6 由乃VS春香
春香さんはそう言って一礼すると、食堂を出て廊下を奥の方へ進んで行った。
そして足音が途切れたかと思うと、今度はドンドンと部屋の引き戸を叩く音とともに、
春香さんの叫び声が沢凪荘全体に響いた。
「由乃!また部屋に引きこもってるんでしょ!
沢凪荘の皆さんが心配してくださってるんだから、さっさと部屋から出なさい!」
す、凄い迫力だ。
食堂から春香さんの姿は見えないが、その声だけで、春香さんの物凄い剣幕が伝わってくる。
そしてその声に反発するように、由乃さんの叫び声も沢凪荘全体に響いた。
「うるさいわね!部屋のドアをドンドン叩かないでっていつも言ってるでしょ!
ていうか何で春香さんがここに居るのよ⁉」
おお、由乃さんもあんな叫び声を上げるんだな。
数日前ももの凄い喧嘩をしたって言ってたけど、きっとあんな感じで言い合いになったんだろうな。
そうシミジミ思う中、春香さんと由乃さんの言い合いは続いた。
「そんなの、あんたの事が心配だからに決まってるでしょうが!
あと、今からあんたが彩咲綾音だっていう証拠を皆さんに見てもらうから、とりあえずここを開けなさい!」
「はぁっ⁉何であっさりバラしてるのよ⁉
それは誰にも言っちゃいけない約束でしょう⁉
私だって稲橋君以外には喋ってないのに!」
その瞬間、美鈴が
『は?何で由乃さんはあんたにだけ自分の秘密を喋ったの?
ていうかさっき言ってたあの(・・)事ってこの事だったの?色々とどういう事?』
という顔で俺の事をにらんできたが、俺はそれを我慢強く無視し、
春香さんと由乃さんのやりとりに耳を傾けた。
「あんたこそどうして稲橋さんにはバラしてるのよ⁉
いえ、この際そんな事はどうでもいいの!
とにかく沢凪荘の皆さんにはあんたの事情を分かっておいていただきたいから、
今からその証拠をお見せするのよ!」
「嫌よ!私もう彩咲綾音にはなりたくない!
あれはお姉ちゃんであって私じゃないもの!
本物の彩咲綾音は、もうこの世には居ないのよ!」
その言葉を聞いた美鈴が今度は
『え?お姉さんがどうとかってどういう事?』
という顔で俺を見て来たが、俺はそれを何事もなかったかのように無視し、春香さん達の話を聞き続けた。
「つべこべ言わずにここを開けなさい!嫌だなんて通用しないんだからね!」
「通用してもしなくても、嫌なものは嫌なの!」
「開けなさい!」
「嫌よ!」
「開けなさいってば!」
「嫌だってば!」
何か、このままだと春香さんが由乃さんの部屋の引き戸をブチ破りそうな勢いだけど、大丈夫だろうか?
と思いながらハラハラしていると、沙穂さんがおもむろに立ち上がって俺達に言った。
「春香さんに、由乃ちゃんの部屋の合鍵を渡してくるわね♪」
どうやら沙穂さんは、春香さんに味方をする事に決めたようだ。
そして沙穂さんは食堂を出て廊下を歩いて行き、沙穂さんから合鍵を受け取ったらしい春香さんが、
それを使って由乃さんの部屋の鍵を開ける音が聞こえた。
そして次の瞬間、
「由乃ぉっ!観念しなさい!」
という春香さんの叫び声とともにバァン!
と由乃さんの部屋の引き戸が開け放たれる音がした。
そしてその後は声にならない二人の叫び声が飛び交い、
ドッタンバッタンと取っ組み合いの喧嘩でもしているのかという騒音が鳴り響き、
そのたびに沢凪荘全体が揺れるような気がした。
その様子に美鈴は俺の方に振り返り、
『だ、大丈夫かな?私達、止めに行った方がよくない?』
という顔で見つめて来たが、俺は目をつむって首を横に振り、
春香さん達がここに戻って来るのをジッと待つ事にした。
そして、そう短くない時間が経って、春香さんと沙穂さんが食堂に戻って来た。
ただ二人の様子を見守っていただけらしい沙穂さんは、さっきと何ら変わらない様子だったが、
由乃さんと相当激しい取っ組み合いをしたらしい春香さんは、
髪や服装がグシャグシャに乱れ、顔はやつれ、ゼェゼェと息を切らしていた。
そして肩で息をしながら俺達に言った。
「お、お待たせ、しました。由乃のメイクに、手間取って、しまって」
そして食堂の外に待機しているらしい由乃さんに向かって声をかける。
「由乃、入って来なさい。彩咲綾音としての姿を、皆さんに見てもらうのよ」




