【閑話】ディオーナと光①
「おもしろいな」
自分の執務室へ向かいながら、アンドレアス様が笑う。あれをおもしろいと言えるのだから、器はそれなりなのだろう。召喚されて来た身であれだけズバズバと文句を言えるのは、神呪師として自分が重用される自信があるからなのか、それとも単純に子どもだからだろうか。
「あのような礼儀知らずな子ども……。下働きにでもすればよろしいのです」
後ろから付いてくる文官が苦虫を噛んだような顔で言う。たしかフスターフというこの男は王都の出身だったか。礼儀にやたらうるさく、他の文官にも日頃から煙たがられている。まぁ、僕が言うのもなんだが。
「ラウレンス様も……あのような者に頭を下げるなど。官僚全体の沽券に関わるようなことは慎んでください」
「そういう君は彼女に簡単に言い込められていたね。あれこそ文官として恥ずかしいとは思わないのかい?」
「ぐっ……」
僕に何か言う前に自分の言動を慎んで欲しいものだ。この男の言うことで、耳を貸した方が良いと思われることがあまりにも少ない。というか、僕に関してだけ言えば、一つもない。そもそも、領民に配慮ができない官僚などこの世に存在する価値もないと思っている。
「……仕事、か」
考え込むように、顎に手を当ててアンドレアス様が呟く。
「あれくらいの年だと、普通は手伝いの身だと思うのですがね」
調査書にはたしかに、町の高級料理店や領都の宿屋相手に食品を卸していること、出店の手伝いをしていることなどが書かれているが、彼女がそれほど重要な役を担っていることまでは読み取れていなかった。
「子どもが二人で商っているとあるが、そのままの意味なわけか。保護者は何をやっているんだ?」
「まぁ、契約書に名があるわけですからね。全く関わっていないということはないでしょうが」
保護者は炭やき職人となっている。神呪という文字は全く出て来ないが、彼女の言葉から察するに、神呪が描けるのは彼女だけではなく保護者もだということだろう。しかも、ケガをしていて描けないと言っていた。ということは、ケガをしていなければ保護者にもあの神呪が描ける可能性があるということだろうか。彼女の生い立ちから鑑みるに、元研究所員の可能性が高い。
……本当はそちらが作り出したのではないのか?
どうやら子どもがあの神呪を作り出したようだと聞いた時には冗談だと思った。いや、今でも疑っている。実際に会ってみると、なるほど、たしかに聡い子どもだったが、あれくらいのレベルならばそこら辺にゴロゴロいる。
……研究所か。
その単語には苦い思い出しかない。だが、問答はたしか神呪についてだとペッレルヴォ師は言っていた。他が普通なのに、ある一点だけ飛び抜けた人間というものは、たしかにいて、そういう人種はだいたい研究所にいる。個人的には、全てが優良の者よりも、一点のみ人智を超えている者の方を天才と呼ぶのだと思っている。あの子どもがそうなのかは分からないが。
「うちの神呪師には描けないんですよね……」
思わずため息が漏れる。
僕を筆頭に、誰もあの神呪を真似ることはできなかった。全く同じに見えるのに、何が違うのか力が流れる気配すらないのだ。
「あのランプができれば庶民の苦節は大幅に軽減されるだろう」
そう呟くアンドレアス様の横顔は、たしかに庶民を案じている様子が伺える。根っからの王族なので偉そうには見えるが、母君の教育の成果か、領主としての気概は持っていると感じられる。弟君の方は森林領には全く戻って来ないので分からないが、アンドレアス様が領主になられた以上、あちらは完全に次期王候補となったはずだ。森林領に来ないのならば僕には関係ない。
「できれば、ですが」
「珍しく弱気だな」
「僕はいつも弱気ですよ」
今に至るまでに、どれほどの挫折と無力感を味わったことだろう。こと、神呪に関して、強気になどとてもなれない。
「とにかく、何かするしかない。せっかく良い物がそこにあるんだ。何とか使えるようにしなければ」
「あの子どもがその何かであれば良いのですが。では、失礼します」
アンドレアス様と別れて自室に戻る。そこには、件の少女が作ったとされるランプが置かれている。発光させてランプを揺らしてみるが、光は揺らぐことも消えることもない。振り回してみても、全く変わらず周囲を照らしている。信じがたい光景に、12年前に思いを馳せる。彼女を思い出すと、未だに胸が詰まって目の奥が熱くなる。もうどうしようもないことだというのに。
「ディオーナ……」
境光が落ちた道を馬で駆けることはできない。馬車や馬動車も同様だ。ランプの火が風で消えてしまう上に、揺れて落としたりしても大事なのだ。だがそのせいで、必要な手が庶民に届かないこともある。
王都で神呪を学んでいた僕だが、研究所には優秀な神呪師が大勢いた。補佐領中から腕に自信のあるものが集まっているのだから当然だ。その中でも、僕は比較的優秀な方だったと思う。だが、どうしても適わない相手というのはいるものだ。常にトップの座に着いて揺るぎもしない彼らは、きっと僕のことなど覚えてもいないだろうが、僕にとっては逃げ出すには十分すぎる高い壁だった。
……ヘルブラントとミナ。
別に彼らが僕に何かをしたわけではない。ただ、彼らの技術を目の当たりにして、彼らのこれまでの努力に全く及んでいない自分を感じて、そして彼らに及ぶ程の労力を神呪に費やすことができない自分の限界を感じて、僕が勝手にその場を逃げ出しただけだ。そこに居続ければ、嫌でも違いを感じてしまう。努力をすれば追いつけるかもしれないと言われてしまえば、それだけの努力をしなければならなくなる。自分にそこまでの覚悟がなかっただけの話だ。
だが、それすらも運命だったのだと思えた。王都から逃げて、生まれ故郷にも戻るに戻れずに、領都から遠く離れた田舎の村で、ディオーナと出会うことができたのだから。
ディオーナは優しかった。役人の家で洗濯女中をしていた彼女はいつも真っ赤な手をしていたが、そこに不満を言うでもなく。いつも洗濯の楽しさを語っていた。
……泡を立たせる競争をしていたのだったか。
同僚とも上手くいっていたらしい。村で神呪師として働く僕と一緒にいるところを見られても、やっかまれることもなく、穏やかに祝福されたと言っていた。
結婚するはずだった。
あの頃は何かと災害が多く、領民は皆、飢えて疲弊していた。神呪師である僕は割と安定していたが、米がなかなか入って来なかったり、森が火事になり行き場を失った動物たちが村を荒らすこともあった。だが、そんな中でも、僕たちは希望を持っていた。あと半年もすれば、身寄りのない彼女を妻に迎えて、もう少し大きな町にでも引っ越せば、楽をさせてやることができたはずだったのだ。
「室長。よろしいでしょうか?」
ぼんやりと、途切れがちに淡く揺れるランプの光の中で、痩せ細った彼女の手が伸ばされた時、あの、一瞬その目に確かに浮かんだ糾問の色が、忘れられない。
直前まで穏やかだった。諦観の色さえ浮かべた彼女は、激しく動揺する僕を残して逝くことを案じていた。だが、苦しみぬいて息を引き取るその瞬間彼女の目に浮かんだのは、ぶつける当てのない、せつない問いかけだった。
薬はたしかに領都を出たという話だったのに。何故ここまで届かないのか。何故こんな時に限って、境光が半月も差さないのか。人は暗闇の中で、何故これほどまでに無力なのか。
「室長?」
光を失った瞳から流れる一筋の涙が、僕の心を逆に乾かして行った。
どれほど年月が経っても、潤され流されることのない感情が澱のように広がり、積もった重みで動くことができない。その底にまで光が届くことがない。このランプが、あの時…………
「室長。……おっかしいなぁ、なぁ、いたよな?部屋入ってったよなぁ?どっか行ったっけ?」
「………………」
如何にも能天気な声に頭を抱える。無茶だと分かってはいるが、それでも少しは察しろと言いたい。
「…………なんだ。……騒々しい」
神呪師のマルックは悪い奴ではない。神呪師としてのセンスも悪くはない。だが、どうも間が悪い。人としてのセンスに問題があるのではないか?
「ハッ。室長!あの、この神呪について少し相談が……」
「少し?僕の仕事の邪魔をしに来ておいて、その内容が少し?それは僕の持っている時間の価値が少しだという認識なのかな?マルック」
もはや言いがかりに近いが、これくらいの嫌がらせはいいだろう。僕は暗い思い出に浸っていたところを実に配慮に欠けるこの男のダミ声にぶち壊されたのだ。
「へっ!?い、いや……そんなことは……」
「で?相談とは?」
……この男から神呪を取ったら、絶対官僚でいられないだろうな。
「あ、あのー……この神呪、ちょっと描き換えてみたいのですが……」
「描き換える?」
マルックが手に持っている黒い物体を眉を顰めてみる。炭に直接描くのは発光の神呪だ。今回初めて発見された神呪で、まだ誰も何の研究もできていない。そもそも再現すらできていないのに、どの部分をどう描き換えようというのか。
「あのっ、発火の神呪と組み合わせてみたらどうかと思いまして……」
「発火?」
「あ、ええ。ええと、マティルダの案なのですが……」
マティルダは王都で神呪を学んでいたのだが、実家の事情で森林領に戻ってきたクチだ。腕はたしかだし、この森林領の中では、研究されている最先端の知識に一番近いところにいる。
「ふむ。では、自分たちで責任が負える範囲で許可しよう」
「あ、ありがとうございます!」
「ただし、もし失敗してなにか損失を出した場合は関わった者全ての責任を問うものとする」
「ええぇぇっ!?」
以前、水の膜でいろいろな実験をしているときに、損失を出した者の全身を膜で覆ってみたことがあった。息がどの程度できるかを知りたかったのだが、体すれすれに作られた膜の中では空気が少ないらしく、結局、先端を膜から外に出した状態の筒を咥えて息をするしかなかった。筒が突き抜けても膜が壊れないようにする技術が確立したので、それはそれで良かったのだが。
その時のことを思いだしたのだろう、神呪師たちがヒィヒィ言いながら扉を閉めると、部屋は再び僕一人になる。
もう10年以上もこんなことを続けている。
研究所を逃げ出し、婚約者も失った自分が、こんな賑やかな場所にいるのは場違いのように感じて、時々突き放したくなってしまう。自分の業を人に押し付けるべきではないと、分かっているのだが。
……ディオーナ、僕がここにいる意味は、何だ?
長くなったので2話に分けました。
なので、次話も「【閑話】ディオーナと光②」です。
ラウレンス様は庶民の出身です。
職人の子で、周囲の子より頭が良かったので神童と呼ばれていました。




