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空が青いその世界は ~世界に空を創った少女の話~  作者: 静乃 千衣
第三章 シェルヴィステアのお城
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神呪開発室

 ずいぶん長い間そのまま脱力した後、出されていたケーキと冷めたお茶を飲んでから、リニュスさんに促されて部屋を出た。黙ったまま突然ケーキを食べ出したわたしの横に使用人らしき人がやってきて、お茶を新しいものに替えようとしてくれたけれど、そこは断った。上流階級になると、もったいないとは思わなくなるのだろうか。

 やたらと広く豪華な階段に苦々しい感情が再燃する。庶民が王族に逆らえるわけがない。だからこそ、ダンはわたしを隠していたのだ。これからはこんな感じでズルズル引き込まれて、望んでもいないことをやらされるのだろうか。


 ……また逃げ出してやろうかな。


 そうは思うものの、捨てられないものが増えてしまって簡単には決断できない。そして、ダンがどうするのかも分からない。


 ため息を吐きながら階段を降りると、相変わらず、中央ホールから正面玄関を出ずに右手に向かう。


 ……こういうのも、空かずのドアっていうのかな。


 個室や会議室が並ぶ廊下を真っ直ぐ歩く。ここは何度か行ったり来たりしたので見覚えがある。もう少し真っすぐ行くと例のペッレルヴォ師の個室という辺り、ちょっと手前の別れ道の奥から「ボンッ」という小さな爆発音のような音がした。


 リニュスさんと顔を見合わせる。


 ……まぁ、小さい音だったから大した被害はないだろうけど……。


 リニュスさんと二人、念のため廊下を左に曲がる。二つ並んだ部屋の奥の方の部屋だったようで、中でバタバタと音がしている。


「ちょっ、ラウナさん、しっかりしてくださいよ!なんか間違ったんじゃないですか!?」

「えー?わたしは間違ってないわよ、ほら!」


 たぶん、この部屋で間違いないだろう。


 ……何かの実験かな?


 しかし、実験の失敗は注意が必要だ。もう終わったと思っていた反応が実は続いていて、油断したところに再度爆発するということもあり得る。


 リニュスさんが、ドアの手前で待っているように指示してドアをノックする。


「すみません、何か爆発音が聞こえたのですが……大丈夫ですか?」

「あ、はい。大丈夫でーす」


 少しして、ドアから金髪に眼鏡をかけたお兄さんがひょっこり顔を出した。


「ちょっと神呪が謎の反応を起こしちゃいまして」

「……神呪?」


 思わずリニュスさんと顔を見合わせて首を傾げてしまう。


「ええ。あれ、部外者の方でした?」


 そういって、お兄さんは紹介するようにドアを少し大きく開けて見せる。


「ここは神呪開発室でーっす」


 そこは、わたしが今度から来ることになる部屋で、お兄さんは、今度発光の神呪の描き方を教える相手だった。


 ……なんか、今まで出会った中で一番軽そうな人だね。






「……神呪が暴発したの?」

「そ。火や熱を扱う神呪って難しくてさぁ」


 なるほど。わたしも昔何度かやらかしているから分かるが、火関係は線の太さが重要なのだ。ちょっと間違うとすぐ爆発を起こすし、早く描き直さないと何度も爆発を続けたりする。


「じゃあ、早く消さないと」

「ああ、大丈夫大丈夫。今のが間違ったところだから」


 ……んん?なんのことだろう、通じてない?


「……えっと、だからそこをすぐ消さないと……」


 ボンッ!


 言っている傍からまた爆発音がする。爆発自体はとても小さいのでちょっと風が起こる程度だが、それを繰り返すので、早く止めないと他の何かと連鎖反応を起こしかねない。


「ちょっとーっ!まだ爆発するんだけど!今度はどこ!?どこが問題なの!?」

「ええっ!?ラウナさん、自分で描いたんだから自分で直してくださいよ」

「いや、だから、先に一旦消さないと……」


 埒が明かないと判断したのか、リニュスさんがわたしを後ろに庇いながら部屋の中に踏み込む。中では、黒い髪を後ろで一つに結った少し年上の女の人と、さっきのお兄さんが何かの動具を囲んでワタワタしている。


 部屋にはいくつかのグループに分かれて他の人もいるのだが、爆発が小規模なせいか誰も手伝いに来ない。


「わたしじゃないわよ、火はマティルダよ!マティルダは!?」

「マティルダさん、さっき、ちょっとそこまでとか言って出ちゃってますよ~!」


 焦っているのかもしれないが、あまり焦っているように聞こえない声色で会話が繰り広げられる。誰が描いたものだろうが、爆発しているのだから消した方が良いのではないだろうか。


「ちょっと!誰か手伝ってよ!」

「やだよ!手伝って何もできなかったら室長に一緒に怒られるだろ!」


 室長って、もしかしてラウレンス様だろうか。あまり怒るイメージができない。


「マティルダただいま帰りましたー」

「あっ!良かった!帰って来た!マティルダ!あなたが描いた神呪が爆発してんのよ、何とかしなさい」


 ドアから入って来た、肩までの茶色いふわふわ髪の眼鏡のお姉さんがマティルダさんらしい。別にマティルダさんを待つ必要はなかったと思うんだけど。


「え?その神呪、マティルダ渾身の作だから、失敗なんてないですよ?ていうか、あっても分からないです」

「いいから早く来て見なさい!」


 きょとんとして答えたマティルダさんが渋々神呪を確認する。なんだかお母さんに怒られる子どもみたいだ。そして、そろそろまた爆発する頃だと思う。


「んん~?何も間違ってないですけ……」


 ボンッ!


「キャー!ほら、マティルダ!止めて止めて!」

「だから、間違ってるとこが分かんないんですよ」


 ……本人しか触っちゃいけないルールとかかな。


 他にも神呪師らしき人がいるのに、みんな遠巻きに見ているだけで誰も手を出さない。


「……アキちゃん。もうバレるの決定なんだから、今バレてもいいんじゃない?」


 リニュスさんが気が重くなることを言う。


 ……そうだよね。ここに来ることはもう決定だよね。ハァ。


「この神呪具、借りるね」


 今日は、神呪が描けるとことがバレないように、念のため、神呪具は持って来ていなかったのだ。意味がなかったなと更にがっくりくる。


「…………うーん……、あ、ここかな。この線が太いんだよ」


 そう言って、眼鏡のお姉さんに神呪の問題の部分を指して見せる。早くしないとまた爆発する。


「この神呪はこっちの、この入り口の線のうーん、1.6……いや、7倍くらいの太さで描かなきゃいけないんだよ。これ、もっと太いでしょ?だからこの中で力が溢れちゃうんだよ」


 そう言って、手早く神呪を描き直す。他人の神呪具は使いにくくて、一度描き直しになっちゃったけど。


「今は直したからもう爆発はしないと思うけど、普通は爆発したら問答無用ですぐに全部消した方がいいよ。他の部分にも影響しちゃうとだんだん爆発が大きくなっていったりするから」


 そう言い残して、ポカンとしているお姉さんたちに背を向ける。


 ……だんだん爆発が大きくなると、今度は動具自体にも近づけなくなるからどうしようもなくなるんだよね。


 以前、木に直接神呪を描いてみたところ、爆発の連鎖が起こり、結局その木が一本丸々燃え尽きてしまったことがあった。あまりに無残なその姿にショックを受け、一晩中ダンに縋って泣いてしまった。たしか、王都の庭だったので、3歳くらいだろうか。若気の至りというやつだ。


 わたしは、かわいそうな木を思い出して、元々暗かった気持ちに更に悲しい気持ちを上乗せしながら、リニュスさんと帰路に着いた。






「申し訳ありませんでした」


 帰って、ダンに一通り話し終えたところで、リニュスさんがダンに頭を下げた。


「いや……まぁ、そろそろ隠しておくのも難しくなってたからな。というか、元々こいつが口を滑らせたせいだろ」


 そう言って、ダンがペンッとおでこを叩いた。


「だって、そんなとこから嗅ぎつけられると思わないよ」

「ま、あのランプを作った時点で遅かれ早かれこうなることは分かってたからな。全くの想定外ってわけでもねぇ。とりあえず話は後だ。オレは仕事に戻るぞ」


 そう言って、ダンは炭やき小屋の方に戻って行った。


「じゃあ、オレもアーシュ様に連絡しなきゃいけないから一旦町に戻るよ。また明日来るから」


 本当は先にアーシュさんに知らせたかっただろうが、ダンを優先してくれる辺り、ナリタカ様の周囲の人は優しいんだろうなと思う。


 ……そして、なんかみんな自由だよね。


 きっと、リニュスさんからの報告を受けたアーシュさんが、また何日か後に急いでやって来るんだろう。どうせ王族に逆らえないのなら、アンドレアス様よりはナリタカ様の方がいいなと思う。もちろん、エルンスト様は視界に入っていない。


 ……ダンは、どうするだろう。


 先に仕事をするのは、たぶん、リニュスさんを帰らせるためだ。後で話した結果次第では、リニュスさんのことも出し抜かなければならなくなるかもしれない。


 ……お城に行くなら、ダンと離れなきゃいけないのかな。


 それは、わたしにとっては怖いことだ。物心ついた時からずっとダンに守られてきたのだ。何もできなくて、何も分からなくても、ダンが必ず守ってくれると分かっていたから、わたしは安心して好きなことができていた。離れてしまったら、困った時に助けてもらえない。

 そんな不安があることを、お城に住むあの人たちは、どこまで分かっているだろう。ナリタカ様やアーシュさんには分かるんだろうか。王族は、どこまでわたしたちと同じなのだろうか。


 それから、鐘一つ分くらい仕事をして、ダンが戻ってきた。手には鍋を持っている。きっと、食事を作る余裕なんてないことを察してヴィルヘルミナさんが持たせてくれたのだろうと思う。


 ……ヴィルヘルミナさんも千里眼の持ち主かも。


 わたしの周囲の大人たちはみんな優しくて、そしていろんなことを分かってくれているのだなと、改めて感じる。なんだか、自分の気持ちが筒抜けみたいで、嬉しいような恥ずかしいような、複雑な気分だ。


「……お前は、どうしたい?」


 ダンが聞いてきた。穀倉領を出る時は問答無用だったのに、今回はわたしの意見を聞いてくる。ダンの中ではわたしはちゃんと成長していて、一人の人として尊重してもらってるということだろう。

 誇らしくもあるが、まだ怖いという気持ちの方が強い。自分の選択がダンの人生を決めるのだと思うと、軽々しい選択はできない。いっそ勝手に決めてもらった方が、文句はあっても気持ちは軽いだろう。


「……ダンと離れるのは怖い」

「ああ」


 ダンが軽く相槌を打つ。


「コスティを困らせたくない」

「そうか」


 コスティは大事な友達だ。


「トピアスさんやリッキ・グランゼルムにも迷惑はかけられない」

「そうだな」


 なんだかんだ言って、わたしは見守ってもらっていると知っている。


「クレープの売上げが上がってきたところだったの」

「そうなのか」


 ダンは知らなかったらしい。


「……神呪、描きたい」

「だろうな」


 ダンが間髪入れずに頷くのが、不思議だとも当然だなとも思う。ダンは、誰よりもわたしのことを知っている。


「全部は無理でしょう?」

「……そうだな」


 そもそも、わたしに選択権はない。半年間お城に行くことは、王族であるアンドレアス様の中で決定してしまっている。逃げることはできるが、それではここに住むこともできなくなる。


「都の日に帰って来ることは条件にしたんだろ?」

「うん。出店は火と草だけど火の方が忙しいから」


 もしかしたら、クレープの販売は火の日だけに絞るという可能性もある。コスティは、それも考えていると思う。


「木の実のハチミツ漬けは、材料さえあれば城でもできるだろ。火の日に城に戻る時に材料を持って帰ればいい。リッキ・グランゼルムへの納品は火の日だからそれでいいし、レヴァダ・イェンナは領都だ。持って行くことは可能だろう」

「あ……そうか」


 そうやって、ダンに一つ一つ紐解くように説明されると、それほど難しい話ではない気がしてきた。お城に住むということで、生活がガラッと変わることに動揺していたようだ。


「あとはオレか……」


 残った問題が一番、わたしにとって重要なことだった。


「ダンは、一緒には来れない?」

「………………すまん。すぐには答えが出ねぇ。オレがいる方がいいのか、いない方がいいのか」


 ダンが眉間にしわを寄せて、珍しく唸るように歯切れ悪く言う。ダンがいない方がいいことなんて、あるのだろうか。


「とりあえず、お前はここから逃げる気はねぇんだな」


 軽く目を閉じて、胸の奥をギュッと固めゆっくりと息を吸う。決断を口にするのには勇気と覚悟が必要だった。


「…………うん」


 本当は、ダンの返答次第では逃げ出したい気持ちもあった。だが、さっきダンから一つ一つの解決策を聞いているうちに、逃げるのは無理だと痛感した。


 ……逃げたら、もう会えなくなる。


 穀倉領を出た時とは状況が違う。自分の意思で、王族の命令を振り切って逃げだしたわたしが、その後、その王族の領地である森林領の人たちに連絡を取ることなんて、できなくなる。たぶん、これから先もそうやって、ずっと逃げ続けることになるのだろう。そんな生活を一生続けることができるとは思えないし、したくない。


「分かった。じゃあ、オレが行くか行かないかはあの従者と話し合ってから決めよう。お前はお前の決めたことをきちんとやれるように、しっかりと計画を立てとけ。ま、それでもたった半年のことだ。さっき言ったことはどれも、お前が自分で勝手に進めてきたことだ、オレがいなくてもできるだろう?」


 ダンはそう言ってわたしの頭をポンポンと叩いて食事を再開した。だが、一人でお城に行く可能性を示唆されたわたしは、楽しく食事をする気分になどなれない。

 その日は二人とも、黙ったまま食事を終えた。






 それから一週間後、アーシュさんが来るより先に、グランゼルムのクリストフさんの私書箱に、わたし宛の豪奢な手紙が一通届いていた。アンドレアス様の署名入りの通達だ。


「神呪師ヘルブラントの娘、アキを神呪開発室特別顧問に内定する」







以前チラッと出てきた人たちです。

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