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ローエン 宿屋下働き

「ローエンです!よろしくおねがいします!」

「おう。しっかり食えよ、ぼうず」

「屋根裏は娘の部屋だったんだよ。家具はそのまま使っとくれ」

「ありがとうございます!」


若い娘さんの部屋だったなんて、なんだか照れるなあ。


宿の主人とおかみさんは四十歳ぐらい。

黒髪青い目で腕が太くてちょっと腹の出たのを気にしてる主人は、腕のいい料理人だ。

金髪に茶色の瞳のぽっちゃりしたおかみさんは、明るくて世話好き。

若いころはすごくもてたらしい。

兵士長と結婚したという娘さんもきっと美人なんだろうな。


皿洗いも洗濯も下手くそなぼくに呆れながら、ふたりは根気よく教えてくれた。

初めてのお客さんはぼくをふたりの子どもだと思うみたいだ。

見た目は全然似ていないんだけどね。



初めてのお給料をもらった朝、ぼくはうきうきと雑貨屋へ向かった。

そこのおばさんに画材を取り寄せてもらってある。

時間はかかっても絶対に買うからと頼み込んだんだ。


六色の絵の具と太さの違う三種類の筆。

パレット、厚手の紙。

もちろん全部は買えない。

黒と青の絵の具と筆、両手のひらほどの厚紙を五枚。

あっというまにひと月ぶんの給料はなくなった。


「やったー!」


にやにやしながら走って宿に帰る。

そういえば緑の小鳩亭というのが宿の名前だった。

いい名前だ。

色が入っているのが特にいい。


おかみさんから皿とカップを借りて、パレットと水差しのかわりにする。

手に入ったのは水溶きの絵の具だから、これでいい。

はやく油絵の具も使いたいなあ。


屋根裏には昼前の明るい光が差し込んでいる。

テーブルを片付け、厚紙を動かないようピンでとめた。

長方形の紙をじっとみつめる。

下描きはなしだ。

色も二色だけ。

イメージが湧いてくるのを紙のサイズにぎゅっと押し込める。


「よし!」


まず、黒の絵の具で木を描く。

張り出した枝には二羽の鳥がとまっている。

濃い頭と胸、尾羽に行くほど薄くなる青。

小さな紙はそこだけ異国の森みたいだ。

余白は多いけど、たぶんこれはそのほうがいい。


ぼくはピンを抜いて、紙を窓辺に置いた。


次は全部に薄く青を塗る。

乾くのを待って黒で小さな鳥を描く。

一羽じゃ少ない。

十羽は多すぎる。


「七羽だ」


先頭の鳥から二列に続く。

こんなふうに群れて、遠くまで渡るのだ。

昼ごはんも食べずに、ぼくは黒と青だけの絵を描いた。

紙を全部使ってしまって、絵の具の乾き具合を確認しているとおかみさんの声がした。


「ローエン!お茶を入れたから、おりといで!」



ぼくが昼ごはんも食べずに絵を描いているのを心配して呼んでくれたみたいだ。

お茶というにはボリュームのあるハムチーズサンドとミルクティ。

お客さん用のおいしい紅茶だ、ラッキー!


「じゃあ、全部使っちまったのかい?」

おかみさんが呆れた声をあげた。


「だけど、うまいもんだ。本当に飛んでるみたいだ」

おやじさんが感心したように、一枚を持ち上げている。

描くのは楽しいけど、褒められるのはいい気分だ。


「さしあげますよ」

ぼくは胸を張っていった。


「じゃあ、食堂にでも張っておくか」

「しかたないねえ」


おかみさんはため息をついて、銀貨を二枚くれた。

やったね!


「今度はちゃんと考えてつかうんだよ」


「はい!」


もちろん、ちゃんと考えている。

今度は赤と白の絵の具を買おう。

そして残りで買えるだけの紙を。



そんなふうに三年が経って、ぼくは十八になった。

宿の仕事にも町にもすっかり慣れた

油絵も描くようになった。

広い屋根裏部屋はこつこつ買い集めた画材と作品で、すっかりアトリエ風だ。


おいしい食事、面倒見のいい親切な雇い主。

なにもかも無くした時はどうなることかと思ったけれど、うまくやっている。

もうちょっと絵を描くお金と時間があればいいんだけど、贅沢はいえない。

上級学校や軍学校なんかに行ってたら、絵筆にも触れなかったに違いないんだ。


それに、ぼくの絵のファンができた。

魔道具の修理工房のモス爺だ。

モス爺は宿の食堂にご飯を食べにくる常連さんだ。


モス爺は壁にピンでとめられていたぼくの絵をみて、銀貨一枚で買ってくれた。

はじめて絵が売れてぼくは躍り上がって喜んだ。

好きな絵を描いてそれが売れるなんて最高だ。


ちょっと前に、ぼくは生家に手紙を書いていた。

いい勤め先で元気に頑張ってますって。

お気に入りのつる薔薇の絵も一緒に入れた。

母様は飾ってくれるだろうか。

ぼくは楽しくやってるから心配しないで。


手紙は、神殿の荷物と一緒に故郷の街に運んでもらえる手はずだ。

神殿同士のやり取りは安全らしいから、ちゃんと届くんじゃないかな。

ついでにお世話になった神官長にも絵をプレゼントした。

眉間に皺を寄せたまま微笑む神官長のスケッチだ。

器用というか、複雑な表情が面白くて描いてしまったものだった。

描いたものの始末に困った、というのが本音だ。

だけど、神官長はすごく喜んで、自室に飾ってくれているらしい。

あれが治療と居候のお礼になったならちょうどよかった。


お給料は現金では据え置きだけど、現物支給が増えた。

お金があったらあるだけ使ってしまうからだ。

たとえば新しいシャツや公衆浴場の回数券。

冬物の暖かい上着。

毛織のズボン。

穴の開いていない靴下。

こないだは靴を作らされた。

足が大きくなってかかとを踏んでいたのがおかみさんにバレたんだ。

がみがみ怒られながら世話を焼かれて、ぼくはここの子どもだったような気さえしてきたよ。


うーん、宿屋の亭主になりたいわけじゃないんだけど。

下働きぐらいがちょうどいいんだよね。


そんなとき、お嫁に行ったここの娘さんが子連れで戻ってきたのだった。

今にも雪が降りだしそうな寒い冬のことだった。

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