プロローグ
霧降高原を南北に縦断する県道である栗山日光線は、秋になると観光客でにぎわう。
この時期に来る観光客らの目当ては、赤薙山の斜面を埋め尽くす紅葉だ。彼らの多くは、沢からの高さが130メートルもある六方沢橋からの絶景を楽しみに、この道路を訪れる。
しかし、この日、六方沢橋にやってきた観光客たちの視線を集めていた光景は、美しく色づいた紅葉ではない。
彼らの視線を集めていたものは、全長320メートルの橋のちょうど真ん中あたりで1台の乗用車が動きを止めている光景だ。フロントガラスが割れ、ボンネットがひしゃげたその乗用車は、エアバッグと運転席との間に一人のエンジニアを抱えていた。忙しい仕事の合間を縫って東京から六方沢橋を訪れていたそのエンジニアは、15分後に救急隊員が駆け付けるまで、ぶつぶつと何かをつぶやいていた。
観光客の中にとびきり耳がよいものがいれば、彼の言葉を聞きとれたかもしれない。
スマートフォンを胸ポケットから覗かせたそのエンジニアは、血の気が引いた顔で「節子の声……あいつは去年死んだはず……お化け……」と繰り返していた。
ヒビが入って滲んだスマートフォンの画面は、そこに映るメイド姿の女性を虹色の肌を持つ化け物に変えていた。