第4話 動甲冑との戦い
すかさずジャッコウドへ〈紫電の術〉を放つが、大気中の埃で気中放電がそれ、すかさず放った2発目も赤ん坊を抱くような鉄の腕に弾かれる。オゾンの臭いが無益に漂う。
「じゃあな、サンドー・ワダチ=エンジャク。我が心のライバルよ。ラピュタに一番乗りするのはこの俺だ!」
ジャッコウドは鉄の指のすきまから白い歯がきらめく無邪気な笑顔を見せ――消えた。今ごろは漢那土の隠れ家に〈転移〉して革張りのカウチ・ソファーにでもダイブしているだろう。
だが、轍はそうは行かない。
「食堂まで走れ。できるな?」
「でも――」
「でもじゃない。さっきの勇気はどこへ行った。いいか、3秒数える。僕と自分の運命を信じろ」
動甲冑が本格的に駆動しはじめた。機械仕掛けの轟音がうなりをあげる。乾燥重量は3トン前後か。巨大な時計塔の臓物が蠢くよう。
「――3!」
扉を蹴り開ける。3頭のハイエナどもがよだれを垂らして、“待て”をしていた。お行儀の良い畜生だ。流れるように〈叫喚の術〉を発動する。北極産の橄欖石1顆(時価3万)が砕かれ、指向性の音波をぶっ放す。
「――2!」
“音の壁”にもろに当たったハイエナが口から泡を、耳から血を出してぶっ倒れる。だが2頭も逃した。2頭も! よろめき、身をよじりながらも、いまいましく距離を取る。さらにその後ろにウルフドッグがわく。口から血まみれの泡を吹いていない。狂犬病キャリアではない。ちゃんと訓練されたタイプだ。2頭のハイエナにそれぞれ2頭ずつ、合計4頭の牝犬どもが従順につきしたがう。完璧な布陣。
「……1」
ふるえる男の子の肩をつかみ、ありもしない自信がつたわるよう強く握る。頼む、信じろ。
轍は〈火線の術〉をアンダースロー気味に2発はなち、猟犬の群れを牽制しつつ、死者を悼む白い花園に2本の直線を引く。お天気雨にぬれた花や葉叢は燻り、白い煙幕をあげる。猟犬どもが吠える。視線を背後に配ると、動甲冑が床板を蹴破り天井の梁を頭突きで粉砕しながら突撃してくる。
「0!」
背中をたたくと、10歳の男の子は白煙のラインの間を駆け出した。自分が10歳のころは腰抜けのクソガキだったのに、この子は本当に勇者だ。そう、轍は思った。
轍は中庭を〈転移〉で飛び越え、ゴールに先回りする。しかし他人を〈転移〉させることはできない。「こっちだ! 来い!」煙幕を抜けてこちらへ駆け寄る男の子へ叫びつつ、食堂の扉を叩く。「開けろ!」天降石が汗にぬれた顔を出す。「轍! あの子は!?」「今来る!」
ふりむくと、2メートル後ろで小さな勇者が転んでいた。シューズの紐がほどけていた。その両わきは運良く枯れた薔薇の藪に守られ――「耳をふさげ!」――藪を飛び越えたハイエナに〈叫喚〉をぶちこむ。人間の赤ん坊のような悲鳴をあげてハイエナは白い鈴蘭の花壇に頭から落ちる。だが、音の壁が白い煙幕もかき消してしまった。血に飢えた畜生どもが殺到する。轍は男の子に駆け寄る。耳から血は出ていないが、〈叫喚〉の音圧がかすったのか、ふらふらしている。脇の下に手を入れて引きずりあげ――なにかつぶやいた。意識はある。よかった――両手を広げた天降石に押し付けた。「轍も――」「閂をかけて奥にいろ!」門扉を蹴飛ばして、無理やり閉じた。かっこよく決まらなかったらしく、「ふぎゃっ!」と門扉に頭をぶつけた天降石の悲鳴がちょっとだけ漏れて聞こえた。
全高3メートルの動甲冑が中庭の中央に立っていた。
腕の長い類人猿型。骸靼製、メーカーは獅子工廠㈱か。
10年前の〈ひと夏の大戦〉で、転移による斬り込み戦術に苦しめられた骸靼は、補給部隊を機械仕掛けの板金鎧に守らせることにしたのだ。剣士が復活したのだ。甲冑が復活しないわけがない。
一体どこからの横流しだ? どうせ例の失敗国家、弾怒《ダンヌ*》あたりだろうが。搭乗員は退役軍人か傭兵か。いずれによ、銃火器は取り外されている。なんて喜ばしいんだ。愚かな密猟者をからかうジョークを思い出す。『このマンモスには象牙が生えてない。これなら楽勝だな』
動甲冑は明るい日の下で見ると、ずんぐりむっくりとした輪郭に、光沢のない黒のメインカラー、そして関節やジョウントを骨の色のセラミックでカバーしているので、どことなく白黒の熊猫っぽい遊園地の着ぐるみに見えないこともない
ハイエナどもはマンモスサイズの鉄のパンダを仲間だと思うようには調教されていないらしく動甲冑の進路をふさぐように立ち塞がり――払いのけられた。大きいものは動きがゆっくり見えるので、まるで「ちょっとどいてね」と優しく脇に寄せただけに錯覚したが、湿った破裂音とともに中庭を囲む東の倉庫の壁に何かが叩きつけられ、血と肉のピザになった。5頭分の、生焼けの、血がしたたるほど新鮮な。
その勢いのまま、動甲冑が突っ込んでくる。
轍は紫水晶を砕き、動甲冑に〈飛行の術〉をかけ、重力の鎖を断ち切る。その結果、重さはゼロだが、およそ3トンの質量をもつ謎の物質に変えられた鉄のパンダはバランスを崩して転倒し、まちがって砂浜に乗り上げたシャチのように泥の上を滑り、浅い溝を掘って、壁に突っ込んだ。血と肉のピザが貼り付いた壁へ。
「こちら山道! クトゥルフ教団の動甲冑と交戦中! 至急応援を求む!」
『すまん、あと40秒だけ耐えろ』
「それは永遠です――交信終了」
壁の穴から動甲冑が這い出してきた。丸みを帯びた白黒の装甲が泥水にぬれている。こうしてみるとシャチにも似ている。轍は中庭を横切り、食堂ではなく西の壁を背にした。だが、なぜか《・・・》二足歩行の鉄のシャチは、みなが立てこもる食堂へ歩きだす。もう残弾は天降石にもらったムーンストーンと汎用の小粒ダイヤモンドしかない。|なぜ最初にルビーを使ったんだ《・・・・・・・・・・・・・・》。轍は自分を呪いながら、小粒のダイヤに罅をいれ、〈火線〉のレーザーを放ち――次は世界を呪った。
雨だ。
山脈と地中湾に囲まれた瑞倫は、奇妙な気象条件をもち、晴天にもかかわらず雨がふることから、お天気雨の都、日照り雨の都、妖狐の嫁入りの都、太陽が泣く都とも呼ばれる。
黄金金剛石の色をした日輪が輝く天が下に、水晶と蛋白石の綴れ織りのような驟雨がきらめく光景は、王朝時代より数多の詩に謳われてきたものの、もっかの問題は、このギラつく土砂降りの雨が〈火線〉のレーザー光をいちじるしく減衰する効果をもつ点だ。
案の定、〈火線〉は雨粒に乱反射し、プリズムの虹をばらまき、動甲冑の頭に灼けた引っかき傷をつくる。それだけだ。
動甲冑が振り向く。赤い潜望鏡の目玉がまばたきをしたように見えた。いや、まぶたではなく雨粒をぬぐうワイパーだった。雨天でも視界不良にならないらしい。最悪の品質保証。
轍は中庭の反対側に〈転移〉する。後ろ姿の動甲冑が一瞬前まで彼がいた場所に鉄拳をふりおろし、逆さまの土砂の滝を噴き上げ――ギロチンと猿の速さでこちらに振り向き、躍りかかり――轍はまた〈転移〉し、崩れかけた礼拝堂の屋根の上に着地し、鼠色の粘板岩の瓦を割り、その欠片が滑り落ち、花壇の煉瓦にあたって音を立て――まるでその音が聞こえたかのように動甲冑が空を見上げ……ふたたび反転して、食堂へと歩きだした。
轍は一瞬、あのカフェの前へ〈転移〉して、アメシストの叩き売りから宝石を接収したのち舞い戻り、感電死覚悟で〈紫電〉を零距離でぶっ放すか検討し――却下した。無駄で、無意味で、時間がない。
いや、待て。そろそろ40秒くらいは経ったのではないか……? そうだろう? いまにも先輩の騎行師たちが(騎行師補ではなく)さっそうと〈転移〉して応援に駆けつけてくれる。瑞倫市警が誇る境界警備隊だって黙っちゃいない。中古で非武装の動甲冑なんて一瞬で片付けてくれる……。
それに、いくらなんでもあの動甲冑だって、それほどひどいことはしないだろう。王朝末期の恐王の御代じゃあるまいし、何の罪もない白鴉教徒の巫女や孤児の四肢を生きたまま引きちぎって生肉の胸像にするなんて馬鹿げてる。いまは18世紀だぞ。
「…………」轍は思う。陽光にきらめく横殴りの豪雨のなか、醜い左の半面が無益な液体を垂らす。屋根の上からみおろせば、霊園を兼ねる白い花壇の中庭は、焦げた茨と犬の残骸が浮かぶ田植え前の水田のよう。
轍は術具を起こした。
最後の香りのムスクとパチュリとレザーの香り、黄昏の水平線の香りが泥の香に混じる。
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訳註
*漢那土……抹独最大の都市。犯罪都市として悪名高い。
*骸靼……骸靼専制公国。中央大陸〈中つ国〉地方に位置する共和制国家。〈国民総貴族制〉という国民皆兵制度と、〈俸禄〉という国民所得補償で知られる超大国。
*獅子工廠㈱……骸靼の軍需企業。硫国連合市国、統鐘琳土自由民同盟、珱典太公国、新弾怒自治国など、骸靼の同盟諸国で高いシェアを占める。
*弾怒……新弾怒自治国。中央大陸〈中つ国〉地方南東端に位置する寡頭制国家。骸靼と五大国の緩衝国のひとつ。〈内つ国〉地方の新興国、牙黎及び統一弾怒方伯領との混同に注意。
*マンモス……北極大陸の凍海沿岸部に棲息している大型哺乳類。現地人が夏季に毛刈りをしてやるかわりに、人間は獣毛を得て、マンモスは夏の暑さをしのぐなど、良く言えば共存、端的に言えば半家畜化されている。人間の扱いに慣れており、密猟を試みた冒険者の死傷者が相次いでいる。
*境界警備隊……国境警備隊のこと。転移の〈術〉が普及して以来、『国境』の概念は曖昧になったため、より柔軟に活動できるよう改名・改編された。先進的な瑞燈固有の部隊。
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