いたけだかおうじょさまと、げぼくれいそく
妙に美しい幼児だった。
本当に血が通っているのか。
思わず、肌に触れて体温を確かめずにはいられないような。
不気味というのとも少し違うが、果たしてこやつは、飲んで食べて排泄をするのだろうか、と首を傾げてしまうような。
そのような、つくりものめいた様子があった。
初めて顔を合わせたときなど、こちらをじっと見つめて突っ立ったまま動かないものだから、てっきり新しい人形でも与えられたのかと思った。
だから。
「ほう。これはじつに、おおきなにんぎょうだな」
その美しさ、精巧さに感嘆した。
そして、すぐ後ろに控える、世話役の侍女へと振り返り、目の前に置かれた、美しい男児大の人形を指さした。
なにしろ当時、ようやく六つの年に届いた頃だったのだ。
人形遊びはとくに好むものではなかった。
しかし、こどもながら贅沢に慣れきった、王女の身にあったわらわですら、これまでに見たことのないような、見事な人形だったのである。
わくわくと興奮しない方が、可愛げがないだろう。
だが、わらわの賞賛に、侍女がうっと息を詰めた。
「なんだ。わらわは、なにかおかしなことをいったか」
尋ねれば、侍女はふうーっと、細く長い息を吐き出した。
この態度。無礼だな、とわらわは思いきり眉をひそめた。
侍女は冷たいまなざしをわらわにくれた。
そして。
「指をさしてはなりませぬ。御手をおろしてくださいませ、殿下」と、これまた冷たい声色で言った。
「う、うむ」
侍女の気迫に押され、思わず手をおろした。
行き場のない手をにぎにぎと動かしていると、侍女はさらに「おとまりください」ととどめを刺した。
わらわはぐう、と唸った。
その間も、目の前の大きい人形は、ぴくりとも動かなかった。
きらきらと輝く紫苑色のガラス玉の瞳が、こちらを凝視していた。まばたきもしない。
先ほどは「不気味というのとも少し違う」と言ったが。
いや。こうして思い直してみれば、やはり不気味だな。
「――殿下。こちらはお人形ではございません。ファルマス公爵がご令息にございます」
こほん、と咳払いをした後、侍女は目の前の人形について、そのように紹介した。
「ファルマスこう? あのいえのだんじとは、すでにめんしきがある。ふたりおったろう」
エインズワース一族本家、エインズワース=ファルマス家の長。
当代ファルマス公爵は、父国王の右腕として宰相を務める。
宰相ファルマス公が息子二人のことは、以前より知っていた。
底意地の悪い男児二人であった。
兄王子の遊び相手として、わらわがまだ歩けぬ赤子の頃から、やつらは王宮を我が物顔で闊歩していた。
やつら兄弟は、王女であるわらわを敬うふりで、兄王子、姉王女らと一緒になって、けちょんけちょんにやっつけてくれた。
わらわより幾分年上で、実に貴族的な、嫌味な男児二人。
慇懃無礼の申し子。
たしかに目の前の人形と、やつら二人。面差しは似ていなくもない。
だがあの二人のような悪魔の影は見当たらない。悪魔というよりは、むしろ。
「にんぎょうではないとな。ならば」
じいっと食い入るように見つめてやれば、ようやくぱちりとまばたきをした。
その神秘的なまでに麗しい様子は、幻の種族、エルフを思い起こさせた。
就寝前、侍女がベッドわきで聞かせてくれる、おとぎばなし。
目を閉じ侍女の語りを耳にしていると、夢うつつの頭に浮かび上がる、美しいエルフのこども。
「こやつは、ファルマスこうが、かねとみぶんにものいわせ、とらえたエルフか?」
わらわの問いかけに、侍女がぶふっと吹き出すのと同時だった。
「いいえ。おうじょさま。ぼくはエルフではございません」
美しい人形のようであったこどもが動き、口をきいた。
わらわは侍女について、「主に対し、こやつはなんという無礼を働くのだ」とぷんすかするのも忘れた。
なぜなら、エルフのように美しいこどもが、そのやわらかい手で、わらわの手をすくいあげ、握ってきたのだ。
「ぼくはルドウィック」
エルフではないらしい、ルドウィックと名乗る美しいこどもが、わらわの手をぎゅっと握りしめた。
「ファルマスこうしゃくのさんなんで」
彼ははにかんだ。
「おうじょさまの、おむこさんになるおとこです」
なんと。
顔を合わせて半刻もせぬというのに、求婚されてしまった。
「エインズワース=ファルマス家がご子息とはいえ、継がれる爵位を持たない三男では、王女殿下を娶るのは難しいでしょうね」
侍女がわらわの耳元で囁いた。
わらわが何か、妙な夢でも見ないように。とでも、懸念したのだろうか。
侍女の声の調子は、鋭く尖っていた。
だが、そのようにわざわざ侍女に指摘されずとも、誇り高き王女として、わらわはもちろん弁えていた。
「それはむりだぞ」
胸をそびやかし、ルドウィックに言ってやった。
「なぜならわらわは、およめさんになるのだからな。おむこさんはとれぬのだ」
「そんな」
ルドウィックの紫苑色の瞳には、みるみるうちに涙が盛り上がった。
「ぼく、おうじょさまをあいしてしまったのに!」
ルドウィックの言葉に、侍女がこらえきれない、というように顔をそむけた。
侍女の身体はぷるぷると小刻みに震え、耳は真っ赤だった。
こやつ、誠に無礼である。
あとで父上と母上に叱っていただこう、と告げ口するのを心に決めた。
それから、この世に絶望したと言わんばかりに、瞳に光を失い、さめざめと泣くルドウィックに向き直った。
うむ。
これほどまで慕われるのは、悪くない。悪くないな。
「あんしんするがよい、ルドウィックよ」
「ルドってよんでください」
ぐすぐす泣きながらも、ルドウィック――ルドはぬけぬけと愛称呼びを所望した。
「うむ。ルド」
「はい。アンジェリカおうじょさま」
ルドは涙に濡れる真っ赤な目と鼻のまま、にっこりと笑った。
こやつ。
勝手にわらわの名を呼びよって。
いや。しかし。
「その、おぬしが、」
「ルド、です」
呼びかけから早々に遮られる。
なよなよと弱々しく泣いておったくせに、やけに強い口調で正された。
「う、うむ。ルドが、だな」
「はい」
改めてルドと呼びなおせば、ルドは輝かんばかりの笑顔を見せた。
なにやら眩しく、わらわは目をそらした。
「その、のぞむのであれば。もしも、だぞ?」
「はい。なんでしょう」
ルドはにこにこと嬉しそうに、ぐずぐずするわらわの言葉を待った。
「わらわのなを。その、あ、あ、アンジーと。そうよんでも、」
「アンジー! うれしいです! アンジー! ぼく、そうよびます! ねぇ、アンジー」
ふたたび遮られたかと思えば、わらわはルドによって、またもや手を取られた。
今度はがっしりと両手で。
そしてぶんぶんと上下に揺すぶられる。
その様子はまるで、しっぽをぶんぶんと、ちぎれんばかりに振る、わんこのようであった。
決めた。
やはり決めたぞ。
「ルド! おぬしはきょうから、わらわのげぼくじゃ!」
「はい! ぼく、アンジーのげぼくになります!」
ルドは満面の笑みで即答した。
すぐうしろで、侍女がため息をつくのがわかった。
その後、「げぼくだけじゃなくて、やっぱりアンジーのおむこさんにも、なりたい」と、たびたびルドが駄々をこねるようになり。
わらわがその都度、「げぼくはよいが、おむこさんはむりじゃ」と応え。
ルドがしくしくと泣き。
その泣き顔がおもしろく、「わらわのげぼくは、よくなくな」と、笑い。
そんなことを繰り返すうち、いつの間にかルドは、人形のように取り澄ました顔しか見せぬようになった。
しまいには。
「継げる爵位を持たない僕では、どうせ、アンジーと結ばれることなどないからね」
そう言って、ルドは拗ねた。
ルドはひねくれてしまった。
軽薄な素振りで、女遊びまでするようになった。
からかい過ぎてしまっただろうか。
多少の罪悪感を抱き、ときにはルドの火遊びに呆れながら。
わらわはせっせと「およめさん」になれるよう、準備をした。
誰のおよめさんか。
それは愚問というものだ。
ルドがわらわに一目惚れしたように、わらわもまた、ルドを一目見て以来、ずっと。
ルド以外の下僕を、必要としたことはないのだ。
そうして、ルドがあっちこっちの未亡人やらなにやら。花から花へ。ふわふわヘラヘラするのをしり目に、着々と駒を進めた。
わらわの持ち駒、クイーンはずんずん進む。
縦横、ななめに、いくらでも進むことのできるクイーン。
ルドの叔父、レッドフォード侯爵。
大貴族エインズワース一族に名を連ね、レッドフォード侯爵の地位にある、美貌の壮年男。
彼が望めば、もちろん、女に困ることはなかっただろう。
しかし彼は、美しい少年ばかりを贔屓にする男であった。
それがゆえに独身であった。
つまり、後継がいない。
そしてレッドフォード侯爵と血筋を同じくする、出自も素養も申し分のない、彼の甥であるルドは、美しかった。
「麗しのエルフの君」などという、実に愉快な二つ名を、年頃のご令嬢方から捧げられるほどに。
さて、わらわはどのようにして、だれがもとに嫁ごうとするのか。
もうおわかりだろう。
わらわのクイーンはとうとう、チェックをかけた。
ルドのキングは、まだ逃れる余地があるし、キングを守るナイトが割り込むこともできる。
だがルドには、もはやキングとナイトしか、手駒がない。
ルドがわらわにチェックメイトをかけることは、もはやできない。
あとはルドが自身のキングを倒し、負けを認めるのを、わらわは待つのみ。
わらわがげぼくは、すねるかおも、たいそうかわいらしい。
だが、そろそろ、ふたたび、ねつれつなあいをささやいてもらおうではないか。
ご覧くださり、ありがとうございました。
こちらは
「【完結済】愛してるなんて言うから(https://ncode.syosetu.com/n1476hb/)」
の番外編抜粋の短編です。
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