帰省
「ダン、おやすみ~」
「ん?…………ああ、アキ、明日は戻るか?」
ダンには、寝る前に必ずおやすみ通信をするようにしている。だが、ダンは元々おしゃべりじゃないし、なによりわたしが毎日疲れていたので、昨日までは「おやすみ」「ああ」以外の会話はなかった。せっかく言葉を通す動具に改良したのに有効に使えていないのがちょっと不満だったのだ。今日はちゃんと会話ができてちょっと嬉しい。
「うん。お昼前には帰れると思う。明日は忙しい?」
「そうだな。明日は目が離せねぇな」
炭やきの仕事には曜日はほとんど影響しない。納品も、お店の主人が休みでも使用人がいて受け取ってくれるようになっているので、都の日でもお休みではないのだ。それはしょうがない。
「あ、じゃあ、明日のお昼はヴィルヘルミナさんのご飯だね」
「ああ。伝えておく。じゃあな、おやすみ」
「うん!おやすみ~」
お城の食堂も、寮の食堂も、専属の料理人がいるらしく、とても豪華で美味しい。だが、やっぱり時々は普通の食事が食べたくなるのだ。
……ああ、白いご飯に糠漬けが食べたいなぁ。
わたしにとって、一番普通のご飯は穀倉領のご飯なので、そう簡単に食べられないのが少し残念だ。
「親愛なるアキさん」
「朗読せずとも良いぞ」
馬車用の門に向かって三人で歩きながら、今朝受け取った手紙を開く。わざわざヒューベルトさんが指摘してくれたので、朗読せずに要約すると、フレーチェ様からお誘いが来た。
「来週、裏の庭園でお茶をしましょうって」
「ふむ、裏の庭園なら、それほどかしこまった格好でなくても良いな」
「あそこは少し高い木々に囲まれてて、外からあんまり見えないんだよ。散策したりもできるから、裾の長い服は向かないんだ」
ヒューベルトさんの言葉に首を傾げると、リニュスさんが説明してくれた。
「手持ちの服でもなんとかなるだろう。子どもだと装飾品に金がかからなくて良いな」
「うーん、小さな石の付いたネックレスくらいならしてても良さそうだけどね」
どうやら、子どもがやたらと華美にしているのは好まれないらしい。もしかしたら、マリアンヌ様がそういう好みなのかもしれない。
服の流行というのは、王族に近しい人たちから広がるのだそうだ。輔佐領だと、領主様やその奥様、お母様によって広がるらしい。一番影響力のある人が次々と新しいものに挑戦したがる人だと、領内の上流階級の人たちも次々とその後を追い、そうではなければ領内の流行の移り変わりはゆっくりになる。上流階級と庶民の服装の違いが大きい領は、領主や奥様がいろんな服を新調しているということだ。
……マリアンヌ様が派手好きじゃなくて良かった。
ただでさえ、お城で着ている服は生地が高い服なのだ。この上更に余計な飾りなどが付いていようものなら、絶対にその日の内に破損してしまう。まず、朝ごはんの席で早速汚してしまう可能性が高い。そして、もし朝ごはんが無事に済んだとしても、神呪を描くのに邪魔だなと感じた瞬間、無意識に飾りを引きちぎるだろう。間違いない。
「来週のいつだろう。昼間は仕事があるから無理だよね」
「ラウレンス殿に相談するといいだろう。実際、アキ殿は手が空いている時間も多いからな。マリアンヌ様のお名前を出せば考慮してもらえるのではないか?」
たしかに、わたしは開発室の仕事は全然大変じゃない。むしろ暇だ。まだ光の神呪を描ける神呪師がいないので、必要な個数描くのは全てわたしの仕事だが、同じものを描くだけなので大して手間はかからない。そろそろ最初に考えた暖炉の遠隔発火動具を開発しようかと、本気で考え始めている。
「それより、休みの間にもう一度礼儀作法の復習をしておかなければならんな。荷物の中に本は入れてあるか?」
「うん。入れた」
「じゃあ、オレが荷物を持つよ」
リニュスさんがそう言ってわたしから荷物を受け取り、身軽になったわたしをヒューベルトさんが馬に載せる。
試験の時は歩いて来たが、今回はヒューベルトさんとリニュスさんは正式にわたしの付き添いとして入城したので、馬はお城に預けていた。馬で出入りするときは、馬車と同じ川沿いの道を使う。
「うわー、これ、落ちたら大変だねぇ」
改めて川の方を覗くと、木や雑草が生い茂る急な斜面が続く。木々があるから見えにくいが、水面がキラキラと光を反射するのが、木の枝の隙間にチラチラと覗く。ハッキリ見えない分、余計に怖い。
そして反対側は、道を作るために山を削られたようで、けっこう高い所まで、土が剥き出しになっている。
「この崖、崩れてきたりしないの?」
「……階段側の壁も、崩れたという話は全く聞かないな」
「崩れたような跡とかもないから、何か特殊な方法でも使ってるのかもね」
二人とも知らないらしい。まぁ、他所のお城のことはよく分からないとアーシュさんも言っていたので、そんなものなのだろう。
「真っ直ぐ家に帰っていいのか?」
「うん。今日はまだ納品はないから」
さすがに、初日から木の実やらハチミツやらを持ち込むのは無理だった。着替えとか日用品とかで手一杯だったのだ。でも、今回はちょっとだけ持ち込んでみようと思っている。
「では、グランゼルムに出発だ」
家に戻って荷物を置いて炭やき小屋に向かうと、窯の焚口を閉じているところだった。ヒューベルトさんとリニュスさんは一旦グランゼルムの宿に向かい、昼食の後でまた来るそうだ。
「ただいまー」
「ああ、おかえり」
ダンが作業をして、クリストフさんはそれをチェックしているようだ。返事をする余裕がないダンに代わってクリストフさんが答えてくれた。
「アキ、着替えた方がいい」
「え?」
一瞬、なんのことか分からず自分を見下ろして気付いた。
……お城用の服着たままだったんだ。
高価な服は動きにくく、すぐに汚してしまいそうで嫌だと思っていが、一週間その恰好で過ごしたら、もう慣れてしまっていたらしい。家に戻って、擦れて薄っぺらくなった茶色っぽい服を着ると、なんだか一気に世界が変わったような気がした。
歩く歩幅が自然と大きくなり、手や頭が揺れることが気にならなくなる。ドアを開ける所作も何もかもが、ちょっと雑で、でも速さを重視した動作に代わる。あっと言う間に、お城に行く前の感覚に戻った。服が変わるだけでこんなに意識が変わるのかと、自分でもびっくりしてしまう。
……でも、逆に考えれば、お城での所作にも慣れてきてたってことなんだよね。
さっきの服を着てお城に戻ると、またお上品な歩き方に変わるのだろうか。自分で自分がちょっと楽しみだ。
お昼ご飯を食べて、炭やき小屋で本を読んでいると、リニュスさんがやってきた。ヒューベルトさんは宿でお手紙を書いてるんだって。
「ねぇねぇ、リニュスさん。今のわたしとお城でのわたしって違う?」
「え?なに?急に」
リニュスさんが不思議そうな顔をするので、さっき着替えた時に感じたことを言ってみた。
「ああ。うーん……そうだね。戻ってはいると思うけど……やっぱり以前とは違うね」
「え?そう?」
「うん。本を捲る指の動きとかかな。大きい動作はたしかに雑な感じに戻ってるけど、隅々にまで意識を向ける感じは以前はなかったからね」
なるほど。傍から見たらそんなものかもしれない。明日コスティに会ったら驚かせてしまうかな。
「いや、変わってないぞ」
「そうだね。戻ってるみたいだね」
「いや、完全に戻っているだろう!」
コスティはともかく、リニュスさんはおかしい。昨日は変わったって言ってたのに。そして、どうしてヒューベルトさんが怒るのか。
「一晩寝たら元通りだね~。おもしろいな」
「明日は城に戻るんだぞ!?戻せるのか!?そんなガサツな所作で城での仕事などできんぞ!?」
リニュスさんがしみじみと呟く。ヒューベルトさんは仕事などできないと言うが、わたしの仕事は神呪を教えることなのだ。そこは問題ないと思う。
「だって、お上品に庶民のクレープなんて焼けないよ。あ、200ウェインでーす」
「仕事はできたとしても、フレーチェ殿との茶会があるだろうが!」
相変わらず、クレープは女性の方が人気だ。男性用に辛いメニューもあるのだが知られてないから売れないのか、味が好みじゃないのかが判断できない。
「でも、フレーチェ様とのお茶会はわたしの練習のためでしょう?だったら、最初から完璧なものなんて求められてないと思うけどなぁ。あ、おじさんおじさん。クレープどう?辛いのもあるんだよ。美味しいよ」
「今まで教わったことまで忘れていたら失礼だろうが!」
お店の前を通り過ぎる男の人に声をかけてみるが、あんまり反応が良くない。クレープというのがダメなのだろうか。
「大丈夫だよ。服を戻して所作が戻ったんなら、高価な服を着れば所作もお城用に戻るよ、ある程度なら。お兄さんお兄さん、鳥肉を甘辛く味付けしたものなんだよ。包んであるからそのまま食べられて便利だよ」
「ある程度じゃダメだろうが!完璧に戻した上で更に上達していなければ」
言い方を変えたら買ってもらえた。辛いというのと便利というのを強調するといいかもしれない。
「でも、それ、契約した仕事内容とは関係ないし……。お兄さん、味どう?また買う気になる?」
「仕事がなかったとしてもマリアンヌ様に呼びつけられたら断れんだろうが!」
ちょっと甘みが強いらしい。もう少しワイルドな味付けが好まれるようだ。時間がある時に試作してみよう。
「ふぅ。それもこれもアンドレアス様のせいだよね……。あと、エルンスト様」
「いや、元々お前が目立ってたからだろ?それより、城で試作とかするなよ」
コスティはするなよと言うが、ではどこでやれと言うのか。今夜寮に戻ったら、どこでやれるかイルマタルさんに聞いてみよう。
「あ、コスティ。寮で木の実のハチミツ漬け作るからハチミツちょうだい。あと、リニュスさん。わたし、鉄板の改良もやりたいんだけど、材料って運べるかなぁ」
「いろいろと抱える前に礼儀作法を取り戻すことを考えろ!」
ヒューベルトさんはそう言うが、昨日まで身に付けていたことを思い出すのだから、それ程大変な気はしない。
「それより、ヒューベルトさん。フレーチェ様がお茶会にどんな服を着てくるのか調べてくれる?調べてることを知られないように調べなきゃいけないなんて、わたしにはどうしたらいいか分かんないよ」
礼儀作法を意識するならば、当日の所作より先に服選びで悩む必要がある。高貴な人とズレ過ぎず、かつ、高貴な人より目立つわけにはいかないのだ。これがたぶん一番難しいことだと思う。
都の日の翌日が火の日なので、帰省は一泊二日です。
次話は「ラウレンス様」(タイトル変わるかも)です。




