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喫茶モンブランの相談窓口 〜依頼料はコーヒーで〜  作者: pippo
何も盗らなかった空き巣?
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何も盗んでいない空き巣?(後編)

「ミニマリスト?何だっけそれ?」


茂さんは聞いたことがあるような、ないようなその単語を反唱しながら考えている。


「よく分かりましたね。ミニマリストは生活に必要な最低限の物で暮らし、不要な物を置かないことで、時間や心の余裕を得るライフスタイルの人たちのことです。」


「空き巣に入られたと言いながら、手軽に持ち出すことができて、高価なノートパソコンが置いてあるというのは不自然ですからね。最初から部屋に物が少ない人なのかと。それでも、何も盗まれていないというのは?」


「はい、その被害者の方は、持っている物が少ないから、自分の物はその数まで正確に把握しているそうなのですが、家を出かける前と比べて、何も減っている物はなく、盗られてはいないと言っているそうなんです。」


「ん?じゃあ、どうして空き巣が入ったってわかったんだい?」


茂さんが当然の質問を投げかける。和栗は自分が最初にこの事件を聞いた時とあまりに同じことを質問する茂さんに少し笑ってしまう。


茂さんはその様子を見てさらに首を傾げる。


「本人曰く、部屋に帰ってきた時に部屋の鍵が開いていたそうです。そして、部屋を出た時よりもパソコンの位置が少しずれていると言っていたそうです。だから、誰かがこの部屋に侵入したのは間違いがないと。」


「そんなの覚えているのか?」


茂さんはあっけに取られた表情をしている。


「私たちも気のせいではないかって言ったんですけど、その方が絶対に間違いがないと。いつまた侵入されるかわからないところでは、安心して暮らせないから犯人を捕まえてくれと。」


マスターはミルで挽いた粉をコーヒーフィルターに移しながら、ガラス製のサーバーの上にそのドリッパーをセットする。その隣ではドリップケトルでお湯を沸かしている。注ぎ口からは少しの湯気が出ており、沸騰が近い様子が伺える。


「その被害者の方はミニマリストで、かつ几帳面な方なのですね。その被害者の方は何をされている方なのですか?」


「被害者は大学4年生の男性です。バイトから帰宅した際に空き巣の被害、まあ、被害がないんですけど、に気づいたそうです。」


「なるほど。」


マスターは和栗の話を聞き軽く頷く。そして、湯気が多く出始めたケトルを持ち上げドリッパーに少量のお湯を注ぐ。コーヒー豆を蒸らしているのである。


「でも、被害がないんじゃどうするんだ?」


茂さんが和栗に尋ねる。


「もしも、犯人がいたとして窃盗罪ではなく、住居侵入罪の疑いで捕まえることになるでしょうね。それでも、証拠を見つけるのは非常に厳しいと思います。」


「そうでしょうね。住居侵入罪の構成要件該当事実は、正当な理由なく人の住居、人の看守する邸宅、建造物、または艦船に侵入し、あるいは要求を受けたのにもかかわらず退去しないことです。侵入したことを証明することは非常に難しいでしょう。それこそ部屋から毛髪などの物的証拠か目撃証言などがないと立件すら難しい。」


豆を蒸らしたあと、お湯を少しづつ注ぎながらマスターが茂さんに対して説明する。


「マスター、お詳しいですね。」


マスターは和栗に笑みを向けることで返事する。


「そういうわけで、いるかもわからない犯人の目撃情報を聞き込みしていたというわけです。上司は、こんな訳のわからない変な事件はお前に任せるっていって私に丸投げですよ。」


マスターはケトルを置き、ドリッパーをサーバーから取り上げる。サーバーからは白い湯気が上り、それと同時にコーヒーの良い香りが漂う。マスターはそのまま白いカップを二つ取り出し、そこに淹れたてのコーヒーを注ぐ。一つには少量を、もう一つにはカップの定量を。


(2つ?茂さんの分かな?)


そのうちの一つを和栗の前に出し、


「お待たせしました。お悩みブレンドです。」


和栗は差し出されたカップから漂う香りを嗅ぐ。


(心が落ち着くようないい香りだなあ)


「本日は、深煎りの豆を数種類ブレンドいたしました。ライチやストーンフルーツのような爽やかな香りと、糖蜜シロップなような滑らかな質感と濃厚な甘さを味わいください。」


マスターはブレンドの説明を簡潔にしながら、もう一つの少量が注がれたカップを自分の顔に近づけてその香りを嗅ぐ。そして、徐に一口飲む。


(マスターが飲むんかい)


その様子を見て思わず心の中で突っ込んでしまう。まあ、コーヒーにこだわりを持つマスターさんなら淹れたコーヒーの味を確認することも必要なのだろう。


和栗もカップを持ち、そのコーヒーを一口飲む。


(コーヒーなのにライチ?糖蜜のような質感?)


和栗は甘い物は好きでよく食べるが、コーヒーはそんなに飲む方ではない。せいぜい缶コーヒーなどを眠気覚ましに飲む程度だ。コーヒーは苦いものであるという先入観が彼女の中にはあった。友達にもコーヒーを勧められるが、いつもはカフェラテをよく飲んでいる。


(ん!?)


「おいしい。」


思わず小声で出てしまう。コーヒーとは思えない質感の舌触り、そして鼻にぬける爽やかな香り。深煎りならではの苦味がありながら後味には甘味が残るような優しい味わいに和栗は驚く。


(これがコーヒー?これが本当のコーヒーなら私が今まで飲んでたのは黒い水だ)


あまりの衝撃に大きく息を吐く。友達が言っていた本当の美味しいコーヒーというのは、こういうのを指していたのか、とようやく友達の言葉に納得する。


「ありがとうございます。」


マスターは笑顔を和栗に向けている。隣では茂さんもニコニコしながら和栗の反応を見ているようだ。


「一つ質問よろしいですか?」


マスターが尋ねる。和栗はカップを置き、小さく頷く。


「その被害者の大学生についてもう少し詳しく教えていただけませんか?どこの大学なのかとか、何学部であるとか。」


「はい、被害者の男性の名前は、生島真悟(いくしましんご)さん。21歳の大学4年生で国立○○大学の工学部に通っています。電気電子を専攻しているそうです。研究しているものについては聞いたんですけど、私、文系なので言っている意味がさっぱりわかりませんでした。そして、先ほども言いましたが、ミニマリストの非常に几帳面な性格の方で、ファミレスでバイトをしているそうです。そのファミレスは家から少しだけ離れたところにあり、自転車で通勤しています。ここ数日、家の周辺で聞き込みをしましたが、誰かが生島さんの部屋に入ったという目撃者や、怪しい人を見たという証言はなく、完全に手詰まりしているところです。」


和栗は手帳を取り出し、その中身を見ながらマスターに被害者の説明を詳しくする。


マスターはその話を聞きながら、カップを片手にその瞳をつぶっている。


(絵になる人だなあ)


マスターがコーヒーを飲む様子は、そのすらりと高い身長やぴっしりと伸びた背筋、綺麗に整えられたブラックベストが白いカップとの調和を成しており、実に美しい。


マスターはカップからコーヒーを飲み、瞳を開けるとそのまま和栗へひとつ質問をする。


「そのバイト先についてはお調べになりましたか?」


「はい、至って普通のファミレスでした。近くに大学がいくつかあるので、大学生のバイトが多くいるお店でした。」


「なるほど。生島さんが通っている大学以外にも違う大学の学生さんがいらっしゃるんですね。」


マスターは、少し笑みを浮かべ和栗の顔を見る。その瞳には何かを見通したかのような輝きがある。それでも、マスターが大きな反応を見せることはなく、カップに注がれた少量のコーヒーを飲み終わり、そっとそのカップを置く。


その様子を見て、茂さんがマスターに話しかける。


「何かわかったっていう顔をしたね。」


「本当ですか?マスター!何かわかったんですか?」


和栗は少し声を大きくしてマスターに問いかける。


和栗はマスターに相談しては見たものの明確な答えを期待していたわけではなかった。もちろん、先ほど和栗の職業を当てたときの推理は見事なものであったが、和栗がここ数日聞き込みしてきただけの、和栗に言わせれば何の情報も得られなかったメモを聞いたところで、大した考えが浮かぶはずはないと思っていたのである。


「ええ。あくまで一つの可能性というだけですがね。」


「では、教えてください!」


和栗は身を少し乗り出しながら、マスターに催促する。何かしらのとっかかりさえ掴めれば、事件の真相へ向けて進むことができるかもしれないという思いであった。


「和栗さん、コーヒーは冷める前に飲んだほうがおいしいですよ。」


マスターは和栗に笑顔を見せ、和栗の先ほどよりも湯気が少なくなってきたカップを手で示す。


(え、ええええええええええええええええええええええ)


肩透かしをくらい和栗は、表情を固める。そして、目の前にあるカップを持ち上げて、コーヒーをぐびぐび飲む。


(おいしい。もっとゆっくり飲みたいけど、早く教えてよ〜)


心の中で叫びながら、コーヒーを飲みほす。


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