図書館のおじさん
入城してから4日が過ぎた。何となく、一日の流れが掴めてきた。
「おはようございます。イルマタルさん」
「はい。おはようございます」
自室で着替えて1階に降りると、ちょうどイルマタルさんが食堂から出てきたところだった。
「今朝はパンだよ。たくさんお上がりね」
「はい。ありがとうございます」
わたしが子どもだからか、イルマタルさんはとにかくわたしにご飯を勧めて来る。今は朝ご飯を食べるところだから別に普通だが、いつ顔を合わせても、ちゃんとご飯は食べられているか聞いてくる。べつに過剰に心配しているわけではなさそうなので、わたしもあまり気にせず返事をするけど、イルマタルさんの周りにはあまりご飯を食べない子どもでもいるのだろうか。
「イルマタルさん。おはようございます」
「ああ、カーリさん。おはようございます」
イルマタルさんのこの気さくさは、わたしが子どもだからかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。一応、相手が大人の場合はきちんと礼を取ってはいるが、ちょっと膝を曲げる程度だし言葉遣いも特にかしこまらない。寮に入っている人たちも、他の使用人には冷たくしてもイルマタルさんには概ね丁寧な態度だ。もしかしたら寮監って偉い立場なのかも知れない。
ちなみにカーリさんはわたしを見かけても素通りだ。わたしだけじゃなく、他の人にも話しかけたりしない。初めはわたしに何か問題があるのかと思っていたが、他の人たちは話しかけてくれるので、問題はわたしの方ではないと思う。
「アキちゃん。おはよう」
「おはよう。アキ」
「おはようございます。ロッタさん、マルヤーナさん」
ロッタさんは文官で、マルヤーナさんは武官らしい。ロッテさんは淡いオレンジ色の髪を緩く後ろでまとめていて、ちょっとフワッとした感じの人だ。あくまで見た目は。マルヤーナさんは濃い茶色の髪をギュッと後ろに引っ張るようにまとめていて、太めの眉と吊り上がり気味の目がいかにも強そう。実際、腕が良くて、女性の王族の護衛を務めることもあるそうだ。キリッとしていてかっこいい。
「今日はパンですって。わたくし、パンが大好きなの。嬉しいわ」
「ロッタが好きなのはパンではなくバターだろう」
「あら」
二人は入城した時期が同じで、ずっと寮で暮らしているので気心が知れているのだそうだ。一見正反対に見える二人だが、会話のテンポがピッタリで、本当に気が合っているのが分かる。わたしはお友達のはずのコスティとなかなかテンポが合わないので、そういう相手がいるのはちょっと羨ましいなと思う。
「アキちゃんはお休みにはお家に帰るの?」
「はい。保護者が心配するし、お仕事もあるから」
「仕事?」
マルヤーナさんが不思議そうに問い返してくる。ちなみに、わたしはまだ一つ目のパンが半分ほど残っているが、マルヤーナさんは三つ目を平らげたところだ。租借している気配がないのだが大丈夫だろうか。
「領都ごグランゼルムのお店に木の実のハチミツ漬けを卸してるんです。あと出店でクレープも売ってます」
「え……?それ、アキちゃんがやらなきゃいけないの?他の人を雇ってもらったら?こっちの仕事もあるのに大変でしょう?」
「雇われてるんじゃなくて、わたしがお友達と始めたことだから、ちゃんとやりたいの。最近、商談を持ち掛けられることも出てきたから、人任せにする気にもなれなくて……」
クレープの人気が出始めた頃から、木の実のハチミツ漬けを卸して欲しいという話やクレープの材料に関する問い合わせが増えている。基本的には断るだけなので、わたしがいない時はコスティが対応してくれているが、考える必要がある話は保留しておくと言われている。大変だけど、戦力として見てもらっていると思うとやる気が出る。
「へぇ。自分達で始めたのか。すごいな。偉いじゃないか」
マルヤーナさんが頭をワシワシと撫でてくれる。
「そうなの。その辺りの才気も買われての今回の抜擢なのでしょうね。お城に手伝いだなんて本当に驚いたもの。でも、いいわね。有能な人材はいくらでも欲しいものだわ」
ロッタさんの目がギラリと光る。ロッタさんは意外と肉食系だと思う。
「さて、じゃあ行くかな」
「ええ。じゃあ、アキちゃん、またね」
結局、わたしがパンを一つとスープを食べ終わる頃には、ロッタさんはパンを三つ、マルヤーナさんは五つ食べていた。二人ともとてもほっそりとした体形なのに、どこにパンが詰め込まれているのか不思議だ。
今日も、発光の神呪の描き方を教える相手はマルックさんの班だ。ポイントは教えたので、後は慣れだろうと思うのだが、初めてみるパーツだらけでどう繋げたらいいのか戸惑うらしい。無理に繋げると動かなくなる。
「うーん……この線からこの線に行くのに斜めになりすぎてるんだよね……」
「その角度も決まりがあるのか……」
マルックさんは頭を抱えるが、特にルールというほどのことではないと思うのだ。
「決まりと言うか……自然にそうなるでしょ?ここからこっちに繋げると」
「……もしかして、パーツ同士の配置の問題じゃないのか?」
「幅はこれくらいだろ?」
マルック班の別の人がやってきて話に加わる。こうなるとわたしは完全に蚊帳の外だ。なにせわたしはパーツごとに覚えているわけではない。パーツの配置とか言われてもピンと来ないのだ。
……見たまんまだと思うんだけどなぁ。
何が分からないのかがよく分からないので、教えようがない。正直言って、この先どう教えればいいのか考えあぐねている状態だ。
何やらみんなで相談しているので、一段落するまでランプの制作をする。神呪師たちが自分で描けるようになるまでは、わたしが作ることになっているのだ。まぁ、部品に神呪を描くだけだけど。
「おや、今日は何を読むんだい?」
お昼休みや休憩時間は本を読むことにしている。図書館に出入りする許可証は、ラウナさんに案内してもらった日にラウレンス様にお願いして、翌日には発行された。本を借りることができるようになったのは本当に嬉しい。
ランプ20個分の神呪を描いた後、休憩に椅子に座って本を取り出すと、いつの間にか部屋に来ていたラウレンス様が上から覗き込んできた。
「創世神話です」
「ああ、ペッレルヴォ師との議論は創世神話での神呪の譲渡についてだったっけ?」
問答は試験の一環だっただけなのだが、もしかして、一人一人の詳細までみんなに知られているのだろうか。
「はい。今存在するものが全て神人から与えられたものだとしたら、神人にとってわたしたちの今の生活は想定内のものだったということですよね。でも、実際は戦争があったり異常気象があったりもする。それすら神人の想定通りだったのかどうかが知りたいんです」
「ほぅ。それを知ったらどうなるんだい?」
口調は穏やかだが、目が真剣だ。ラウレンス様の興味を引く話題だったらしい。もしかしたら、ペッレルヴォ師はラウレンス様とも何か話したのかもしれない。
……創造の神呪が、人間にも作れる可能性が出てくる。
「……分かりません。ただ、この前の問答で気になったから……」
さすがに、創造とかの話を口に出す勇気はなかった。バカにされるならまだいいが、狂人だと思われたりしたら大変だ。この先の人生が無事に過ごせる保証がなくなる。
「……なるほど。では、何か分かったら教えてくれるかい?」
「はい」
言いながら、ラウレンス様がチラリとヒューベルトさんたちを見る。わたしからは後ろにいるヒューベルトさんたちの表情は見えないが、何となく硬い空気を感じる。
わたしは何を期待されているのだろうか。何かすごいものを発見したとして、そのままラウレンス様に伝えるのが正しいのかどうかを、どう判断したらいいだろう。
「ああ、そうだ」
部屋を出ようとドアを開けたところでラウレンス様が振り返る。
「ペッレルヴォ師が、君との問答をアンドレアス様が邪魔をしたと拗ねているんだよ。今度案内するから一度相手をして差し上げてくれるかい?」
「……はい」
わたしが、アーシュさんやヒューベルトさんたちの方が信じられると感じているのは、ただの直観だ。夜になればダンに相談できるけど、言葉だけだとどうしても上手く伝わりにくいこともある。ダンがいないこの場所で、ダン以外の誰を信じたらいいのか、答えが欲しいと思った。
「こんにちは」
図書館への出入りが許可されてから、仕事の帰りに毎日図書館に寄っている。
「やぁ、いらっしゃい」
図書館の受付には、試験の時に案内してくれたおじさんがいる。わたしを覚えていたらしく、初めて図書館に連れてきてもらった時にとても驚かれたが、半年間だけでも図書館に来れると言うと、おじさんも喜んでくれた。おじさんは本を読むことが大好きだから、同じように読書が好きな人と会えると嬉しいんだって。歓迎してもらえてわたしも嬉しい。
「昨日の本はもう読んでしまったのかい?」
「ううん、まだ。でも、明日の仕事終わりまでは持たないかなと思って」
図書館なんて来たことがなかったので、何をどう探したらいいのか分からず戸惑っているわたしを見て、おじさんが声をかけてくれた。どんなことが知りたいとか気になっているとかを言えば、お勧めの本を探してきてくれるなんて、司書さんってすごいなと思う。だって、この図書館にある本の中身を全部知ってるってことだよね。
「できるだけ最初の方の神呪のことが知りたいの」
「おや、創世神話はもういいのかい?」
「うん。一旦保留」
「ハハ、そうか。神呪ならこっちだな」
おじさんは、図書館の奥の方に案内してくれる。創世神話の本もそうだったけど、神呪の本も随分奥の方に追いやられている感じだ。神呪の本は神呪師しか見ないだろうから分かるけど、創世神話は見る人はいないのだろうか。
「創世神話については、そもそも記述の信憑性が疑われるものが多いからね。信用できない知識を得ても仕方がないのだろう」
なるほど。創世神話の研究者ならばそうなのかもしれない。
「わたしは神呪のヒントが欲しいだけだから、そこまでのこだわりはないけどね」
「ああ、そうだね。それにしても、お嬢ちゃんは神呪師の方だったんだねぇ。文官だとばかり思ってたからビックリしたよ」
「うん。試験の時はまだ言わないように言われてたんだけどね」
試験のために初めてお城に来てから、あと1ヶ月で1年になる。あの時は、自分がお城に住んで仕事をするようになるなんて思いもしなかった。でも、考えてみれば、まだ11年しか生きていないわたしの人生は、予想できないことの連続だ。これから1年後、わたしはどこで、どうしているんだろう。
寮とお城の往復だけですが、寮での集団生活も、女性だらけの環境も初めてなので、結構戸惑うことも多いです。
次話は「帰省」です。
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