4 ハンパないパーソナルスペース
という訳で放課後。
美鈴は今日もバイトなので一人でバイト先に向かった。
相変わらず魂が抜けたみたいになってたけど、ちゃんと仕事ができるんだろうか?
そんな一抹の不安を抱えつつ、俺は帰り支度を整えて学校を出た。
鏡先生の話では、昼休みに職員室に居たあの女の人は、
転校生と一緒に校門の所で待っているとの事だったけど、
実際にそこに行ってみると、そこに立っていたのは保護者の女の人だけだった。
俺は近くまで歩み寄ると、丁寧にお辞儀をして言った。
「どうもお待たせしました。俺、この御撫高校の一年で、沢凪荘に下宿している稲橋聖吾って言います」
「私は筒井春香。
このたび東京の学校からこちらの御撫高校に転校する事になった、山本由乃の保護者です」
筒井春香と名乗ったその人は、そう言って丁寧にお辞儀を返す。
どうやら転校生は名前から察するに、女の子のようだ。
保護者の春香さんと名字が違うのは、春香さんが山本由乃のお姉さんで、
すでに結婚して名字が変わったという事だろうか?
まあ、初対面でそんな事を聞くのもぶしつけな気がするので、俺は代わりにこう言った。
「お昼から退屈だったでしょう。この辺は何もない田舎町だし」
それに対して春香さんはニッコリほほ笑んで言った。
「いえ、由乃と一緒にこの辺りを散歩していました。
ここは自然豊かでのどかだし、とても心が落ち着きます。
ここなら由乃も、のびのびと学校生活が送れると思います」
「そうですか。それで、その由乃さんは何処にいらっしゃるんですか?」
俺が周りを見回して尋ねると、春香さんはひとつため息をつき、
「あそこに居ます」と指差した。
その方向に目をやると、ここから五十メートルくらい離れた道端の木に隠れ、
こちらの様子をうかがっている人物が居た。
何しろこの距離なので顔はよく分からないが、その子は他所の学校の制服を着ていて、
俺達の方を眺めているので、あの子が山本由乃だという事は理解できた。
俺はとりあえず、春香さんに尋ねた。
「あの、どうして由乃さんは、あんなに俺達から離れた所に居るんですか?」
すると春香さんはこめかみを右手の人差指で押さえながらこう返す。
「昼間にも言いましたが、あの子は極度の人見知りでして、
特に初対面の相手に対しては、精神的にも物理的にも距離を置く性格なんです」
「そ、そうなんですね。ええと、それじゃあどうしましょう?
彼女が俺への警戒心を解くまで、ここで待っていればいいんですかね?」
「いえ、私と稲橋さんで先に沢凪荘に向かいましょう。
そうすればあの子も、一定の距離を保ってついてくると思うので」
「そうですか。ちなみにここから沢凪荘までは、
まともに歩くと四、五十分はかかるんですけど、大丈夫ですか?
もし大変そうなら、鏡先生にお願いすれば、車で送ってくれるかもしれませんけど」
俺はそう提案したが、春香さんは首を横に振って言った。
「いいえ、徒歩で結構です。
こう見えて私も由乃も体力には自信がありますし、あの子もその方が都合がいいと思います」
確かに、あれだけ俺と距離をとっている彼女が、いきなり一緒の車に乗ってくれるとは到底思えない。
なので俺は春香さんと一緒に、徒歩で沢凪荘へ向かう事にした。
するとそこから五十メートル程距離を取り、山本由乃さんが後をついて来る。
その距離は十分歩いても二十分歩いてもほぼ変わらず、
時々彼女がちゃんとついて来ているか確認する為に後ろに振り向くと、
彼女は慌てて木の影や、道端の草むらに身を隠すのだった。
どうやらあの子に尾行の才能はないようだ。
探偵には向いてないな。
それはともかく、本当にあの調子で、沢凪荘で俺達と一緒に共同生活なんかできるんだろうか?
本格的に不安になって来た俺は、隣を歩く春香さんに尋ねる。
「あの、彼女はいつもあんな感じなんですか?
沢凪荘って寝る時以外は、ほとんど他の住人と顔を突き合わして暮らさなくちゃいけないんです。
おまけにあそこに住む人たちは四六時中賑やかで、
あまり人と関わらないようにしたい人には向かない環境かも知れませんよ?」
しかし春香さんはまっすぐに前を見据えたまま言った。
「いえ、かえってその方が、あの子にとってはいいんです。
あの子は極端に自分に自信がなくて、ほっといたらどんどん内にこもっちゃうタイプなんです。
今回の転校も、それを改善する為のものですから」
「はぁ、そうなんですか」
そう答えて再び後ろに振り返る俺。
すると後ろを歩いていた山本由乃さんは、再び道端の木の影にささっと隠れた。
まあ、あのまま学校を卒業して社会に出たら、ちょっと困る事になりそうだもんなぁ。
俺はこの際なので、春香さんに色々聞いてみる事にした。




