消えたりんごと増えたファン
「ローエン!」
市場に寄って帰る途中、うしろから駆け寄ってきたのはケビンだった。
幼児の頃は面倒をみていたけど、もう七歳になる彼は町の学び舎に通っている。
金髪に青い目で天使みたいだけど、中身はやんちゃだ。
ニイナさんに似て頭の回転が速く、亡くなった父親譲りで体格がよく運動も得意だ。
将来が楽しみだ。
おやじさんは宿を継いでほしいみたいだけど、本人は軍に入ると言っている。
「今帰りかい?ちょっと遅いんじゃないか?」
「川にいってたんだ!みて!」
生臭い籠のなかではいっぱいのエビがゴソゴソと動いている。
「飼うの?」
ならスケッチさせてほしい。
「食べるに決まってるだろ。ローエンはほんとにぼんやりだ」
呆れた口ぶりはおかみさんそっくりで、ぼくはちょっと笑った。
「これは、ローエンにあげる」
腰にさげた袋には青い花びらが詰め込まれていた。
懐かしいな。
ケビンが小さいころ、この花びらを潰した汁で色を付けるという遊びをした。
ぼくがペンで花を描いて、ケビンが塗る。
爪の周りが青く染まってぼくが叱られたっけ。
「絵の具ばっか買ってるとばあちゃんに怒られるよ」
「ありがとう。使わせてもらうね」
ぺンで描いてちょっと色を付けたしおりやカードは宿と雑貨屋に置かせてもらっていて、たまに売れる。
ぼくのために集めてきてくれたのがうれしい。
ケビンはぷいとそっぽを向いて、それでも籠を持たない手をつないでくれた。
「そういえば、ケビンも自分の部屋がほしいよね?ぼくが屋根裏を空けようか?」
「……いらない」
だけど、その間がケビンの本音を伝えている。
モス爺の言う通りだ。
「だから、うちにいればいいだろ!」
ケビンの切実な声がうれしい。
うん。
やっぱり引っ越しを考えないと。
でもモス爺のところは、ヴィゴの都合もあるかならなあ。
ぼくたちは星の輝く空を見上げたり、漂ってくる料理の匂いを当てたりしながら、のんびりと宿を目指した。
帰りが遅くなっておかみさんに叱られて、ぼくとケビンは視線を交わしてちょっと笑った。
*
描きあがったりんごの絵を布に包む。
約束通りモス爺に見せるのだ。
朝のコーヒータイムはちょっと慌ただしいから、昼にしよう。
絵の包みを工房の隅において、ぼくはヴィゴに指示を貰いに行った。
「ええっ?」
昼食の後で、包みをほどいたぼくは声を上げた。
りんごの絵は、肝心のりんごがなくなっていた。
そこだけ白く抜けて初めからなにも描かれていないかったみたいだ。
「ちゃんと描いたんだよ!?」
ぼくはモス爺に訴えた。
なぜかとどまっていたヴィゴがすごい目で絵を睨んでいる。
怖い顔が余計に怖くなる。
せっかくハンサムなのに、もったいない。
「食われてる」
「えっ?」
ヴィゴは立ち上がって、じろじろとあたりを見回した。
何かを探しているようだ。
「なにかいるの?」
「絵に描かれた食べ物を食う虫みたいなものだ。魔術学校の美術室にいると言い伝えられていた」
「うええ、なにそれ?」
虫は嫌いだ。
部屋は散らかっていても、ぜったい食べ物は散らかさないぐらいだ。
だから食べ損ねるんだけど。
「魔術学校は古い城を修理して使っている。妙な話や変な出来事が普通にある」
「気持ち悪いね」
ゴーストや呪いなら怖いけど、そこまでじゃない。
「ああ。話のネタ程度の害しかない。そういうものだと放置されている」
魔力のある選ばれたひとだけが行ける魔術学校のことは、何も知らない。
「でも、どうしてそれがこんなところに?」
言いながらぼくはだんだん声が小さくなった。
だって理由は一つしか思い当たらない。
「俺についてきたんだろうな」
心なしか圧が弱い。
やらかしたと思ってるんだろうか。
「でも、ヴィゴのせいじゃないでしょう?」
ヴィゴはため息をついいた。
「いや、俺のせいだ。爺さんが送ってきたローエンの絵を飾ってた」
「え?」
「青い花のと、水差しのと、チェリーパイのだ」
おかみさんのチェリーパイ。
あんまりきれいだったから、食べる前に描いたんだ。
描き終えて食べるときには、ぱさぱさのカチカチになってたっけ。
青い花のはモス爺がほしいといったのであげた。
かわりに手袋を貰った。
水差しとチェリーパイのは売れたからと、お金をもらっている。
珍しい絵の具を買えたからよく覚えている。
「ヴィゴが買ってくれたんだね」
そういえばモス爺がヴィゴもぼくの絵が好きだって言ってた。
あれは本当だったんだ。
にやけるぼくから目をそらしてヴィゴはつづけた。
「しばらくしてチェリーパイが食われた」
「え!」
「チェリーパイがきえて、皿だけが残った絵を魔術学校の教師が買い取っていった。
言い伝えはあったけれどもう何年も確認されていなかった現象だった。それから何人もが試したが、だめだった」
「お腹がいっぱいだったのかな?」
「いや、実物に似た絵がいいんだろうと、写真画を置いてた」
「ああ」
写真画が広まって絵描きは激減した。
一番確実な仕事になる肖像画の依頼がなくなったのだ。
見合い相手におくるにしても、美化されない写真画のほうが信用された。
時間だって一瞬で済む。
「ええと、チェリーパイを気に入って、ヴィゴについてくることにして、ここでまたぼくの絵を見つけたってこと?」
「そうなる」
「……虫ってすごく賢いんだね」
「いや、どうなんだ?虫かどうかもわからないんだ。変なものが存在してるってだけで」
そうか。
なら虫じゃなくって、小さい動物みたいな姿かもしれない。
トカゲが絵のりんごをぺろぺろなめるのをおもうと、わりとかわいい。
「じゃあ、また食べ物の絵をかいてみるよ。お腹を空かせてるのはかわいそうだからね」
写真画は嫌だなんて、昔気質で不思議ないきもの。
生き物?
ぼくの絵を気に入ってくれた謎の生き物を、なんだか好きになってきた。
「このことは魔術学校に知らせる。絵を買いたいといってくるだろうが、いいか?」
「もちろん!」
純粋にぼくの絵を欲しいわけじゃないのは残念だけど、ほかにも謎生物に食べてもらえるなら、不思議でうれしい。
人間じゃないけど、ぼくのファンだ。