チョーク消失事件
「この現象が始まったのは、今から一ヶ月ほど前のことです。」
マスターがいつものように豆をミルで挽き始めると、紗奈も話し始める。
「マスターもご存知だとは思うんですけど、私たちの学校では放課後に生徒が担当に分かれて掃除をするんです。私と香織は水曜日に教室の掃除をする当番なんですけど、木曜日の朝になると、前の日補充したはずのチョークが数本なくなっているんです。最初は誰かが使ってしまったのかなとか思ってたんですけど、他の曜日にはそういうことがないのに、ここ一ヶ月決まって水曜日の放課後だけチョークがなくなるんです。」
茂さんも紗奈の話を聞きながら首を傾げ唸っている。
「木曜日の授業が始まった時に先生にチョークがないぞって注意されて、無駄にわたしたちが取りに行かなくちゃいけなくなったんだよ。」
香織が不満そうにマスターと茂さんに訴えかける。可愛らしい顔でほっぺを膨らませるその顔は、愛らしい小動物のようである。
「放課後っていうことは、部活とかクラブの活動をしている人たちの中に犯人がいるんじゃないか?」
茂さんが香織たちに問いかける。
「私たちもそう思っているんだけど。」
香織と紗奈が顔を見合わせ軽く頷く。
「水曜日に活動している部活動はいっぱいあります。運動部では、硬式野球部、軟式野球部、ソフトテニス部、サッカー部、バスケ部、バレー部、ラグビー部、陸上部、弓道部、ラクロス部。文化部はもっといっぱいあって、美術部、写真部、化学部、茶道部、占い研究会、オカルト部、奇術部、吹奏楽部、軽音部、アカペラ部、合唱部、ボードゲーム同好会、カードゲーム同好会、マンガ研究会、家庭科部、料理研究会、園芸部、囲碁将棋クラブ、工作部、映画研究会、古典部、そして、私と香織ちゃんが所属する文芸部です。」
「はあ〜。いっぱいあるもんだな。」
茂さんは感心したように声を上げる。すると、コーヒーを淹れ終わったマスターが紗奈と香織にコーヒーを出しながら、話しかける。
「香織たちの学校、私の母校でもありますが、放課後の部活動が盛んなんですよ。それにしても、私の在籍時よりも増えている気がするね。聞いたことのない部活もあったよ。」
香織と紗奈はコーヒーの香りを嗅ぎながら、一口啜る。
「今日のブレンドは少し浅煎りの豆を使ったすっきりとした味わいのブレンドだ。この梅雨のジメジメした時期にぴったりの少し酸味がありながらすっきりした味わいで、雑味が少ないから、飲みやすい。赤リンゴやチェリーのような明るくて爽やかな味わいの一杯だよ。」
マスターが例の如く本日のお悩みブレンドのコーヒーの説明をする。香織はあまりマスターのいうことを聞いていないのか、コーヒーにふーふー息を吹きかけながら冷まして飲んでいるが、紗奈はマスターの説明をしっかり聞きながら頷いている。
「それで、さっき言っていた中にチョークを盗んだ犯人がいるんだよな。チョークを使いそうな部活はなんかないのか?」
茂さんが香織と紗奈に問いかける。
「私たちもチョークを使いそうな部活をいろいろ考えてみたんだけど。」
香織がそう話しながら、困り顔を見せて紗奈の方を向く。
「私たちは、美術部だと思ったんです。最近、黒板アートっているのが話題になるとこがあったので、美術部がそれをするためにチョークを使っているんじゃないかって。来月末には学校の文化祭がありますし、それの練習をしているんじゃないかって。」
「でも違ったのかい。」
マスターの言葉に2人が頷く。
「美術部の部室を訪ねてみたんです。確かに黒板アートの練習をしていたんですけど、美術部の友達に聞いたら、美術部が使っているチョークは美術部が部費で大量に買ってきたもので、学校で使っているのとは種類が違うそうです。学校で使っているのは、石膏チョークってやつらしいんですけど、美術部が買って使っているのはダストレスチョークっていうやつだそうです。」
「ダストレスチョークってなんだ?」
茂さんが首を傾げて、マスターに質問する。
「ダストレスチョークは、主成分が炭酸カルシウム、ホタテの貝殻などを使っているチョークで、普通の石膏チョークよりも粉の飛散が少なくて環境にやさしいと言われているチョークですよ。一番有名なのは日本理化学工業のダストレスチョークですかね。発色も良くて、たくさんの色がありアートチョークとしての人気も高いそうですよ。」
「マスターはなんでも知ってんだな。」
茂さんは自分で聞いておいて、マスターの知識量に感心したように頷いている。
「いえいえ、そんなことはありませんよ。たまたま先日気になって調べる機会があってそれを覚えていただけです。」
マスターは少し笑みを見せながら茂さんに答える。
「それで、美術部じゃなかったんならどこの部活なんだ?あとチョークを使いそうなのは、運動部とかか?外でのスコア書きとか、線を引いたりとか。」
茂さんがまた2人に尋ねる。
「毎週水曜日の放課後だけわざわざ私たちの教室から取る必要はないと思うんだよね。外の運動部が出入りする中央広場の入り口からは私たちの教室は遠いし。」
香織が茂さんに答える。
「香織たちは21HRだったか。ということは文化部の中に犯人がいると思っているんだね。」
マスターが香織と紗奈に尋ねる。
「ん?21HRだとどうして文化部なんだ?」
すかさず、茂さんが口を挟む。
「私たちの21HRは文化部棟と教室等を繋ぐ連絡通路に一番近くて、もしかしたら文化部の方の中に盗ってしまった方がいるんではないかと思っているんです。」
紗奈が茂さんとマスターを交互に見ながら答える。
「でもね〜。チョークをそんなに毎週使う部活なんて思いつかないんだよ。しかも、チョークを使いたいなら自分達で事務室に取りにいけばいいのに、わざわざ私たちの教室から盗むなんて、どうかしてるよ。」
冷ましたコーヒーを飲みながら、香織は愚痴をこぼす。紗奈は隣でその様子を見ながら微笑んでいる。
「マスターさん、何かお分かりになりますか?」
紗奈がコーヒーカップを持ち、自分もそれを啜っているマスターに声をかける。
「あくまでも仮説に過ぎないけど、一つの可能性はあるよ。」
コーヒーカップを置きながらマスターが答える。
「え、お兄ちゃんほんと?!」
香織が身を乗り出す。
「教えて!教えて!」
香織が少し興奮気味にマスターに答えを催促する。
「まずはコーヒーを頂こう。冷めてしまっては勿体無いからね。」
マスターは笑顔を見せ再び自らのコーヒーカップを持ち上げ、残りのコーヒーを味わう。香織は頬を膨らませながら、席に座り直し残ったコーヒーを一気飲みする。香織の様子を見て紗奈と茂さんは微笑みながら、紗奈も残ったコーヒーを飲み干した。




