーさんと、雑貨屋の姪御さん、それに酒屋のお姉さん。ヴィゴのこと格好いいって言ってたよ」
モス爺にひ孫をみせてあげるためにも、頑張ってほしい。
「俺は知らん」
ヴィゴは不機嫌な顔でぼくをにらんだ。
ぼくは気にせず笑顔で手を振った。
彼は照れ屋なのだとモス爺も言っていた。
それからヴィゴが誰をデートに誘ったのかは知らない。
ぼくは買ったものを横に放り出し、さっそく絵を描き始めたからだ。
今回は絵の具じゃなく、クレヨンだ。
「絵の具を食べる、小さな生き物。魔力が好き」
りんごの赤、野イチゴの赤、チェリーパイの赤をぐるぐると重ねる。
「よく見える目と、魔力の匂いがわかる鼻、舌を伸ばしてなめる」
「小さくて、ふわふわ」
そのほうがかわいい。
ぼくは画用紙の端に、『謎の生き物ちゃん』と題名を添えた。