捨てる神あれば拾う神あり
ニイナさんは二十五歳。
子どもは三歳の男の子でケビン。
ふたりとも金髪に青い目で、おかみさんに似た顔立ちだ。
夫で父親で兵士長だったマイクさんは、任務中の事故で亡くなった。
一時金はでるけれど、小さい子どもを抱えての生活は大変だ。
実家を頼るのは自然なことだった。
そしてぼくが使っているのはもともとニイナさんの部屋だ。
いい匂いのするきれいな部屋は見る影もなく散らかって、油絵の具の匂いが染みつている。
「ごめん!なんとか片づけます!」
ぼくは青ざめると、ニイナさんもおかみさんたちも笑った。
「あそこはもうローエンの部屋よ。この年になって屋根裏はちょっとね」
「ケビンにあんな階段使わせられないよ、ばかだねえ」
「一階に部屋は用意してある。貸すほどあるんだ、宿屋だからな」
ああ、そうか。
屋根裏への階段は梯子とかわらないような不安定さだ。
ケビンを抱えて上り下りなんて大変すぎる。
なあんだ。
早とちりを恥ずかしくおもいながら、ぼくはほっとした。
ニイナさんは素敵だしケビンは可愛い。
何の問題もない。
だけど、しばらくしてぼくは気づいた。
おやじさんもおかみさんも、ぼくがニイナさんと結婚すればいいとおもっているんだ。
「あんたはお金の使い方も考えなしだし、奥さんはしっかりものがいいよ。ちょっとぐらい年上のね」
「ケビンのことも可愛がってまるで父ちゃんだなあ」
かんべんしてくれ。
ニイナさんに不満があるわけじゃない。
ぼくはもともと結婚する気がないのだ。
恋人や奥さんに花束を買うより、絵の具が買いたい。
子どもにおもちゃを買うより、新しい絵筆がほしい。
家族を養うために働くなんていやだ。
ぼくはだんだん逃げ出したい気持ちになってきた。
宿の後継ぎとか、結婚とか、家族とか。
多くの人にとって価値のある良いものだとしても、ぼくには重荷なんだ。
*
「ローエンはすごくいい子だとおもう。でもごめんね」
幸いなことにニイナさんは筋骨たくましい男らしい人が好みだった。
絵ばっかり描いてちょくちょく食事を忘れるぼくは弟にしか思えないらしい。
お互いその気はないというのは喜ばしいことだ。
けれど、申し訳なさそうに言われるとすごく複雑な気持ちになる。
おやじさんとおかみさんにも謝られ、ぼくが断られたみたいな雰囲気ができあがっている。
なんだか、理不尽だ。
かといって、不機嫌になったらますます振られていじけてると思われる。
ため息をこらえて洗濯したシーツを干す。
ああ!
このシーツが風にはためくところを油絵で描きたいなあ。
どこかぼんやりした空の色。
太陽のひかりが白いシーツにまぶしい。
地面に落ちる大きな影と、シーツを通してみえる春の風。
ぼくは濡れたシーツを抱えて、突っ立ていた。
頭の中ではいくつもの構図が浮かび、この光景を目に焼き付けようとしている。
はたからはぼけっとしているようにみえるだろうけど。
「ローエン!だいじょうぶか?」
「こんにちは、モス爺。お昼ごはん?」
「ああ。お前さんがぼんやりしてるのがみえたんでな」
む。
モス爺までぼくがニイナさんに失恋したとおもってるんだろうか。
「言っとくけど、ぼくはニイナさんと宿を継ぎたいなんておもってなかったよ?」
不機嫌に先手を取ると、モス爺はふさふさした白い眉をさげた。
「じゃが、このままでは人手があまるじゃろう?どうするんじゃ?」
あ!
そういえば、もともとニイナさんが結婚して家をでたから求人があったんだ。
ニイナさんが戻って、今は小さいケビンも手伝えるようになる。
ましてニイナさんが再婚したら、ぼくはいらない。
「ほんとうだ!どうしよう、モス爺」
「やっぱり考えとらんかったか。お前はほんとうにぼんやりじゃな」
モス爺は呆れたように息を吐いた。
「うちの工房にくるか?大した給金は払えんが、住み込みでもいい」
「いいの?やったあ!行くよ!よろしくお願いします!」
話を終えてモス爺は宿の食堂に向かった。
ぼくはシーツを干してしまうことにした。
さっきまでとは打って変わって心は晴れやかだ。
持つべきものは頼りになるファンだ。
修理工房が忙しいというのは聞いたことがない。
でも毎日食堂で食べられるぐらいには儲かっているはずだ。
暇でお金がもらえるなら、すごくラッキーじゃないか!