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みんな病んでやがる

作者: 雉白書屋

「課長、お先でーす」


「あ、うん……ちょっと早いけど、まあ、お疲れ様……」


「え? 今何か言いました?」


「いや、いや全然……」


「そうですか。まあいいでしょう。あ、それでなんですけど来週、私、休みを頂きたく」


「え、ええ!? き、きみ、先月も一週間休んだじゃないか!」


「ええ、ですがどうも新しく医者に診てもらったところ、あなたは働きすぎだと言われましてね……」


「そ、そうか、いや、うーん……」


「何ですか? お疑いになるのならお見せしましょうか?」


「ああ、いい、いい! 出さなくていい! わかったよ……でも君、再来週は頼むよ? 大事な取引があるんだ。君に休まれてしまうと困るんだ……」


 そんな言い方すると、それがまたプレッシャーになって良くないですよ。と、おれは言おうとしたが、そうなると今度は課長の奴が参ってしまう。課長もそれが分かっているからせめて少しでもやり返してやろうとそういう魂胆なのだろう。額に汗を浮かべながらもニヤッと笑みを浮かべているからわかる。

 虚勢も虚勢だが、ここは一つ、顔を立ててやることにし、おれはわかりましたと素直に答え、会釈し会社を出た。

 コンビニに立ち寄り、水と缶コーヒー、それにオニギリ一つを手にレジの前へ。が、店員は椅子に座ったまま立ち上がろうとしない。


「すみません」


「……っす」


 返事か呼吸か分からない。ちらりとこちらを見た気もするが、もう一回呼びかける。


「すみません。これお願いします」


「……ふぅー」


 おれはイラっときたが我慢だ。怒鳴ればこちらが不利になる。奴はそうやってアドバンテージを得ようとしているのだ。


「すみません。レジお願いできませんか」


「……はい」


 三度目だ。これ以上の無視はさすが向こうの立場が悪くなる。小賢しいやつだ。それが分かっているのだろう。しぶしぶ立ち上がり会計を済ませ、おれはコンビニを後にした。

 駅に着き、電車に乗るとやはりか。ちょっと早めに会社を出たつもりだったが満席。おれは座席に座っている中から気になった乗客の前に行き、ふぅーと一息。先程のコンビニでは不発だったため、意欲は十分だ。おれは勝負を仕掛けた。


「すみません。席を譲っていただけませんか?」


 老人がチラリとおれを見上げ、溜息を吐いた。

 若造が。そう言っているように感じた。舐めるなよ。おれは胸ポケットのケースからODGAカードを出し、老人に見せた。


「ふむ……」


 老人はそう呟くと、おれと同じくポケットからデッキケースを取り出し、カードを取り出した。

 グリーンと焦げ茶色のカードの二枚。おれはつい鼻で笑いそうになった。意外や意外。雑魚だ。グリーンは耳が悪いことを意味するカード。そして焦げ茶の方は七十歳以上であることを示すカード。どちらもワインレッドのおれのカードには及ばない。

 ODGAカード。これは強いストレスを感じるとパニックを起こすことを意味するのだ。数ある精神障害系のカードでも上位に位置する。医師の診断を受け、発行を許可されたGFTカードとSDDカードの二つを所持した上でさらにFFDRと診断され、ようやく手にできるカードなのだ。

 初手から最強カードを切ってしまった、そんなめんどくさがり屋のおれは無気力症候群の気があるのかもしれない。


「……ふっ、これで終わりかと思うたか?」


「そ、それは……!」  


 おれは驚いた。老人がなんとMMPDのカードを出してきたのだ! さすがは年の功と言ったところか。抱えている病気のケタが違う。もう少し粘ってもいいが、ここは素直に負けを認めよう。……ただし、お前は逃さないぞ。


「あっ」


「席を譲ってもらえないか?」


 松葉杖を手に握りしめ、足をギブスを巻いた男の前に立ったおれはそう言った。

 足の骨折。確かに視覚的なインパクトはあるが、所詮は体の怪我。治る病だ。おれが所持する精神障害に比べたら大したことはない。それにまだ若い。持ちカードも大したことはなさそうだ。おれの方が強い。それが分かっているのだろう。この男は、おれと老人の勝負の最中、チラチラとこちらを気にしては青ざめた顔をしていたのだ。

 おれはこれが狙いだったのだ。雑魚を炙り出すためのな。尤も、老人のレアカードを拝みたかったのもあるが。

 男は立ち上がる際「うぐっ」とわざとらしく声を上げ、恨めしそうにおれを見ながら席を譲った。

 病んでないお前が悪いのだ。と、席に腰を沈め周りを見れば、ハートマークが描かれたカードを鞄に取り付けている男、水色で『席を譲ってください』と書かれたカードを同じくケースに入れ、首からぶら下げている男。それに妊婦がおれに羨望の眼差しを向けていることに気づいた。奴らもあの男を狙っていたのかもしれない。モタモタしているからだ。雑魚どもめ。自分から行動しなければ話にならないというのに。

 おれは心地良い勝利の余韻と電車の揺れにゆらりゆられて自宅最寄駅まで座り続けた。

 電車を降り、駅を出て馴染みの薬局に寄り、家路につく。

 

 

「ただいまー」


『えー、間もなく容疑者が姿を現します』


 家に帰り、リビングに行くと妻がテレビそっちのけで、何やら書類とにらめっこをしていた。


「……ああ、おかえり。夕飯はテキトーに済ませてちょうだい。今忙しいんだから、はぁ……」


『危険運転で八人を死傷させた容疑者が、ああっと今! 警察署から出てきました!』


「ああ……ところで、それはなんだい?」 

 

「これ!? あの子が通う高校の資料よ! まったくもう! あの子のカードじゃどこも枠に入れないじゃないの!」


 それは高望みするからだろう。試験は学力と有している精神障害で合否を判断されるが、学校というまた一つの社会の中で重視されるのは学力のほうだ。

 精神障害者の枠も別で設けてあるが、そこを狙い集まるのは全国の猛者たちだ。

 社会に揉まれ、発症する者が大半を占める中、若い身ながらに精神障害を有する言わばエリート。そこと渡り合うのは、このおれでも難しい。あの子の学力とカードじゃ名門校は狙えないだろう。おれが何度そうやんわり言っても妻は聞く耳を持っていない。彼女にはグリーンのカードを取らせてもいいかもしれない。


『検察は起訴しない方針です! 被疑者のカードの強さを鑑みてのことでしょう! 無罪! 無罪です!』


「ここ! ここの先生なら簡単に診断書を書いてくれるわ! それからここは奇声に弱いからそれで出してもらって……あ! ふふふふ、ここの先生はね! 自分の鼻にコンプレックスがあるのよぉ! そこを重点的に攻めれば発狂して何もかもどうでもいいってなってきっとカード発行まで漕ぎつけるわぁ! うふふふあの子にはもっと強いカードを持たせなきゃね!」


「なあ、そんなに無理しなくてもいいんじゃないか?」


「……無理? はぁ? 無理って何よ! 私は精一杯やってるのよ! いつもいつもね!

……何よ。私が悪いから当然って言いたいの!? あーはいはい! 私が悪いんですよね! 私があの子をおなかに抱えている間にもっと薬漬けにしなかったから強い障害を持って産まれてこなかったんですもんね! そうなってたら補助金も家も車も働くどころか遊んでうううううきぃぃぃぃぃぃぃ!」


『ああっと! 被疑者が! いや元被疑者の方が今、刺されました! 被害者の遺族でしょうか! ああっとカードを掲げています!     

そして、きっと今回の件で新たなカードを取得するつもりでしょう! なんと羨ましい! あ、滅多刺しに! うわああ、血が! あああああ、きぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!』


 さすが、おれの妻。いいキチガイっぷりだ。今ではこれも誉め言葉。

 ヒステリックな妻の叫び声に鼻歌を合わせながら自室に入ったおれは机に並べた錠剤を口の中に放り込み、水で流し込んだ。

 おれのために特別に調合されたものだ。これがないと駄目なんだ。おれをおかしくするこの薬が。

 当然の話だが、病気が治ればカードを剥奪されてしまう。この世の中、強いカードを持たない者は生きていくのに不利になる。それだけは御免だ。

 おれはオニギリを齧る。味がしない。泥を食っている気分だ。缶コーヒーで奥へ流し込み、一息。

 落ち着く……そう、こんな時ふと、何かおかしい気がするなと思うが、まあ良いのだ。そうだろ? そうだとも。今の世の中になってから精神病院というものはなくなった。つまり、精神障害を抱える者たちも、うまくこの社会に溶け込んでいるということだ。

 平等平等。その昔、誰かが願った優しい世界となったのだ。


 ――今のやつはどんなカードを持っているのだろうか。

 

 そう思い、窓の外から聞こえる誰かの奇声に耳を澄ませる。

 おれもまた叫び声をあげた後、ゆっくり瞼を閉じ、まどろみの中、落ちていく感覚に身を委ねた。

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