受け継いだもの
若くして亡くなったと言う私の祖父は新し物好きだったらしい。何せ、近所の子供を集めて8mmの映写会をやるような人だったらしい。なんせTVなんて勿論ない時代だ。相当物珍しかったことだろう。
また、大工の棟梁の仕事のないときは営団で運転手なんかもしていたそうだ。考えてみたら、昭和10年台のことだろうから戦争に向けて新築どころでなかったのだろう。とまれ、メカの操作もお手の物だったのだろう。
その気質を受け継いだのか母も新し物好きで、ついでに車の運転も買い物も好きだった。何せ、私と交代とは言えスキーに車で行くぐらいだし。それとお金の苦労は私が産まれてからはしていないようで、私の知っている母は必要なものや自分がいいと思ったものは躊躇いもなく買っていた。
私と二人暮らしになって車の運転をやめてからも、バスで百貨店に出掛けてはそこで見つけたものを週末私を駆り出して買うのだ。晩年は出掛けることも少なくなり、アクセサリーよりも家庭雑貨をよく見ては買ってくるようになっていった。要は目新しいものを見るのが好きなわけで、その性分は入退院を繰り返すようになるまで変わらなかった。
尚、成長期は戦後の食べる物も禄にない混乱期の真っ只中。結婚してからも相当苦労したようだ。この辺りのことは詳しくは聞いていないが、いずれ纏めよう。
一方で、父は両国の回向院の力塚脇にある相撲記者碑に名を連ねる物書きだった。詳しくは知らないが、やはりその父親は物を書く仕事をしていたらしい。
私の投稿をfacebookなどで見ている人は、私がものづくりを好んでいることを承知していることと思う。また、当なろうでもそれなりに投稿していることでものを語るのも好きなことが分かるだろう。どちらも、私自身会うこともなかった二人の祖父の血だろうか。因果なものだ。
宣伝になるが3Dプリンタで作ったものの写真やデザインを公開しているので、興味のある方には是非ご覧いただきたい。
https://www.facebook.com/groups/896998766983260/user/100001126442483
https://www.thingiverse.com/yewshmz/designs
3Dプリンタで作っているものはこのような実用品が中心だ。便利に利用しているわけだが、母が生前3Dプリンタを目の当たりにしていたらと、ふと思う。
あれも作れこれも作れ、この前どこそこで便利そうなものを見つけたから調べて作れ、と喧しいことこの上なかっただろう。そうしては、使い勝手が悪い、見た目が悪いと、けちをつけては愛用したことだろう。
なんだ、もっと早くに買えばよかったな。
お読みいただきありがとうございます。Facebookに投稿したものにちょっと書き足した上での投稿です。
本文で触れていますが、母の若かりし頃の苦労、父の戦争、父と相撲についてはいずれ改めて書きたいと思っています。父について簡単に書いておくと、小豆島の「陸軍船舶特別幹部候補生隊」から生還し、長く相撲記者として地方紙の紙面に記事を提供してきました。母方の祖父については「母から叔父への贈り物」の叔父が生まれた後若くして亡くなったので、もう祖父を語れる伯父も伯母もいないのが残念です。父方は確か叔父が色々と聞き纏めしたようですが、父の死後四半世紀以上連絡がないのでどうしていることやら。
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え? 諸々の創作はどうなった? 頭ん中では……って、それで満足しちゃいかんのですが。