10 彩咲綾音の衝撃
その日の夜、バイトを終えた俺と美鈴が沢凪荘に帰ると、
パジャマ姿の矢代先輩がトタトタとやって来て、俺にヒソヒソ声で聞いてきた。
「なぁなぁ、告白はうまくいった?ついにお兄ちゃんとみっちゃんはゴールインしたん?」
それに対して俺もヒソヒソ声でこう返す。
「そんな訳ないでしょ!ゴールインどころか告白もしてませんよ!」
「何でぇな?いくらでも告白のチャンスはあったやろ?アカンタレやなぁもう」
「そういう問題じゃないんですよ!」
等と言い合っている俺と矢代先輩に、その様子を眺めていた美鈴が、眉を潜めながら尋ねる。
「二人とも、何をコソコソ話合ってるの?私に内緒で何か悪だくみでもしてるの?」
その言葉にギクッとした俺と矢代先輩は慌てて美鈴の方に振り返り、
下手な愛想笑いを浮かべながらこう返す。
「そ、そんな訳ないやんか!ウチはただ、バイト先から返ってきた聖吾お兄ちゃんに
『お疲れ様』って言うてただけやで?」
「そうそう!同じ沢凪荘の住人同士のコミュニケーションだよ!」
我ながら苦し過ぎる言い訳だったが、美鈴はそれ以上取り合う様子もなく、
「はいはい、そうですか」
と言い放ち、さっさと食堂に入って行った。
その後ろ姿を眺めながら、矢代先輩は再び俺に小声で話しかけてくる。
「なぁ、聖吾お兄ちゃんはホンマにこのままでええの?
このままやとホンマのホンマに、みっちゃんは誰か他の男にとられてしまうかもしれへんで?」
「そ、そんな事言われても、自分がハッキリ美鈴の事が好きなのかどうか分からないのに、
それで美鈴に告白するのもどうかと思うんですよ・・・・・・」
「どうかも何もあるかいな!
そんなもんとりあえず告白してしまえば、好きっていう気持ちは後から嫌でも湧き上がってくるんや!
そして二人には数々の障害が襲いかかり、それが更に二人の愛の炎を燃え上がらせるんや!」
「そ、そういうもんなんですか?」
「そういうモンなの!もっとシャキッとしぃやお兄ちゃん!そうやないと、ウチは・・・・・・」
「え、何ですか?」
と、俺が言いかけた、その時だった。
「いやぁあああっ!」
という、絹を引き裂くどころかみじん切りにまでしそうな悲鳴が沢凪荘一帯に響き渡った。
ちなみにそれは、美鈴の悲鳴だった!
俺は考えるよりも早く食堂に駆け込んだ!
一体どうしたんだ美鈴⁉
ゴキブリか⁉
それともまさか変質者が侵入しているのか⁉
そう思いながら食堂に駆け込むと、美鈴は食堂の畳に尻持ちをつき、
部屋の隅に置いてあるテレビを見ながら目を大きく見開いていた。
その両肩はガタガタと震え、よほどのショックを受けている事は火を見るよりも明らかだった。
「ど、どうしたんだ美鈴?だ、大丈夫か?」
俺が問いかけると、美鈴は震える右手でテレビを指差した。
「あ、あの、あれ・・・・・・」
美鈴にそう言われ、俺もテレビの方に目を見やる。
するとテレビには何やら記者会見の場面が映っていて、
その画面の中央に、一人の女の子の姿があった。
ちなみにそれはアイドルの彩咲綾音で、今や国民的人気という事もあり、
記者席には空席がない程に大勢の記者が詰め掛けており、目もくらむ程のフラッシュがたかれている。
一体これは何事だろう?
美鈴の反応からしても、何やら大変な事があったようだ。
そんな中テレビの中の記者の一人が、鬼気迫る口調で尋ねる。
『彩咲綾音さん!今の発言は本当ですか⁉』
それに対して彩咲綾音はうつむき加減になりながら、呟くように言った。
『はい、本当です。
私、彩咲綾音は、
アイドル及び全ての芸能活動を、
無期限で休止します』
その瞬間再び無数のフラッシュが彩咲綾音に浴びせられ、画面の端っこに、
『国民的アイドルの彩咲綾音、突然のアイドル活動休止宣言!』
の字幕が表示された。
「へぇ~、彩咲綾音、アイドル活動休止かぁ」
俺が軽い口調でそう言うと、美鈴はまるでこれから世界が滅びるかのような深刻な顔で俺に言った。
「ど、どどどどうしよう⁉綾音ちゃんがアイドルをやめちゃう!私、どうすればいいの⁉」
「いや、どうする事もできねぇだろうよ、本人が決めた事なんだから。
彼女にも色々事情があるんだよ」
俺は美鈴をなだめるように言ったが、美鈴はそんな俺の言葉にカチンときたらしく、
久しぶりに怒りをあらわにして声を荒げた。
「何よ、その冷たい言い方!
綾音ちゃんがアイドルをやめちゃったら、もう綾音ちゃんには会えなくなるのよ⁉
稲橋君はそれでもいいの⁉」
その言葉にいささかカチンときた俺は、ぶっきらぼうにこう返す。
「いや、俺はお前みたく彩咲綾音のファンじゃないし」
「何それ!信じらんない!もういい!」
美鈴はそう言うと、ドタドタと食堂を出て行き、
乱暴に自分の部屋の引き戸を開け放ち、その中に引っ込んだ。
マッタク、そこまで怒る事はねぇじゃねぇか。
まあ、いつもの美鈴に戻ったという事だろうか?
そうだといいんだけどな。
今のままだと調子が狂ってしょうがないからな。
そんな感じで、今日も沢凪荘の一日が終わるのだった。
テレビの中では彩咲綾音が、フラッシュを浴びながら記者の質問に答えていた。




