引っ越し①
わたしは基本、寮と開発室の往復だ。
週に一度はフレーチェ様に呼ばれて王族が住む区域のサロンに出入りするし、だいたい週に一度くらいペッレルヴォ様に呼び出されるが、それ以外はうろついたりしない。ウロウロするなとヒューベルトさんにもラウレンス様にも言われるし。
……家女中ってことは、あっちこっちの手伝いとかしてるんだよね。
わざわざ探しに行くほどではないが、出会ったら声をかけてみようかなという程度には、あのペトラという少女が気になっていた。なにせ、同じくらいの年の女の子だ。女の子なのだ。
ダンの影響なのか、わたしの周りには男の子が多い。穀倉領にいた時には、いつもは遊ばなくても農家の手伝いで会う女の子は多少いたが、森林領に来てから、仲良くしゃべるのはコスティくらいだ。
そもそも森に住んでいるので当たり前ではあるのだが、ヒューベルトさんと話していると、どうもわたしは、普通の女の子枠から少々はみ出しているらしい。今までは気にもしていなかったが、ラウナさんが言うには、やはり女の子同士の会話というものにも慣れておかないと、咄嗟に話題について行けなかったりして困るらしい。それはフレーチェ様にも言われていたことなので、できれば定期的に女の子とおしゃべりがしたいところだ。
「ねぇ、ヒューベルトさん、あの人何してるの?」
「あれは園丁ではないか?」
「木の枝が一部分だけ伸びすぎないようにしてるんだよ。木の成長も偏るし、何より人間にも危ないしね」
こうしてキョロキョロしていると、お城にはいろんな人がいる。たぶん、王都にある家にもこういう人たちはいたのだろうが、もうずいぶん前のことなので記憶に残っている部分が少ない。いつも過ごしていた場所などはぼんやりと覚えているが、それ以外の場所はほとんど覚えていない。
「ねぇ、あの人は?」
「馬丁だろう」
「馬の世話をするんだよ。御者見習いだったりもするよ」
なるほど。御者とか料理人とかは普通の使用人とは違う扱いになる。上流階級じゃない人がそれなりの安定した立場を得ようと思えば、この道を目指すのが確実だ。
「手に職があるって大事だよねぇ」
「ハハ。そうだね。アキちゃんが言うと説得力あるね」
「手に職か……」
リニュスさんは庶民になじみがあるせいか、意見が合うことが多い。そして自分の両手をしみじみ眺めているヒューベルトさんは、そこは気にするところじゃないと思う。闘うという職以外の何を身に付けようというのか。
「わたし、ペトラとお話ししてみたいんだよね……」
「あの女の子?」
「そう。同じ年くらいの女の子と会話するのは大事だって、いろんな人に言われるの」
「時間が取れないだろう。向こうは家女中だ。邸の中で働く女中の中では一番忙しいはずだ」
ヒューベルトさんが思い出すように言う。女中の仕事はあまり把握できていないのだろうか。
「うん。でも、お母さんもお城で働いてるってことは寮に住んでるんじゃないかと思うんだよね。だから夜とか話せないかと思って」
「ああ、なるほどね。うーん……でも、それはやっぱり、ちょっとマズイなぁ」
リニュスさんが腕を組んで唸る。
「寮の中には我々は踏み込めない。寮の中ではできるだけ人と接触しないでもらいたい」
「あ……そっか。そうだね」
そういえば、忘れがちだが二人はわたしを守らなければならないのだ。二人の目の届かないところで予定外の行動はとるべきじゃないだろう。
「ねぇ、住む場所を変えてもらうことってできないのかな」
「住む場所?」
「そう。たとえばペッレルヴォ様のお家に三人で泊めてもらうとか」
「え……、ペッレルヴォ様に?」
二人ともなんだか唖然としているが、いい考えだと思う。家に泊めてもらえば毎週のように呼び出されることもないし、ペッレルヴォ様が持っている本をただで読める。フレーチェ様に泊めてもらうとかよりは大変じゃないと思うのだ。
「あ、なんか、いい考えな気がしてきた。ちょっとラウレンス様に相談してみるね」
「いや、待って!待ってアキちゃん!」
「先にアーシュ様に相談するので、それまで誰にも言うんじゃないぞ。いいな」
「あ、そうか。そうだね。じゃあ、アーシュさんに聞いてみて」
……わたしはわたしで、ダンに相談してみようかな。
お城に来て1ヶ月とちょっと。初めて通信機が役に立ちそうだ。
「うーん……」
「ダメ?」
ダンが悩むポイントはどこだろう。
「いや……まぁ、城にいる間は二人が一緒の方が安心か」
「じゃあ、あとはアーシュさんの許可だけだね」
「オレに相談したことはバラすなよ」
「あ、そうだった!」
ダンとは毎日ちゃんと合図をやり取りしている。まぁ、「おやすみ」と「ああ」だけだが。
そのことはまだヒューベルトさんとリニュスさんにはバレていない。なんといっても寮が違うからだ。だが、もし一緒に住むことになったらもっと用心が必要になるだろう。そこもちゃんと考えなければならない。
「合図変えようかなぁ」
「何にするんだ?」
「うーん……毎晩寝る前に歌を歌うとか?」
「……止めとけ。近所迷惑だ」
ダンは相変わらず失礼だ。
「まぁ、そこは実際に引っ越すことになった時に考えてもいいだろ」
「そうだね。おやすみ」
「ああ」
わたしはアーシュさんのことも信頼しているので、警戒するのが少し難しい。ダンとは違う態度で接さなければならないので混乱するのだ。
もっと小さい頃は、ダンだけが絶対でそれ以外は全て同じだったのだが、今は信頼度が何パターンもあって、相手によって話す内容を考えなければいけないのが面倒に感じる。でも、フレーチェ様によると、上流階級の人にとって、それは当然の配慮らしい。敵か、味方か、注意が必要なのかそうでないのか。
そういえば、トピアスさんともそんな話をしたことがあった気がする。庶民でも大人になるとそういうことがあるのだろう。
……それだと、上流階級の大人はいったいどうなっちゃってるんだろうね。
誰がどうとか考えるだけで頭がいっぱいになっちゃいそうだ。神呪とか忘れちゃうんじゃないだろうか。
「あ、ペトラだ」
「あ、ホントだ」
「うむ」
野の日の午後、いつものようにフレーチェ様に呼ばれて出かける途中、大量の洗濯物を抱えて中庭の隅を横切るペトラを見かけた。だが、やはり忙しそうだ。声をかけると迷惑のような気がする。
「何か、声をかける理由とかってないかなぁ……」
「アキちゃん、あめ玉持ってなかった?」
「あ、そうだった!おーい、ペトラ―」
リニュスさんがなんだかヒューベルトさんに睨まれてハッとした顔をしている。声をかけちゃダメだったのかな。
……でも、もう呼んじゃったしな。そしてペトラにも睨まれてるしな。
「ペトラー!あめ玉いるー?」
「……アキ殿。その大声と所作は今の恰好に相応しくないぞ」
すかさず、ヒューベルトさんの注意が飛ぶ。
「え?でも相手は上流階級でも王族でもないよ?」
たしか、高貴な人と一緒にいるときはダメだと書いてあった。でも今は、相手は使用人で、わたしが連れているのは護衛だ。
「……フレーチェ殿に指導してもらうか」
「ぇぇえええっ!?なんで!?ダメなの!?」
「何故ダメなのか、きちんとご教授願うといい」
「……怒られる予感しかしないよ。……ハァ」
「……アキちゃんもっと気を付けてよ。……ハァ」
フレーチェ様は叱るとき、とても穏やかな声音で謎の圧を出してくる。普段から圧を感じるが、それが膨張するのだ。加えて、目の奥が笑っていない。わたしとリニュスさんはもう怯えるしかない。
「リニュスさんは直接怒られる訳じゃないからいいでしょ」
「あのね、オレ、護衛だよ?護衛対象が圧をかけられててヘラッとしてるわけにはいかないでしょ」
「………………」
なるほどと思いつつ、なんとなくヒューベルトさんを見上げる。
「うむ」
なんだかよく分からないけど、力強く頷いてくれたので、一緒に圧を感じてくれていると信じよう。
「あ!あ~あ、ペトラ行っちゃった……」
それから、都の日を挟んで数日。ペトラには数回会ったが、あめ玉を渡す前にフンッと言って逃げられてしまった。
「どうしていつも逃げられるのかなぁ」
「何か文句を言われるとでも思っているのだろう」
「いや、それにしては態度がデカイよ、あの子」
たしかに、文句を言われたくないと思っている人の態度じゃないと思う。あの態度では誰に文句を言われてもしょうがないだろう。
「では、次は三人で周囲を固めて攻めるか?」
「いや、それいじめですから、ヒューベルトさん。絶対友達になれないやつですから」
「ああ、でも、狭いところで声かけたら逃げられないかもね」
今までは遠くから見かけて声をかけていたのだ。あまり大声にならないかわいらしいっぽい声で。
「つっても、向こうは使用人通路を通るから近くを通ることがないだろう?」
「うーん……じゃあ、職人服を持って来て使用人通路を通る?」
「使用人に不必要に近づくのは容認できん。危険だ」
「でも、ここお城だよ?素性が分からないような使用人はいないんじゃない?」
領都の上流階級の家の使用人とかだと、もしかした悪い人もいるかもしれないけど、お城に入るには紹介状とか経歴とかがいろいろ必要だと聞いた。そんなに危険な人がいるだろうか。
「庶民のならず者とかじゃなくてね、シェルヴィステアの領主一族に良くないことを企む人もいるんだよ。それこそ官僚とかにもね。そこからの紹介で入られると紛れてしまって分からないんだ」
「……要するに政敵の手の者だな」
「せいてき…………」
「政治的に敵に回っている人たちだよ。偉い人たちはいつもいろいろ揉めてるものなんだよ。そして、そういう人たちはプロを雇ってたりするから、ならず者なんか比べ物にならないくらい危険なんだ」
……ああ、それでヒューベルトさんとリニュスさんの両方が付いてきてくれたのか。
正直言って、治安は当然お城より町の方が悪い。なのに、どうして町中だと一人しか護衛に付かないのに、お城だと二人で護衛に付くのか疑問だったのだ。
「わたしも狙われてるの……?」
「まだ、それほどでもない。ただ、これからランプが出回れば当然狙われるだろう。だからこそ、ダン殿もナリタカ様もアキ殿の存在を隠していたし、任命式も最小限の人数で行われたのだ」
「そっか……」
なんとなく、気分が沈む。
わたしの知らないところでいろいろなことが動いていて、決められる。それを教えてもらったからといってわたしに何ができるわけでもないけれど、それでも、自分のことを自分の知らないところで判断されているのは怖いし、嫌だと思う。全部教えてもらうのは無理なのだろうということも、分かってはいるのだけれど。
「きっと、ナリタカ様に仕えるようになっても、それは変わらないんだろうね……」
「……え?」
小さく呟いた声はリニュスさんには届かなかったようで聞き返されたけど、何でもないと首を振ってごまかす。
……もしかして、ダンが来ない方が良かったのって、そのためかな。
来る方がいいのか来ない方がいいのか判断ができないと言っていた。判断したのはアーシュさんだろう。ダンがいたらヒューベルトさんとリニュスさんは二人でわたしとダンの二人を守らなければならなくなる。もしかしたら、問題はそこだったのかもしれない。
……言ってくれたっていいのに。
ちゃんと説明されたら納得する。
一人前の大人のように扱われるのはまだ怖いのに、変に子ども扱いされるのにもモヤモヤしてしまう。でも、誰にぶつけることもできない。わたしのためにみんな考えてくれてるのに、さすがにそれはできない。
……コスティなら分かってくれるかな。あ、でもコスティは大人扱いされたいのか。
共感って、実は難しいんだなと思う。
「引っ越し」は4話に渡る予定です。
(予定は未定です)




