6 由乃が吠えた
一時間目の終了を知らせるチャイムが鳴ると共に、
クラスメイトの玉木直人が俺の席にやって来て、泣きそうな顔で言った。
「イナゴン(玉木は俺の事をそう呼ぶ)、俺はどうやら、
もうこの世で生きて行く意味がなくなっちまったみたいだ」
それに対して俺は、とても冷たい口調でこう返す。
「そうか、それは残念だな。じゃあ来世で頑張れよ」
すると玉木は俺の肩を両手でガシッとつかみ、それをガックンガックン揺らしながら訴えて来た。
「おいおい冷たいなぁイナゴン!
イナゴンの唯一無二の親友が心を痛めて嘆き悲しんでるんだよ⁉
ここはその理由を聞いて、優しく慰めるのが親友ってもんだろう?」
「俺がいつからお前の唯一無二の親友になったんだよ?」
「出会った頃から俺達親友だろ⁉」
「そんな訳ないだろ!そんな一目ぼれ同士の両想いみたいな関係気持ち悪いわ!」
「実はな、俺がこんなに落ち込んでいるのは、
彩咲綾音ちゃんが、突然アイドルを辞めちまったからなんだ」
「結局俺は話を聞かされるんだな?ていうかその話は昨日も聞いたからもういいよ」
「何言ってんだよ⁉一日やそこらでこの悲しみが消えるはずないだろう⁉
この心の傷が癒えるまで、何度でも聞いてくれよ!」
「嫌だよ!何が悲しくて自分が興味のないアイドルの話を何回も聞かされなくちゃならねぇんだよ!
そういう話は興味がある者同士ですりゃあいいだろ!」
「だってこのクラスは、デビュー当時より最近の綾音ちゃんが好きなヤツの方が多いんだもんよ!
だから俺達は凄く肩身が狭いんだよ!」
そう言って拳を握りしめる玉木に、隣の席に座る美鈴が冷たい口調で言う。
「そりゃあ綾音ちゃんは最近の方が断然よかったもの。
綾音ちゃんは経験を積み重ねるごとに成長していたのよ」
しかし玉木も負けじと言い返す。
「違う!綾音ちゃんは一般受けするアイドルになるべきではなかった!
誰も手の届かないような高嶺の花のような存在になる事こそが、
あの子の本当の意味でのアイドルとしての成長した姿だったんだ!」
それに対して美鈴も熱い口調になってこう返す。
「そんな事ないわよ!皆の手の届くような存在だからこそ、
私達も応援したくなるし、そういう綾音ちゃんが私は好きだもの!」
「ナンセンスだね!ネット上でも以前の綾音ちゃんの方がよかったっていう書きこみの方が多いし!」
「ネットの書きこみが何なのよ⁉大事なのは自分がどう思うかでしょ⁉」
「う、いや、まあ、そうなんだけど・・・・・・」
美鈴の凄い迫力に、玉木が気圧され始めた。
これはまた玉木が言い負かされるパターンだな。
と思いながらが眺めていた、その時だった。
「わ、私も、以前の彩咲綾音の方が良かったと思います!」
教室中に突然響き渡った大声。
そのあまりの声の大きさに、教室に居た全員が言葉を失い、辺りはシーンと静まり返った。
び、ビックリした。
誰だよいきなり?
美鈴も大概声がでかいけど、今の声はそれに輪をかけてでかかった。
しかもただでかいだけじゃなくて、心に晴れやかにと響くというか、
耳に心地よいというか、
ただでかくてうるさいだけの美鈴の大声(本人には言わないでください)とは、まるで別物の大声だった。
一体誰だ?
と思いながら辺りを見回すと、玉木の背後に一人の女子生徒が現れた。
それは、何と、
由乃さんだった。
朝からクラスメイトの質問攻めにあい、塩をかけられたナメクジのごとく縮こまっていた由乃さんである。
この時間には溶けて完全に消滅しているかもしれないとも思われたが(そんな訳はないか)、
彼女は何とか溶けずに居て、しかも今の大声を出したのだ。
しかしまだ信じられないという様子の横溝流衣が、由乃さんを見詰めながら言った。
「え、今の声、由乃さんだったの?びっくりしたぁ」
すると由乃さんはハッと我に返ったように顔を赤くし、
さっきの大声の主と同一人物とは思えないような小さな声でこう返す。
「す、すみません。あの、えと、思わず声が、出てしまって・・・・・・」
そんな由乃さんに、もしやと思い当たった俺は聞いてみた。
「もしかして由乃さんも、彩咲綾音のファンなの?」
すると由乃さんは少し間を置いて、言葉を選ぶように言った。
「はい、あの、デビュー当時の圧倒的な可愛さと、
誰も手の届かないような才能にあふれた綾音ちゃんが、好きでした・・・・・・」
おお、意外な所から玉木の味方が現れた。
そして味方が現れた事で息を吹き返した玉木は、胸をのけぞらせて美鈴に言った。
「ほ、ほら見ろ。やっぱり分かる人間にはわかるんだよ!綾音ちゃんの本当の良さが!」
すると思わぬ展開に目を丸くしていた美鈴は気を取り直し、由乃さんに向かって反撃を始めた。
「へ、へぇ、由乃さんも綾音ちゃんのファンだったなんてちょっと意外だわ。
だけど、最初の頃の方が良かったっていうのには賛成できないわね。
やっぱり綾音ちゃんは、最近の方が断然いい歌を歌っていたもの」
しかし由乃さんも語気を荒くしてこう返す。
「そんな事ありません!あれは本当の綾音ちゃんではないんです!
デビュー当時の彼女こそ、本当の彩咲綾音のあるべき姿なんです!」
その迫力は美鈴にも全くひけをとらなかった。
す、すげぇな。
あれだけ大人しかった由乃さんをここまでヒートアップさせるなんて、彩咲綾音、恐るべし。
それに対して美鈴もひるむ事なく言い返す。
「いいえ!今の綾音ちゃんこそ本来あるべき姿なのよ!
だからこそ私はあの子の事が好きになったんだもの!」
「ですが結局彼女はアイドル活動をいきなり休止したじゃないですか!
それってやっぱり今の路線に変更した事が、
彩咲綾音がアイドルとして間違っていたって事じゃないんですか⁉」
「そ、そんな事・・・・・・」
そう呟いてたじろぐ美鈴。
だがすぐに気を取り直し、由乃さんを睨みつける。
そしてその視線に真っ向から自分の視線をぶつける由乃さん。
飛び散る視線の火花。
漂う緊張感。
議論の当事者だったはずの玉木も今やすっかり舞台の外に追いやられ、
ハラハラしながらこの闘いの行方を眺めている。
と、その時、由乃さんがハッと我に返ったように顔を真っ赤にし、辺りをキョロキョロ見回した。
おそらくこんなに大声で言い合いをする事になれてなくて、自分を見失っていたんだろう。
その由乃さんに、横溝流衣が茶化すように言った。
「凄いね由乃ちゃん、美鈴を言い負かすなんて、いい根性してるよ」
それを聞いた由乃さんはますます顔を赤くし、たじろぎながら声を絞り出した。
「あ、あの、ごめんなさい、美鈴さん。
私、その、彩咲綾音の事になると、頭がわぁ~となって、えと、とにかく、ごめんなさい!」
由乃さんはそう叫ぶなり、踵を返して走り出し、
「あ、ちょっと待って!」
と呼びとめる美鈴の声も聞かずに、教室から一目散に飛び出してしまった。
「美鈴が怖い顔で睨むから、いたたまれなくなったんじゃないのぉ?」
横溝流衣がからかうような口調で言うと、美鈴はうろたえた。
「そんな、私、そんなつもりじゃなかったのに・・・・・・ど、どうしよう?」
そう言って俺の方を見やる美鈴。
いや、どうしようと言われても、俺にどうする事もできる訳はない。
なので俺は正直な考えを美鈴に伝える。
「まあ、気持ちが落ち着いたらそのうち戻って来るんじゃないのか?」
「でも、今すぐ戻って来ないと、次の授業が始まるわよ?」
横溝流衣がごもっともな指摘をすると同時に、次の授業の始まりを知らせるチャイムが鳴り響いた。
ちなみに次の授業に、由乃さんが戻って来る事はなかった。




