プロローグ ローエン23才 修理工房店員
「よし、完成だ」
最後の一筆を確認し、ぼくは息を吐いた。
絵の中のりんごはつやつやと赤く、見るからに甘酸っぱく瑞々しい。
「うん、我ながらよく描けた!」
自画自賛は惜しまない。
そりゃあ、ホントは誰かに褒めてもらいたいけど、趣味レベルじゃね。
写真機が発明される前なら、肖像画が掛ければ食べていけたらしいけど、今は厳しい。
ぼくはモデルになってくれたりんごをシャツで拭いて、齧った。
しなびてちょっと柔らかくなっている。
酸味が強い。
パイやジャムにする種類の小さいりんごだ。
小さくてすっぱいりんごを食べ、汲み置きの水で歯を磨く。
宿泊客の気配がないのを確かめ、屋根裏部屋から降りる。
格安で広い部屋を使わせてもらっているのだ、出勤前に水汲みぐらい手伝わないとね。
*
「おはよう!水がめはいっぱいにしてあるよ!」
「おはよう、ローエン。いつもありがとうね。朝ごはんは?」
「ごめん、もう行かないと。晩御飯楽しみ!」
おかみさんに声をかけて、裏から出る。
夏の朝の日差しはもう高い。
トンボがスイスイと泳ぐようにぼくを追い越していった。
仕事はいろんな道具の修理工房の店員。
趣味は絵を描くこと。
夢は『ほどほどに働いて、好きな絵を描く』だ。
ラッキーなことにほぼかなっている。
もちろん、贅沢を言えばきりはないけど。
「おはよう!モス爺!」
「おはよう、ローエン。走ってきたのか?こっちはいいから、水を飲め」
工房の親方はモス爺。
雇い主で、なによりぼくの絵のファンだ!
家を出てもう八回目の夏がくる。
ぼくは二十三歳になっていた。