第5話 空から女の子が
空砲めいた破裂音とともに、轍は動甲冑の足元へ〈転移〉する。泥に滑り、バランスを崩し、ぶっ倒れる。動甲冑が信じがたい速度で反応し、上体をひねり、ワインボトルの太さの5指を伸ばし――引きちぎる。カジュアルな群青色の陣羽織だけを。
轍は新月刀を腰だめに構え、その非鉄金属のブレードに〈叫喚の術〉をかけ――3分前までは白鴉の巫女のヒヤシンスいろの髪を飾っていたムーンストーンが術具の駆動機構の中で粉微塵に砕け散り――柄まで通れと動甲冑の横腹へ突き刺した。
〈叫喚〉する即席の超音波メスが火花の飛沫をあげて鋼の装甲を食い破る。その奥の機関部に尖端が達し、動甲冑が身をよじり、たたらを踏み――泥沼と化した花壇に脚がはまる。轍は運命に感謝しつつ、ベージュの豚革の手袋で新月刀の柄頭をさらに押し込み、ねじり込み……。
動甲冑は停止した。灼けた鉄板に水滴をこぼしたような、じゅう……という音が鳴り、白い蒸気が腰部の関節から立ちのぼる。このタイプの動甲冑の潤滑油に使われる薔薇の香油の臭いが鼻についた。
ただし……そう、自分の人生はいつも『ただし』の連続だったなと山道・轍=燕雀は思いなし、なんとか立ち上がろうともがく。
動甲冑は停止した。ただし、下半身だけ。
鉄の巨人の上半身はけたたましい金切り声をあげながらも駆動をつづけ、きらめく豪雨を飛び散らせ、鉄の腕をふりあげる。
機関部がふたつあるタイプだったらしい。だとしたら操縦室を狙うべきだったな、と轍は思った。つくづく僕には戦士の才能というやつがない、とも思った。
鉄拳が振り降ろされる。転がって避ける。泥飛沫があがる。〈転移〉を――と思った瞬間、術具を落としたと気づく。どこだ? 鉄拳がえぐったクレーターの真ん中に平べったい金色の残骸がちらついた。30万錬もしたのに。逃げよう。逃げられない。脳震盪か。立てもしない。なのに、なぜこんなに心が落ち着いているのか。
これが運命だからかもしれない。
鉄拳が降るさまがスローモーションで彼の瞳に映る。走馬灯にしては茶色く黄ばんだ思い出が、0.8秒後に砕け散る予定の頭蓋骨のうらによぎる。
山道・轍=燕雀。その名前は「山の道の、車輪が通った跡の、小鳥」を意味する。途方に暮れた惨めな小鳥。醜く焼けただれた右の半面と、それにくらべれば美しく見えるが、じつはありふれた平凡な左の半面の顔をもつ少年は、自分が少年ではなく男の子だったころに、白い花咲くこの中庭で、幼なじみの女の子に大きな夢を語った。
いつかラピュタを見つけるんだ、と。
あの伝説のラピュタを探しに旅立とうとしない男の子はこの世に存在しないし、もしいたとしたら、そいつは男ではないのだが、もちろん本当に旅立つ者はいない。ほとんどの男は地に足をつけて、天上ではなく地上の国を愛して、いつかその土に眠る。
だが、轍はちがった。〈ひと夏の大戦〉で骸靼の飛行艦隊が錦秋加を瓦礫の山に変えた日に、おそらく家族と、記憶と、もしかしたら正気を失って、ささいな官僚主義的な事務手続きのミスから無国籍者となり、この〈白鴉聖統教団学び舎区寺院〉にあずけられた。
おおかたの善人が涙ぐむ経歴ではあるが、おおむね本人は幸福であった。白鴉教徒は古本と古着を商っており、この学識の国の瑞燈の、その主都にして古都たる瑞倫の、それも学生街の学び舎区とあらば、読み耽る本に困ることはなく、幻想譚を愛する彼にとっては居心地がよかった。
だが、食堂でみんなと食べる暖かな料理が、じつは近くの大学の“食べ残し”(正確には食品ロス)の施しだと知ったときは、子供心にショックをうけた。そのことだけを妙に覚えている……。
貧しい白鴉教徒として生きることを拒み、少年は旅立った。15歳のころだ。家出とも言う。
そして1年で世界を一周した。あの伝説の樂秘多を追い求め、可憐紫苑《カレンジオン*》の冥い海を渡り、風荒ぶ蒙愚扉の山嶽を越え、砂漠に眠る劉馬の廃都を漁り、そして……そして結局、この街にもどってきた。
轍は無意識のうちに首飾りの古銭を握りしめていた。どの時代の、どの国でも鋳造されたことのないコインには、表に未知の言語と天国の砦が彫られ、裏側は削り取られている。世界を一周して発見できたラピュタの証拠といえば、結局これだけだった。
とどのつまりは因果がひとめぐりしたのだろう。つつましい中庭の霊園に、いつか遺灰となって眠りにつき、白い花を咲かせる。ただそれだけの人生を拒み、天上の国を求めて旅立った少年は、まさにその中庭で、泥と白い花びらと犬の挽き肉にまみれて、0.5秒後に人生を終える。
よくできた寓話だ。そして……お話はこれでおしまいだ、と少年は思った。
その刹那、泥から空を見上げる少年の瞳に青いきらめきが映った。
硝子の色をした雨が降る瑠璃色の空の彼方、まるで次元が引き裂かれたような傷が開き、縦一文字の光の線が走る。この都では晴れの日に雨が降るだけではなく、流れ星まで降るのか?
先行したのはイメージだった。大太刀、一閃、一刀両断、真っ二つ。
イメージが認識に追いついたときは現実になっていた。
唐竹割りにされた動甲冑が歯車とシャフトの骨をこぼしながら、切断面をさらして両側に倒れた。潤滑油の薔薇の香油が流れ、鼻をえぐる匂いをばらまく。
雨があがった。泥濘だらけの中庭に、陽射しで編んだ光の網が投げかけられ、七彩の虹のアーチがかかる。
ひとりの少女がいた。
少女が濡れた髪をかきあげると、水滴が引きちぎられた真珠の首飾りのように飛び散った。
その髪の色は植木にした大太刀と同じ鋼の色。土曜の午後の春風が優しく吹くと、光の加減で白銀から黒鉄の艶に波打ち、毛先が黄金の粒子を散らしたり、あるいは赤銅にきらめいたりする。
春の陽に照らされた、花の顔。桜色のくちびるには紅もさしていない。左の額には雀の色と形をした傷痕が刻まれ、左目はミリタリー風の眼帯、右目は古風な片眼鏡におおわれその奥の瞳は金糸雀色。
囚人の首輪のように無骨な高い襟がついた上衣は、山鳩色と鳶色の迷彩柄で、その上から丸みを帯びた胸当てを革のバンドでぎっちりと嵌めている。
タクティカルなデザインの作業用ズボンは狐色で、その下には駱駝色の膝当て、脚絆、そしてなぜか靴だけ女学生風の土竜色の革靴で、つま先には白い花と黒い泥がこびりついていた。
山道・轍=燕雀は齢17にしては、いろんなものを見てきたし、いろんな目にあってきたが、今の状況がまったく飲み込めなかった。
どうにか視線をあげ、土竜色の靴から金糸雀色の瞳をみあげた。心持ち吊りあがった少女の片目が瞬きもせずにこちらを見つめている。どこか猛禽類の、それも梟のような夜禽を思わせた。
少女は少年と目が合うと、やはり梟のように小首を傾げ、こう言った。
「すみません。この異世界は何と言う名前ですか?」
その言葉の意味も意図もまったく理解できなかったが、轍はようやく事態を把握した。
女の子が空から降ってきたのだ。
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訳註
*錦秋加……瑞燈第三の都市。〈ひと夏の大戦〉で骸靼の飛行艦隊による絨毯砲撃を受け、焦土と化した。
*可憐紫苑……未開の小大陸。温暖な気候でありながら、地震と火山噴火の多発地帯や、底なし沼の広大な湿地帯など、人類の居住には適さない土地が大部分を占める。
*蒙愚扉……蒙愚亜大陸の別名。亜大陸全体の標高が高く、ほぼ全域が高山及び高原地帯。
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