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エルンストの病

 一方その頃、深夜の鍛練場においてエルンストは剣の素振りをしていた。鍛錬場は王宮の敷地内、近衛騎士団用のものだが当然この時間は誰もいない。


 吹きさらしになった、広い円形状の地面にはエルンストの汗が滴り落ちている。ひたすらに素振りを繰り返していた。


(俺は馬鹿か?!)


 エルンストは後悔の一念に囚われ、自分を罵倒しながら剣を振っていた。日頃は丁寧な口調を心がけているが心の中の声はいつも熱いタイプであった。


 後悔しているのは、昼間の女王専用庭園での、ヴァレンティナとの会話についてである。ヴァレンティナは突然『どんな褒美でも与える』などと言い出した。会話の流れから、遠回しに、彼女自身を与えてくれようとしているともちろんわかった。


 誘惑に負けそうになったが、彼女は酒に酔っているのだろうと自重した。赤い薔薇を背景に、頬を染めるヴァレンティナの姿があまりに美しいものだったのでかなり欲望が漏れたが、何とか抑え込んだ。だがそのあと、ヴァレンティナは無表情になり王宮に戻ってしまったのだ。


 選択を間違えたことは明らかだった。


 エルンストは子どもの頃に初めて彼女に会い、一目惚れをした。それからずっと、重く深すぎる愛を臣下の敬愛に置き換えて過ごしてきた。なぜなら、ヴァレンティナはこれっぽっちもエルンストを恋愛対象に見ていないからである。好きだからこそ、それがわかってしまう。


 何かの拍子に微かに手が触れあうだけでエルンストの胸はひどく高鳴るが、ヴァレンティナはいつも平気な顔をしていた。恋心を言い出せるはずもない。


 そうしてヴァレンティナの結婚話が貴族院議会の議題に上り、ファビアン・フォンサール公爵令息との縁談が決まった。


 ヴァレンティナが平然とこれを承諾した日、エルンストは泣きながら眠った。そうして翌日から嫉妬心に燃え、ファビアンの周囲を調べさせた。高額で諜報員を雇い、口の堅いメイドや馭者には、例えフォンサール家をクビになっても一生遊んで暮らせるほどの大金を与えて証言を得たのである。日頃大して使うこともないので、貯金はあった。


(でもそれが陛下のためになったのかどうか)


 ファビアンは女王ヴァレンティナと婚約したことで、自分が王にでもなったかのように増長して女遊びを始めたクズのような男だが、それでも一度は婚約を交わした相手だった。ヴァレンティナは精神的に、全くの無傷とはいかなかったようだ。


 婚約破棄の翌日から、ヴァレンティナの様子がおかしかった。父であり宰相のネリウスと秘密の話をして妙に恥ずかしがっていたし、じっと顔を見られるようになった。


(俺がファビアンの周囲をこそこそ調べたことが、気にさわったのか)


 剣の素振りと走り込みを続け、熱くなると、近くにある井戸から水を汲み上げた。勢い良く桶の水を頭から被り、濡れて張りつく服を脱ぎ捨てる。万が一のとき、ヴァレンティナを守るために剣術や武術で体を鍛え上げていた。


 エルンストは再び剣を振り上げる。


(陛下に対して、誰とも結婚しないで下さいはひどかったかもしれない)


 いつか、あともう少しだけ。ヴァレンティナが振り向いてくれたら。一生分の勇気を振り絞ってプロポーズしたいと思っている。ただ、断られたあとの人生は考えていない。


 その上、ヴァレンティナ自身が婚約破棄のあとに言っていた。


 恋愛対象と見られるのが気持ち悪いかもしれない、と。


 もしも思いを告げて、気持ち悪いとヴァレンティナに冷たく蔑まれたら、とエルンストは震えた。きっと心が凍って生きる屍になってしまう。寒さを忘れるため、エルンストは剣をぎゅっと握り直した。







 翌日になって、エルンストはひどい熱を出してしまった。夜遅くまで冷水を浴びながら、屋外で自分の体を虐め抜いたのだ。そうなるのは当然だった。


 立ち上がると猛烈な目眩と吐き気に襲われる。ゼイゼイと荒い呼吸に、エルンストの世話をする熟練のメイドが勝手に侍医を呼び、朦朧としてる間に風邪だろうと診断された。更に、本日は絶対安静を言いつけられる。


 無理して出勤するにしても、王宮内のことなのでヴァレンティナへと状況は伝わるだろう。


 諦めて、エルンストは秘書官になってから初めて病欠で休んだ。体の丈夫さは取り柄のひとつであるのに、申し訳なさの二乗か三乗で、ベッドに沈みこむようにエルンストは無理に眠ろうとする。


 そうしているうちに、子どもの頃の楽しい夢へと落ちていった。木登りした自分を、ヴァレンティナが笑いながら見上げ、褒め称えてくれる。輝かしく、懐かしい記憶だ。女王と秘書官の関係になる前は、愛称でティナと呼んでいた。ヴァレンティナからそう呼ぶよう命令されたことが誇らしく、無意味に名を呼んでいた。


 それだけで良かったのに、夢の気まぐれでなぜかヴァレンティナは大人になり、なぜか腕の中にいた。華奢な肩で、国の重責を担う彼女を温めて抱きしめたいとずっと思っていた。ヴァレンティナは抵抗することもなく、優しく髪を撫でてくれる。


「ティナ……」


「はい」


 はっきりとした返事に、エルンストは飛び起きた。見れば、ベッドの横にはきっちりとした姿の、当然大人のヴァレンティナがいる。


「心配でお見舞いに来たのだけど……ごめんなさい、寝言に返事すると寿命が縮むのだったわね」


(少しは縮まったかもしれない)


 恨む気持ちはないが、エルンストの心臓は壊れそうにバクバクと脈動している。ヴァレンティナの名前を、それも愛称を呼びながら枕を抱きしめているところを目撃された以上、そう長生きしたくもなかった。


「陛下にご足労頂き、光栄の至りでございます。けれど、明日には必ずや体調を整え、私の務めを果たす所存です」


 エルンストは枕を下ろし、ベッドの上で膝を曲げて座り直して礼を述べた。


「ふふっ、寝癖がついた状態でそんなに丁寧なの、面白いわね」

「そうですか?」


 少し恥ずかしかったが、ヴァレンティナの笑顔がかわいらしいのでエルンストは髪をそのままにした。夢で見たような、屈託ない笑顔だ。ヴァレンティナは昨日あんなことがあったのに機嫌が良いようで、キラキラ光ってさえ感じられた。

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