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のんびり案内

「そういえば、ラウレンス様はいらっしゃらないんですか?」


 わたしが何気なくその名前を口にしただけで、空気がちょっと固まる。特にビクッとした人が何人かいるので、ラウレンス様が何かしたのはその人たちにだろう。


「室長はいつもお昼はご自宅に戻られるのよ」


 そういえば、領都の雑貨屋が自宅だとクリストフさんが言っていた。


「それより、アキちゃん……さん?は、神呪が描けるのよね!?」

「あ、ええと……はい、ラウナさん。ただ、あんまり言わないように言われているので……」

「あら!ごめんなさい。でもじゃあ、誰かに聞かれたらなんて答えようかしら」

「神呪師の子どもで、将来神呪師を目指しているから手伝いに来てるんだということにしてます」

「ああ、なるほどね」


 ラウナさんに謝られたけれど、知らなかったのなら仕方がない。後でラウレンス様に周知してもらえるようにお願いしよう。


「寮に住むのですか?」

「はい。マティルダさん」


 マティルダさんは、眼鏡で見えにくいけどとてもまつ毛が長い。目をパチパチすると時々眼鏡をこすっている。ちょっと眠そうに見えるのはまつ毛のせいかな。


「あ、オレもオレも!男子寮!いや~、神呪師って寮住まいが少なくって肩身が狭かったんだよねぇ。良かったよ」


 サウリさんが気さくに言ってくれるけど、どうして寮だと肩身が狭いのか分からない。


「ほら、職場が近いでしょ?境光落ちた時に遅刻なんてしようもんなら、もう一斉攻撃なわけ」


 ……それは寮とかいう問題じゃないよね?


 一応、口にするのを控えたが、きっとみんなと感情を共有できたと思う。フレーチェ様が社交において大事だと言っていたことを二つも実践できた。着実に身に付いているなと感じる。


 席に着くと、使用人が食事を運んできてくれる。メインディッシュは鳥肉で、ソテーした野菜が添えてあり、パンとスープまである。豪華だ。


「リニュスさん……」


 豪華ではあるが、とても食べ切れない。ここではわたしが子どもであるということは考慮されないようだ。


「ほいほい」


 リニュスさんが笑いながら、わたしのお皿から自分の皿へ料理を取り分けてくれる。リニュスさんはわたしの監視兼護衛をしてくれているけれど、立場としてはわたしより上だ。年齢も上なので、リニュスさんが取り分けてくれる分には問題ない。


 ……リニュスさんも、ヘラッとしてるようで、やっぱり作法は身に付けてるんだよね。


 料理の取り分けは難しい。音がしないように、無駄に時間をかけないようにしなければならない。わたしにはまだ人前で行う勇気は持てない。


「はい。どうぞ、アキちゃん」

「ありがとう。リニュスさん」


 ちゃんとわたしが食べやすいように一口大に切ってくれているところが、さすがリニュスさんだ。


「へぇ~。キレイに取り分けるわねぇ」

「こういうのは慣れですからね。練習すれば誰にでもできますよ」


 ラウナさんの言葉にリニュスさんがニッコリ笑って謙遜するが、わたしはまだできるようになっていないので、誰にでもできるようになるのかは疑問だ。できるようにならなきゃいけないんだろうけどね。


「食べ終わったぞ。お前も早く済ませろ」

「お、じゃあ、いただきまーす」


 ヒューベルトさんももちろん作法は心得ている。全然急いでる風でも口にいっぱい詰め込んでる風でもないのに、何故かわたしが5口くらい食べている間に食べ終えている。リニュスさんもそうだから、もしかしたら、わたしが遅いのかな?


「食べ終えたらザっと案内するわね。これから案内する所が行動範囲だと考えていいわ。それ以外の所に行ったら迷子になったり、最悪罰されることもあるから気を付けてね」

「はい。ラウナさん」






「で、ここが図書館。許可証が必要だから、早めに室長に言っといた方がいいわよ」


 本邸の外に出て最初に案内されたのは図書館だった。


「わたしも入れるんですか?」

「わたしたちは仕事柄ここに来ることが多いからね。アキちゃんも入れるようになっとかないと困ると思うわよ」


 ……やった!神呪の本が読める!


 わたしはここに来て初めて、アンドレアス様に感謝の気持ちを持った。いや、まだ感謝とまではいかないけど。ちょっとだけなら水に流してあげてもいいかなぁくらいだけど。


「女子寮は知ってるでしょ?あとは……衛兵の訓練所なんて行ったってしょうがないしね」

「ラウナさん、わたし、フレーチェ様に礼儀作法を教えてもらうお約束をしてるんです。そういう時はどうしたらいいの?フレーチェ様のお部屋に行くの?」


 いつ、どこに呼び出されるのかとかも全く分からないが、話があった時にどうしたらいいのか、できれば知っておきたい。


「フレーチェ様?」

「はい。マリアンヌ様の侍女って聞いてるけど……」

「ええっ!?マリアンヌ様の!?」


 ラウナさんの驚きぶりにこちらも驚いてしまう。わたしは未だに、マリアンヌ様が誰なのか教えて貰っていない。フレーチェ様に聞いてもフフフとしか答えてもらえなかったのだ。


「……大丈夫なの?」


 ……大丈夫じゃなさそうなのかな。


「フレーチェ様は厳しいけど、優しかったですよ。リニュスさんは怒られてたけど」


 さっきから、フレーチェ様の話が出るだけでうんざりした顔をしている。けど、リニュスさんが怒られるのは、相手に対して馴れ馴れし過ぎるとかいう所だ。わたしはリニュスさんのそういう部分が接し易くて良いと思っているので、そんなに気にしなくていいと思う。


「オレは小さい頃は市井で育ったからね。堅苦しいのは苦手なんだよ」

「え?そうなの?」


 リニュスさんの出自なんて初めて聞いた。作法もきちんとしてるから、てっきり元々上流階級の人なのだと思っていた。


「まぁ、親が昔衛兵だったから、小さい頃から訓練はしてたけどね。10歳で今の家に養子に入って一通りの勉強はしたけど、それまでの遊び相手は近所の子どもだったからね」


 リニュスさんは苦笑するけど、声には懐かしさが滲んでいるし、近所の子どもと育ったそのまんまでいるのだから、庶民と共に育ったことを嫌だとは思っていないのだろう。


「へぇ~。才能がある子どもはそれなりの家に養子に入って王族付きになったりするってのは聞いたことあったけど、本当にあるものなのねぇ」

「いや、本当に才能があれば庶民のままでも王族に雇ってもらえるんだから、オレは足りてなかったんですけどね」

「10歳で養子に入るということは、それまでに能力を認められていたということだ。取り込んでしっかり教育する方が良いと判断されたのだろう」


 ヒューベルトさんの言葉にリニュスさんがちょっと驚いた顔をする。


「ヒューベルトさんは上流階級育ちって感じだね」

「そうだな。家柄は良いだろう。だが、オレはリニュスと違って放り出された方だ」

「へ?」

「能力が不足していると判断されたのだろう。ナリタカ様に拾われなければ今頃はどこかの工房に勤めていたかもしれんな」


 ヒューベルトさんの意外な告白に全員が驚く。だってヒューベルトさんは、才能があると言ったリニュスさんと同じ仕事をしているのだ。能力だって同じくらいあるはずだと思う。


「オレは遅咲きのタイプだったのだろう。それを見抜いてくださったナリタカ様には心から感謝している」


 なるほど。ヒューベルトさんにとってはナリタカ様は恩人みたいなものなのだろう。


 ……だから、キュトラから戻る時にあんなにしつこくナリタカ様は違うと主張していたわけだね。


 お散歩をするようなゆっくりさで、おしゃべりをしながらラウナさんに案内してもらう。


「マリアンヌ様の侍女ならば、本邸にお部屋を賜っていると思うわ。ただ、わたしは踏み入ったことがないからどこに何があるのか知らないのよ」

「本邸って、開発室があるお城?」

「そうそう。領都でお城って言うとこの山全体を指すでしょ?だから呼び分けてるのよ。王族の方々が住んでいるあのお城が本邸。侍女ならたぶん、謁見の間の奥にお部屋があるんだと思うわ」


 王族の方々が住んでいる本邸に、フレーチェ様が住んでいるということは、もしかしてマリアンヌ様は王族なのだろうか。


「ラウナさん、あの……」

「ん?なぁに?」


 言いよどむわたしにラウナさんが優しく首を傾げて聞いてくれる。ヒューベルトさんとリニュスさんも、どうしたのかと不思議そうな顔をしている。


「フレーチェ様に聞いても教えてもらえないから、聞いてもいいのか分からないんだけど……」


 そう言うと、ラウナさんがちょっと戸惑った顔をする。


「えっと、それは……一応、聞くけど、もしかしたら、わたしも答えられないかもしれないわよ」

「はい」


 フレーチェ様は、マリアンヌ様がわたしに興味を持っていると言っていた。もしかしたら、いずれ引き合わされるかもしれない。できれば、今のうちにマリアンヌ様のことを知っておきたい。


「マリアンヌ様って、誰ですか?」

「は?」


 ラウナさんはポカンとするが、ヒューベルトさんとリニュスさんは、ああという表情をする。二人とも、わたしがフレーチェ様に聞いても教えてもらえなかったことを知っているのだ。ちなみに、二人ともフレーチェ様に気を遣ってか、わたしが聞いても教えてくれなかった。わたしが二人に遊ばれているのか、フレーチェ様が無敵なのか迷うところだ。


「え……知らないの?でも、侍女は知ってるんでしょ?」

「フレーチェ様を紹介してもらった時はマリアンヌ様のことは気にしてなかったの。わたしには関係ないかなと思ってたし。でも、何だかマリアンヌ様に引き合わされそうな予感がしてきたから少し気になって来て……」


 できればそのまま気にしないでいたかったけれど、みんなの反応を見るに、呼び立てられたら逆らえないだろう。できるだけの対策を練っておくしかない。


「ああ、そう……。まぁ、いいけど……。マリアンヌ様というのはね」


 ヒューベルトさんとリニュスさんが止めないということは、聞いてしまって構わないだろう。


「今の領主様のお母さまよ」

「……へっ!?」


 今の領主様と言えば、アンドレアス様だ。では、フレーチェ様はアンドレアス様のお母さんの侍女だったのか。


 ……いや……、待って待って。たしかアンドレアス様のお母さんって、現王様のお姉さんだって誰か言ってなかった……?


 聞かなきゃ良かった。いや、聞いて良かったのか?今ならまだ、間に合うかもしれない。


「リニュスさん……。もし、マリアンヌ様に呼び出されたりしたとして……、わたしがそれをお断りする技って……あるかな?」

「あるわけがなかろう、バカ者!」


 リニュスさんに聞いたのに、ヒューベルトさんに即答された。王族ってホントに……ため息が出る。


 案内の最後は地下への階段の場所だった。だが、地下は使用人たちが使う場所だから、わたしたちは入っちゃいけないと言われた。やってる仕事が違うだけで、わたしだって使用人と同じ貧乏庶民なのにね。







森林領は穀倉領ほど豊かではありませんが、平和です。


次話は「神呪の描き方」です。

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