チョーク消失事件の結末と新たな人物
チリンチリン
軽快な鈴の音に合わせて喫茶モンブランの扉が開き、2人の少女が入ってくる。
「いらっしゃい。」
マスターが入ってきた2人に笑顔で声をかける。
「お兄ちゃん、真相判明したよ。」
カウンターの席に座りながら香織がマスターへ話す。隣では紗奈が茂さんに会釈しながら席に荷物を置く。
「やっぱり、奇術部だった!お兄ちゃんの予想通りだね。」
そうかと言わんばかりに軽く頷くと、マスターはあまり興味がなさげな態度をとる。
「動機もマスターの予想通りだったのかい?」
隣でコーヒーを啜る茂さんがマスターの代わりに香織に聞く。
「うん、おおむねは予想通りだった。チョークを盗っていた理由は、お兄ちゃんの予想通りの使い道で、それを来月の文化祭でのショーの演目にしようとしてたんだって。最初は事務室からちゃんと補充していたらしいんだけど、あまりにも本数と頻度が多いから事務員さんに注意されて、顧問の先生に本数を規制されたって言ってた。だから、教室から拝借してたんだって。」
「そんなに注意されるほど使ってたって、どれだけその実験をやっていたんだい?」
「最初は楽しくなってやりすぎたらしいんだけど、途中からは色々な色を作るために、実験を繰り返していたんだって。溶かす塩の種類や量を変えて発色の仕方とか変化とか色々実験していたみたい。もはや奇術部じゃなくって化学部、いやそれ以上の実験量だった。その実験のノートを見させてもらったんだけど、あまりにしっかりと実験の結果を記録していて思わず感心しちゃったよ。そんなわけで、チョーク以外の材料費がだいぶ高くなっちゃったから、チョークだけでも経費を削減しようと思って教室から盗っていたらしいよ。それに、実は私たちの教室だけじゃなくて他のクラスからも数本取っていたらしいよ。」
「それはそれは。なかなか面白い生徒たちが在籍しているんだね、奇術部には。」
茂さんは、笑いながらマスターの方を向き、同意を求める。マスターもそれに笑顔を見せる。
「面白い生徒ばっかりだったよ。部長さんとは色々話して結構仲良くなっちゃった。でも、ちゃんと先生に怒られていたけどね。別に私たちに謝る必要はなかったんだけど、奇術部の部長さんに来月の文化祭のショーでの優先席のチケットもらっちゃった。」
ね、と香織は紗奈の方に笑顔を向ける。紗奈も笑顔で返し、
「奇術部の文化祭でのショーは毎年人気のものなので、ラッキーでしたね。これも事件の謎を解いてくれたマスターさんのおかげです。」
マスターにお礼を言う。
「いや、今回は昔に自分が経験していただけだったからね。でも、2人の役に立てたのならよかったよ。」
マスターはお礼を言う紗奈に笑顔で返答する。
「ところで、2人は文化祭何かするのかい?2人とも文芸部だったっけ?」
茂さんが2人に問いかける。
「う〜ん。文集を書こうってことになって書いてみてるんだけど、あんまり上手くいかなくて、私はお兄ちゃんに添削してもらいながら短編の物語を書いてるよ。」
香織が答える。
「私は、詩を書いてます。ですがあまり納得できるものができなくて。」
紗奈は悩ましげな表情で茂さんとマスターを見る。
「マスターに添削してもらってるなら、香織ちゃんの短編はいいとして。紗奈ちゃんは詩か。マスターは流石に詩の心得はないのかい?」
茂さんがマスターに問いかける。しかし、マスターは首を振りながら
「残念ながら、詩についてはさっぱり。詩はあまりにも定義が広いですからね。俳句や短歌も詩ですし、自由詩に関しては自由度が高すぎて何が正解なのかわかりませんから。」
マスターは茂さんに説明する。茂さんも難しそうな顔をしながら頷いている。
「紗奈ちゃんが悩んでてアドバイスが欲しいなら、私に伝手はあるよ。先輩はその道のプロの人だから詩や文学作品には詳しいし、いいアドバイスをくれると思うよ。」
マスターは、紗奈の方を向き話す。
「先輩?さんですか?」
「そういえば、紗奈ちゃんは会ったことは無いのかな。私の大学時代のサークルの先輩で、今は私の担当編集者さんの人だよ。先輩はいつも平日の日中に来るから会わないんだね。先輩は出版社の編集者でいろんな作品を担当しているからいい相談ができると思うよ。」
「私なんかの作品を見せるのはちょっと申し訳ないんですけど。それにお忙しいでしょうし。」
遠慮しがちな表情で紗奈が答える。
「まあ、確かに忙しい人ではあるけども。そうだね。ちょうどこの後、茂さんと先輩と出かける予定があるからその時に先輩に聞いてみようか。」
「いいんですか?」
紗奈は上目遣いでマスターの顔を見る。狙ってやっているわけでは無いのだが、よっぽど自分の作品について悩んでいたのだろう。思わぬ転機に目を輝かせるその表情はいかにも可愛らしい小動物のような瞳である。
「お兄ちゃん、今日はいつもの?」
香織がマスターに問いかける。
「ああ、すまない。あまり遅くなる前に帰るから、家で留守番を頼んでもいいかな。夜ご飯は作って冷蔵庫の中に入れてある。それに明日のための材料も言われていたものは仕入れておいたよ。」
香織はうんと頷きマスターに返す。
いつものとは、茂さんとマスターが不定期で開催している日本酒の飲み会のことである。茂さんに日本酒の魅力を教えられてからは、マスターはコーヒーの次に好きな飲み物は日本酒であるというほど日本酒にハマっていた。定期的にお気に入りの日本酒バーに2人で足を運び日本酒を嗜んでいるようだ。茂さんに関しては昔から日本酒が好きで、日本酒のイベントには欠かさず参加し、全国の酒蔵を巡り歩いているそうだ。
「今日は纏屋さんも一緒なんだね。」
香織はマスターに問いかける。
纏屋とは先ほどから名前が上がっている、マスターの大学時代の先輩で、現在のマスターの担当編集者である。マスターは、喫茶店のマスターをしている傍ら、本の執筆を生業としており、どちらかというとそちらの収入がメインで、喫茶店は副業といったところである。10年前に両親を亡くし、大学を中退したときに、当時入社したてだった纏屋がマスターの文才を自身の出版社にアピールし、人気ミステリーシリーズ「飲兵衛シリーズ」を世に出すこととなった。このシリーズのヒットにより、マスターと香織の生活面は安定し、香織の教育費や2人の生活費をマスターが1人で負担しても問題なく、また、あまり客が多いとは言えない喫茶モンブランを続けていてもさして問題がないほどの収入を得るに至った。
「今日は飲兵衛シリーズの最新刊が出版されるお祝いで先輩も呼んだんだよ。」
「香織ちゃん。その先輩さんってどんな人なの?」
紗奈は香織の耳元で小声で問いかける。
「すごく美人で、Theキャリアウーマンって感じの人。バリバリのシゴデキでいろんな有名作家さんを担当しているんだって。」
「女の人なの?」
紗奈は少し驚いた表情を見せる。
「うん、すごく綺麗な人なんだけど、独身で。お客さんの中にはお兄ちゃんとお似合いじゃないかって言う人もいるんだよ。」
香織は少し意地悪そうな表情で紗奈に説明する。紗奈は目を見開いて驚いた表情を浮かべ、瞳を少しうるうるさせる。
「私も先輩も全くその気はないけどな。」
香織の声が聞こえていたのかマスターが淡々と言う。
「そうなんですね。よかった。」
小さなマスターには聞こえない声で、紗奈はそう呟き、安堵の表情を浮かべる。そんな紗奈の顔を見てちょっとやりすぎたかと反省しながら香織が謝る。
「そう言うわけで、そろそろお店を閉めなくてはね。紗奈ちゃん、約束のカレーは明日か明後日でもいいかな?」
マスターは紗奈の表情を見ながら問いかける。先ほどからの紗奈の表情の変化の理由が全然分からず、カレーの約束を守らなかったことを怒っているのかと思ってのことであった。
「はい。大丈夫です。では、また明日改めてお伺いしますね。」
紗奈は笑顔でマスターに答える。そして、荷物を持ち香織とマスターたちに挨拶して紗奈は家路についた。
少しして、店の締め作業が終わる頃、
チリンチリン
店の扉が開き、スーツ姿のショートカットの女性が店内に入ってきた。
「おまたせ。先生。」
いかにも仕事ができますと言わんばかりのおしゃれサングラスを外しながら、マスターに話しかける女性は、先ほどから話題の纏屋。今日も仕事をやり終えましたという雰囲気をバリバリ醸し出しながら堂々と立っている。
「お疲れ様です。先輩。今日は仕事じゃないんですから先生はやめてください。」
マスターはカウンターの中で作業しながら纏屋に軽く挨拶する。
「君が小説を書き続ける限りは、私と君は作家先生とその編集者だ。たとえプライベートでもその関係は変わらないとも。」
笑みを浮かべながら纏屋は堂々と宣言する。もう何度このやりとりをしているのだろうか。内心そんなことを思いながらマスターはカウンターから出る。
「あとちょっとだけ待っていてください。すぐに準備しますので。」
マスターはそう言いながら、店の奥へと消えていった。
「纏屋さん。お疲れ様。」
茂さんも纏屋に軽く挨拶する。
「茂さん。こんにちは。今日はお誘いくださりありがとうございます。先生の新刊発売記念っていうことで、パーっと飲みましょう!私、日本酒に限らずお酒、大好きなので。」
纏屋は余裕そうな笑顔を見せながら茂さんに挨拶する。
「そうだね。今日はとびきりのものをガンガンいっちゃおうか。せっかく纏屋さんも来るんだからこれを機に纏屋さんにも日本酒の沼にハマってもらおうかな。」
茂さんがそう返していると、準備を済ませたマスターが店の奥から出てくる。
「お待たせしました。では行きましょうか。」
マスターが言うと、茂さんも席を立ち店を出る。
「いってらっしゃい。」
後ろでは香織が少し気だるげに手を振っている。纏屋はそれに笑顔で手を振りかえし、店を出ていく。
そして、3人は茂さんとマスターが行きつけの日本酒バーへと向かって歩き始めた。




