第2章.灰色
「─────君、気まぐれ部に入らない?」
夕焼けの日差しが瞬く間に教室を埋め尽くした。
明。秘暮明は、気まぐれ部の勧誘の為、光のクラスを訪れていた。気まぐれ部の活動内容。困ってる人を見つけたら助けるという名目で町探検をしたり、学校の警備をするという名目で毎日お泊まり会をする。まあ他にも諸々あるが、主に活動内容として考えていたのはこれだけだった。
その時、光には、光がなかった。
髪の毛はボロボロで、服も真面目な生徒という感じで第1ボタンまで締めているような、これと言って特徴の掴み所のない生徒だった。
光の耳に、明の言葉が空気振動をもって伝達される。軽い口調だった。例えるなら、今どきの女子高生が、友達をカラオケに誘う時ぐらいには軽かった。でも、それでも、
光には、十分だった。
光は、首を縦に振ると、にこやかに、笑った。次に、明は縁、悠介、千則に淡々と声をかけ、「気まぐれ部に入らない?」などと声をかけた。理由は光にさえも分からなかった。何故その3人を選んだのか。まあ只々その3人がたまたま仲良く話していたからかもしれないが、それとも適当に選んだのか。明は再び軽い口調で莞爾たる表情を見せた。3人の答えは全員同意だった。理由はまたしても分からなかった。活動内容に惹かれたのか、それとも光と同じだったのか。千則、縁、悠介は、光と同じく首を縦に振った。
こうして、気まぐれ部のメンバーが揃った。冷静な光や縁、厨二病の明、元気ハツラツで周囲のムードメーカーな悠介と千則。バランスの良い構成だった。しかし、気まぐれ部が出来て以降、喧嘩は当たり前のように起きていた。悠介が縁の下着姿を見て千則に怒られたり、千則と悠介がはしゃぎ過ぎてうるさいと他の部の顧問に叱られ、あんたが悪いあんたが悪いと言い合いになったりしたこともあった。ただ、いくら喧嘩しようとも、仲直り出来た。次の日の朝には、元通り。多少引きずる事はあろうとも、それを互いの中を悪くする為に使おうなどという不届き者はいなかった。6限目の授業が終わり、担当の掃除をした後、放課後毎日必ず部室に集まっていた。今となっては、明や光達にとって、この学校は、家のようなものだった。結構な頻度でお泊まりしているし、そんな気まぐれ部メンバーはある意味家族のような関係値にあった。みんなで過ごしたこの学校。狭くて、広くて、沢山の思い出が詰まっているこの学校。明や光は、毎日毎日、学校に登校する事を異常な程に楽しみにしていた。その為、金曜日の放課後や、土曜日、日曜日、祝日になると、学校が休みなので、寂しくなる事もあるが、土日祝日のような休みの日はみんなで定期的に集まってまたまたお泊まり会やカラオケなどの遊戯に耽っている為、それも問題はなかった。この学校、七千沢高等学校には、思い出が沢山詰まっている。みんなで作り上げた部室。体育祭や文化祭で盛大な行事を行った校庭。みんなと食事を共にした食堂。
─────その全てが、今、灰色に染っていた。
「学校……だよね…?」
明がガクンと体制を崩し、女の子座りになった。正座の状態で膝から先を横に開くと、このような体制になる。しかし明は、無自覚に、それを起こしていた。明の視界にあったのは、灰色の世界。いや、性格には、白と黒の世界。濃い灰色と、薄い白が混ざり合う世界だった。世間一般的に言えば、モノクロと言うのだろうが、明にはそんな事すら考える余地もなかった。全てが、モノクロに見える。学校。青空"だったもの"、木製の床。全てが、明の眼には、白と黒の世界に見えた。明はゆっくりと立ち上がる。怪訝な顔で不安を露わにして、辺りを見渡す。
「ここ…本当に現実……?」
分からないまま周囲を見渡していると、数分が経った。しかし風景は変わらなかった。
「そ、そうだ…みんなを探さないと……」
明はもう1種のパニック状態だった。さっきまであんなに楽しそうに話していたのに、食堂にいた人間が全員消えている。それだけじゃ飽き足らず、ガラス板は割れ、外で遊びたい生徒で賑やかになっていた校庭も、朽ち果てていた。
初めての現象に、明の心は混沌としていた。
まもなくして、明は食堂を抜け、渡り廊下に辿り着いた。渡り廊下には、たった1つの地蔵があった。見た事もない程に不気味な笑顔をした地蔵。その目は、どこに立っていても、ずっとこちらを見ているように見えた。まるでミステリーアートのようだった。
「地蔵……?こんな所に置いてあったっけ、?」
明は手を交差させ、肩に置いた。何処か冷えを感じるのだ。
「寒い…今って夏だよね……」
そう。夏。しかし何故か、地蔵を見ていると、体は温まる事を許さず、冷えを強制された。
「……うぅ怖い…早く行こ…」
明は冷えと恐れから逃れるべく、地蔵の元を立ち去ろうとした。
──────はずだった。
目の前に。千則が。立っていた。
「…千則ちゃん……?千則ちゃん!?」
明は千則に近づく。
「やっと見つけたよぉ…もう急にいなくなるから心配しちゃったよー……」
明の目には、まだ黒と白の世界が、広がっていた。しかし、目の前にいるのは千則だ。それは認識できた。千則の手を握ろうと、手を伸ばした途端。千則がくるりと回って後ろを向いた。そして。走り出した。
「え!?ちょっと!千則ちゃん待ってー!!」
心昂った声色で千則を追いかける。明は心を安定させるべく千則を追いかけた。千則は渡り廊下を抜けて、本校舎へと入ると、下駄箱を通り抜け、正面左の角を曲がった。その背を追うように明は同じ動作で角を曲がった。その瞬間。体にふわりとした感覚が与えられる。まるで体が浮いているようだった。いや、正確には、
──────落ちていた。
角を曲がると、その床には大穴が空いていた。縦横5メートルの空間に、底が見えない大穴が空いていたのだ。明の体はふわりと浮かぶ。
「…え?」
明の体は重力に従って落ちていく。明の金切り声が空洞に響き渡る。明は落ちる。どれ程に続いているか分からないこの大穴で。明は目を閉じた。恐怖からくるものだった。死にたくない。現実を見たくない。怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
まもなくして、明の耳に、誰かの声が聞こえた。
「明ちゃんっ」
千則の声だった。明は目を開けた。淡い期待を抱いて、千則の声に期待を抱いて。目を開けた。そこにいたのは──────真っ黒な目をした、裸の千則の姿だった。
「一緒に……逝こ?」
その眼からは、黒い何かが溢れ出し、口元はニヤリと不気味に開いた。明は叫んだ。いやああという声と、きゃああという悲鳴と。重なった声は、まるで人間から発せられる声ではなかった。そして。
ぐちゃっ。という音と共に、明の人生は幕を下ろした。
──────目が覚めたら、明は校庭を眺めていた。校庭は朽ち果て、校庭と食堂の境界線を示すガラス板は割れ落ちていた。女の子座りをして重力に身を任せていた。
「っ!??」
明は感じた事の無い恐怖感と、吐いてしまいそうな気持ち悪さに襲われた。首に違和感も覚え、過剰に恐怖を感じたせいか、過呼吸を引き起こしていた。
「……っはっはぁはぁっはぁ……はぁ…っはっ…はぁ……っ!はぁはっ…はぁ……はぁっ…っはっ…」
失禁を起こし、体のありとあらゆる所から体液が溢れ出す。涙でぐちゃぐちゃになった顔には、そこにはもう恐怖で支配された残酷な人間の姿しか無かった。数刻して、明は再び息を吐いていた。過呼吸の影響か、顔が痺れ、震える。
「な…なに…はぁっ、が……起こっ…はぁっ、?」
言葉がまともに声としてでないのか、途切れ途切れの言葉として、外に排出された。
明は再び数刻してから、落ち着いたのか呼吸を整えた。
「…………」
動けなかった。恐怖に駆られたのだ。浮いた。と思ったら落ちていた。さらに最期に見た千則の愛憎を帯びた顔。恐怖を感じざるを得なかった。どれくらい滞空していたのだろう。人生の何十倍も長く感じられた。そして、滞空した後に待っていたのは。全身への恐怖と衝撃。最初に頭から、首、脊椎、肩、腕、肋骨、腰、足。順番通りに砕け散った。明への痛みは一瞬だったが、それだけで十分だった。明の心は、崩れていた。
「……っ」
右手で左腕を掴む。恐怖と震えを抑えるためだった。
「……なん……だったの…ゆ…夢……?」
明は震えを我慢しながら、立ち上がる。周囲を見た。この世界は。そう。
──────灰色だった。