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急報

「エルは、愛するひとりのために、今までと全く違う暮らしを選べる?」


 ほんの思いつきでヴァレンティナは質問をした。つまり、エルンストの覚悟を聞いたのだ。もしもヴァレンティナと結婚するとなると、エルンストは王族となり、『王配殿下』という敬称で呼ばれる。貴族とはまた違う、制約の多い暮らしになるのだ。


 秘書官の今ともがらっと違う生活になるだろう。しかし、君主はヴァレンティナであるため、制約の割には栄光は少ない。エルンストの勤勉さと優秀な頭脳を十分に知っているため、心苦しいところだ。


 エルンストは、口を開く前に首を振った。ヴァレンティナの胸がつきりと痛む。


「いいえ。俺は、妖精の国には行きません。この国を愛していますから」

「そういう意味じゃないの」


 がっくり肩を落とし、自分の聞き方が悪かったのかと、ヴァレンティナは手慰みに氷像を作り出した。どうしても、自分と結婚できるかなどと直接は聞けない。いつの間にか氷像は結婚式を挙げる男女の像になっていた。顔はつるんとして誰も現していないものの、エルンストがそれを見てハッと息を呑む。


「まさか、ティナは妖精の誰かと結婚するつもりですか?」

「違うわ」


 氷像はガラガラと崩れてしまった。


「どういう意味だったのですか? すみません俺の理解力が無いばかりに」


 真剣に悩むエルンストだが、すっかり鼻や頬の高いところが赤くなっていた。


「冷えたようね、そろそろ中に入りましょう」


 好奇心で厚着しているエルンストの背中に触れた。思った通り、毛皮や綿がみっちり詰まっている。


「私は冷やすのは得意だけれど、あなたを温めることはできないのよ」

「そんなことありません」


 何だか今日は、意思の疎通が難しいなとヴァレンティナは首を傾げた。温める手段など、考えても全くわからない。


「ティナが俺を見てくれさえしたら、俺は芯から温かくなります」

「そういう目の能力は持ってないのだけど?」


 タザカン山から、凍てつく風が吹き付けた。



 結局その日は、コテージでマシュマロやソーセージなどを焼き、ホットワインを飲んで過ごして終わった。のどかな、手足の先から温まるような時間であったが、ヴァレンティナは自分の勇気のなさにうんざりした。




 ◆◆◆



 翌朝は、憂鬱な気持ちで執務室の椅子にかけた。ほどなく宰相のネリウスがやってきて、期待に満ち溢れた笑顔で進展を聞くに違いない。


「おはようございます、陛下。晴れやかな良い朝ですな」


 大体ヴァレンティナの予想した通りであった。


 ネリウスは年齢のわりに肌艶も良く、背筋も伸びている。ネリウスは家族もあるため、すぐ近くの屋敷から歩いて通っている。徒歩通勤が健康の秘訣であり、それによって王宮内に寝泊まりするエルンスト本人から、進展をまだ聞けていないのだ。


「おはよう、ネリウス」

「それで、ファビアン令息のときに立てた結婚式の予定を、エルンストに代えて進行させてもよろしいですかな?」


 顔をしかめて、ヴァレンティナは否定を表現した。口が重くて仕方ない。ファビアンと婚約中に立てた結婚式の計画など、ずっと凍結状態にしておきたかった。


「なんと。何の進展もなしですか?」

「そういうことになるわね」


 曖昧表現に、ヴァレンティナは頼った。そう取っても構わない、そちらの解釈ではそうなるでしょう――などと。


「陛下は老人の忍耐力を試していらっしゃるのですか? 静観しているにも限度がございますよ?」


 ネリウスの表情からわかりやすい笑みが消え、あらゆる感情の中間へと固定された。怒ってもいないし、笑ってもいない。ただし、返答次第ではどちらにも素早く移行するというような、圧がある。ネリウスの得意技だ。


「試していないわ」


 ヴァレンティナはそこで区切りを入れ、次の言葉を継げなかった。

 いわゆる帝王学、つまり女王にふさわしい人物になるために、ヴァレンティナは幼少期から厳しい教育を受けた。

 言い訳めいた「でも」とか「だって」は禁止されている。そのため、どう言い訳を切り出すか悩んでしまったのだ。


 エルンストとの関係が壊れるのが怖いだなんて、とても言えない。


「ふむ。ではまずは結婚だけしてしまって、そのあとから関係を育むのはいかがですか?」


 黙っていると、ネリウスは恐ろしい提案をした。


「ダメよ」

「私が上手く推し進めますから」

「焦りすぎじゃないかしら。もう少し待ってちょうだい。今までずっと待たせたけれど、こうなったらどこまでもというか」

「おやおや」


 さもおかしそうに笑うネリウスの柔和な笑みが、このときは迫力を醸し出していた。だが、負けてはいられない。


「私は、保守派なのよ。今まであったものをより良くするだけ。革新を求めないの」

「親しい人と結婚に進むことは革新ではありませんよ。私は妻と幼なじみでしたが、平和的にここまで参りました」


 それはとっても羨ましいわ、と嫌みを言いかけたが、慌ただしいノックの音がした。


「急報です」


 入室を許可すると、海軍の副将マルカンであった。茶色の髪を短く刈り込んだ武骨な男だが、今は血相を変えていた。


「陛下、海難事故が発生しました。場所はヴィーニュ港沖合い、ヴラドワ帝国籍の船です。現在船首をわずかに残し、それ以外は沈没しているとのことです」


 報せを聞いたヴァレンティナも血の気が引いた。ヴィーニュ港は、ここからほど近いミアラ王国一番の港だ。主要な輸出入が行われている。


「乗員の状況は? 沈没前に脱出したの?」

「全軍の船を出動させ、救助に当たっております。全容は分かっておりません」

「民間の船にも依頼して、とにかく人命救助を優先させて。水難救護法に基づいて全員保護します」


 それからヴァレンティナは次々と指示を出した。現場で指揮に当たる海軍大将が万全の方策を執っているだろうが、ヴァレンティナには女王としての責任がある。


 その一方で、母を亡くした悲しい思い出がじりじりと喉の奥を焼くようであった。ヴァレンティナの母は、海難事故で帰らぬ人となった。それも、何の因果かヴラドワ帝国の式典に列席した帰りであった。


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