3 怖い女性客
「稲橋君、ちょっといい?」
「ん?何だよ?」
俺が答えると、美鈴は声を潜めて続けた。
「あの窓際のテーブルのお客様なんだけど・・・・・・」
そう言ってチラッと見やった窓際の席に俺もさり気なく視線を走らせると、
そこに四十を過ぎたくらいの女性が座っていた。
身なりは上品できっちりした感じだが、その顔つきは険しく、何となく近付きがたいオーラを放っている。
窓際の席はいくつかあるが、美鈴が言っているのは恐らくあのお客さんの事なんだろう。
そう思った俺は美鈴に問い返す。
「あの女の人が、どうかしたのか?」
すると美鈴は小さく頷いて言った。
「あの人、この辺に沢凪荘っていうアパートはないか聞いてきたのよ。
本来なら教えて差し上げるべきなんだろうけど、あの通り、何か怖い雰囲気じゃない?
だから思わず『ちょっと聞いてきます』って言って逃げて来ちゃったの。
あの人、沢凪荘の誰かの知り合いか、身内の人なのかな?
そうだとしたら凄く失礼な事言っちゃったとは思うんだけど、ど、どうしよう?」
そう言って目を泳がせる美鈴。
まあ確かに、あの怖そうな女の人にいきなり自分の住んでいる場所を聞かれたら、
すんなり教えようとは思えないよな。
せめてあの人が何者かが分かれば、対処の仕方も見えてくるんだけどな。
とりあえず、話を聞いてみるか。
そう思った俺は、不安そうな美鈴をその場に残し、精一杯の営業スマイルを浮かべ、窓際の席へ向かった。
そしてテーブルの近くに来た所で、できる限り愛想のいい声色で話しかけた。
「お客様、沢凪荘というアパートをお探しだと伺ったのですが。どのような御用でしょうか?」
するとその女性は険しい目つきで俺を睨みつけ、愛想も素っ気もない口調でこう言った。
「あなたには関係のない事よ。それより私は沢凪荘というアパートが何処にあるのかを知りたいのよ。
誰か知っている人間は居ないの?」
う~む、人は見かけによらないというけど、この人は見かけ通り怖い人だった。
が、この人の顔立ちには見覚えがある。
ズバリ、由乃さんだ。
見た感じの年齢から察するに、この人は由乃さんの母親ではないだろうか?
そう直感した俺は、できるだけそれを悟られないよう女の人に尋ねた。
「申し訳ありませんが、この辺りに沢凪荘というアパートはありません。
ちなみにお客様は、その沢凪荘という所にお知り合いでもいらっしゃるのですか?」
それに対して女の人はしわの寄った眉間に一層力を込め、トゲのある口調で言った。
「そこに私の娘が居るはずなの。しかも私の許可もなく勝手に家を飛び出してね。
だから会ったら引っぱたいてやろうと思っているのよ」
な、何か物騒な事を言ってるけど、どうやらこの人は由乃さんの母親と考えて間違いなさそうだ。
春香さんの話では、由乃さんの母親は優秀な由乃さんのお姉さんばかりを可愛がり、
いわゆる落ちこぼれの由乃さんは全くないがしろにしていたとの事。
そしてある日突然由乃さんのお姉さんが家出をしてしまい、
怒り狂った両親は由乃さんに更に辛く当たるようになってしまったらしい。
その話が本当なら、この人を沢凪荘に連れて行くのはすこぶるまずい気がするな。
そう判断した俺は、ぎこちない口調にならないよう心がけながら言った。
「あの、すみませんが、当店に沢凪荘を知っている人間は居りません。
お役に立てず、申し訳ございません」
するとこの女の人は一層不機嫌になり、
「それならそうと初めからそう言えばいいのよ!本当に役に立たないわね!」
と声を荒げ、そっぽを向いてしまった。
その横暴な態度と言葉に相当カチンときた俺だったが、何とかそれをグッと抑え込み、
「それでは、失礼します」
と一礼してその場を離れた。
そしてさっきの洗い場に戻ると、美鈴が心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫?何かあのお客様、凄く怒ってたみたいだけど・・・・・」
それに対して俺は、険しい表情でこう返す。
「ああ、どうやらあの人は、由乃さんの母親らしい。
家出した由乃さんを追って、沢凪荘を探し回っているみたいだ」
「えぇっ⁉そ、それなら沢凪荘にお連れしないとダメじゃないの!」
「それがそうもいかないんだよ。由乃さんの家は色々複雑らしくてな、
詳しくは知らないんだけど、とにかくあの人をこのまま沢凪荘につれて行くのは具合が悪いんだよ」
「ま、まあ確かに、あの女の人を見ていると、沢凪荘でひと悶着起こしそうな雰囲気はあるわね。
じゃあ、一体どうすればいいの?」
「とりあえず、この事を由乃さんに話して、後の事は由乃さんや春香さんに任せよう。
他人の俺達がどうこう言う話じゃないしな」
「た、確かに、そうだね・・・・・・」




