官僚採用試験
木々の間の道を通り抜けると、そこは広く開けていて、真ん前に巨大な建物が建っている。お城というものをちゃんと見たのは初めてだと思った。王都のお城に行ったことはあるはずなのに。
……王都のお城だもん。外から見ると、きっとここよりも大きかったんだろうな。
小さい頃の微かに残っている記憶には、お城を外から見た記憶はない。馬車を降りてすぐ建物に入っていたのだろう。そんな風に、自然にお城の中に入れたことが、今となっては不自然に感じられて何だかおかしい。あの頃のわたしと今のわたしは、同じ人間のはずなのに。
横に広がる建物の真ん中に、10段くらいの幅い階段が2つ分続いている。全部で20段くらいだろうけど、一段一段が低いので全然階段という感じがしない。
何の必要があるのか分からないが、階段を上がってすぐのところにわたしが4人くらい束になったような太さの丸い柱が4つ建っている。
……大勢の人が来た時には邪魔になりそう。
2階建ての建物には、1階にも2階にもたくさんの窓がついていて、窓と窓の間はちょっと出っ張って何か模様が彫ってある。全体的に、なんだか表面がボコボコしている建物だなという印象だ。それにしても、横幅だけでガルス薬剤店が5つ以上入りそうだ。いったい何人の人がどんなことをするのだろうか。
「ここは正面玄関です。今回、ここはくぐりません。ここは賓客を迎える際や、荘官の招集日のみ使用されます」
先頭の案内役の人が、扉を示しながら説明してくれるが、普段使わない意味が分からない。
……汚したくないとか?いやいや、そんなわけないか。
なんだかもう、いろいろと疑問や突っ込みたいことが多すぎる。頭の中の試験勉強はとっくにお城への疑問に追いやられてしまっている。さっきから、ポカンと空いた口を閉じる隙がなかなか見つからない。
「通常はこちらから入ります」
正面玄関のから左に、壁に沿ってしばらく歩くと、壁の装飾に埋もれるように、扉が現れた。壁から少し奥に窪ませたように設置されているので、遠くからパッと見ただけでは気付かなかった。
「通用口には動具が埋め込まれています。先ほど受付でお渡しした腕輪がなければ入ることができません」
腕輪で入城を制限している上に、通用口の前にも門番がいて、中にも一定間隔で衛兵がいる。普段からこんなに厳重なのだろうか。
「お城ってどこもこんなに厳重なの?」
「今日は特別だね。外部の人間を中に入れる時には厳重にしなければならないからね」
どうやら試験のための特別態勢らしい。だが、それならばわざわざお城で試験を行う必要もないのではないだろうか?
「試験に合格すればこのお城で働くことになるわけだからね。それに、もし合格できなかったとしても、一度見ておくとまたやる気が出るだろう?」
案内のおじさんはそういうと、チラリとわたしの前を歩いているお兄さんに目を向けた。実話らしい。
両側に等間隔に扉がある廊下を真っ直ぐに進む。突き当りを右に曲がり更に奥に進むと、曲がり角のすぐ先の扉から中に入った。
「第一会議室です。本日の筆記試験はこちらで行います」
広い部屋に横に長い机がいくつも並べてあって、一つの机に椅子が二つセットされている。既に座っている人も何人かいた。
「時間になったら席を指定致しますので、それまでは適当なところに座ってお待ちください」
案内人の二人はそう言って出て行った。
改めて見回すとすごい部屋だった。床には絨毯が敷かれているが、端に見えている床は四角い木の板を敷き詰めてある。その四角い板には、色んな形に切って組み合わせることで花のような柄が浮かび上がっているのだ。絨毯で模様が隠れているのがもったいない。だが、その絨毯も、紺色の地に緻密な花の柄が浮かび上がっていて豪華だ。壁には何枚もの絵が飾ってあって、天井は高く、太い梁が通っている。暖炉が埋めてある壁は、周囲の壁とは材質が違うようで、直接模様が描かれている。
……絵が気になって会議に集中できなくならないのかな?
見慣れれば気にならなくなるのだろうか。
わたしが周囲を見回している間に、受験者はバラバラに席に着いていた。隣に座ってしゃべったりしている人はいないので、全員一人で来たのだろう。
若い男の人が15人と、ちょっと年上の男の人が6人。女の人だと若い人は一人しかいなくて、ザルトのお母さんくらいの人が4人いた。成人前の子どもは今のところわたしだけだ。
入り口から少し前の席に着いてしばらくすると、案内の人がまた受験者を連れてきた。もうすぐ始めの5の鐘が鳴る頃じゃないだろうか。
「はい。では席を案内しますので、皆さん一旦後ろに集まってください」
案内の人がそのまま部屋に入って来て、見回しながら言った。やはり、さっき連れてきたのが最後の案内だったようだ。クリストフさんくらいの年の男の人が一人と、成人前の男の子が4人だった。
受付の時にもらった紙に番号が書いてあって、案内の人はその番号を一人ずつ読み上げる。呼ばれた人は順番に席に着いて行く。わたしは41番だったのだが、この部屋にわたし以外に40人いるということは、わたしが最後なのだろう。
……申し込んだ順番なのかな?
わたしが試験を受けることを決めたのは2週間前なので、みんなそれより前に決めているということだ。特に、最後に来た男の子4人は、前から順番に座っている。みんな一斉に一番乗りだったのだろう。
「41番、こちらへ」
やはり、一番最後だった。
「これからペンと試験用紙を配ります。机の上には一切の私物を置くことを禁じます」
部屋には案内係の人二人に加え、数人の試験官がいた。試験管数人で、受験者にペンと白紙が配られる。
空気がピリピリしてきた。周りを見回すと、受験者はみんな机の上を真剣に睨みつけていて、試験官がそんな受験者を鋭く睨みつけている。
……場違いってこういうことだよね。
今更ながら、アーシュさんやナリタカ様が何を考えているのかと本気で気になってきた。こんなにすごい意気込みの人たちの中に、たった2週間勉強しただけの状態で放り込まれたのだ。何を期待されているのだろう。わたしは神呪は得意だが、ただそれだけなのに。ため息が出そうになるが、宿を出る時にアルヴィンさんに応援されたのを思い出して、グッと堪えて深呼吸する。
……ま、結果がどうあれ、今は集中するしかないよね。
椅子にずっと座っているのは苦手なのだ。早めに集中しないと持たない。
一度目を閉じて、大きく息を吸う。息を止めて、静かに目を開けながらゆっくりと息を吐き出したところで、試験開始の声が響いた。
「では、試験用紙を集めます。ペンを置いて手を膝に置いてください」
試験官の声にハッと意識が浮上する。
……おおお、今わたし、すっごく集中してた!アルヴィンさん、がんばったよ!
ひどく疲れていて、背もたれにぐったりと身を預けて息を吐く。とりあえず、持った。鐘一つ分、座っていられた。良かった。
充実した気持ちで周囲を見渡すと、部屋中にランプが灯してあるのが目に入った。慌ててグルっと周囲を見回すと、途中、真っ暗なガラス窓が目に入る。いつの間にか、境光が落ちていたようだ。
アーシュさんの読みはすごいなぁと感心していると、前の方の席で声が上がった。
「もう一度!もう少しだけ時間をください!ランプの火が揺れて……!」
少年4人組の一人だった。
「レンニ!止めろ、騒ぎを起こすな」
「だけど……だけどっ!」
試験官の人は、悲痛な声を上げる少年とそれを止める少年をチラッと見て、すぐに出て行ってしまった。周囲の人は、ちょっと気の毒そうな顔をするが、すぐに目線を手元に移す。お昼からは試験官との問答があるのでその対策に余念がない。
「昼食はこちらの席で各自食べてください。この水時計の水が落ちきったら次の試験を開始します。順番にお呼びしますので、食後はそのまま席でお待ちください」
案内の人が水時計をセットして、他の人と入れ替わるように出て行った。部屋に残ったのは、受験者41人と試験官が4人だけだ。試験官は、まるで見張りでもするかのように部屋の四隅に座っている。
「……やれるだけのことはやったんだ。切り替えろ」
「火が揺れて……試験官が歩き回るから……!あれで集中できなかったんだ!」
なるほど。窓は開いていないが試験官が歩き回るので、火が揺れたようだ。試験用紙に影がゆらゆらしていたら集中できなくなったのだろう。
……わたしは試験官が歩いてることすら気付かなかったけどね。
「条件はみんな同じだ。ぐずぐず言ってないで早く飯食って午後に備えろ」
少年4人と一緒にやってきたおじさんが言うと、他の3人の少年たちは黙って席に座ってお弁当を広げ始めた。どうやらあのおじさんと少年4人は知り合いのようだ。
……おじさんが家庭教師とかかな?あ、でも自分も受けるんだから、違うかな?アーシュさんは受けないで帰っちゃったし。
少年たちを横目に見ながら、わたしもお弁当を広げる。朝、アルヴィンさんが持たせてくれたものだ。
「あ、パンだ!」
出先で手軽に食べられるものを用意したとカレルヴォおじさんからの伝言があったが、なるほど。パンに具が挟んであるので、手で手軽に食べられる。肉と野菜を挟んだものと、卵を挟んだものと、木の実のハチミツ漬けを挟んだものが入っていた。甘いのは最後に取っておく。
「そっか。パンに乗せるより、挟む方が出店向きかも……」
この2週間、試験に集中するため、出店やハチミツ関係は全部コスティに任せていた。今までやっていた通りにやるのだからコスティにもできるが、出店で新しく出そうと思っていたパンの木の実乗せについては全く進んでいなかったのだ。試験が終わったら、早速動具を作らなければならない。
……とりあえず、今は午後の試験に集中しなきゃね。
午後は試験官との問答だ。こちらは、担当する試験官によって進め方が違ったりするらしい。共通しているのは、歴史と創世についてお互いの意見をぶつけ合うこと。どうしてそう思うのか、何を根拠にその考えに至ったのかを試験官と話すらしい。
……ただのおしゃべりとは違うのかな。
石けんを作ったりハチミツの売り方を考えたりする時もそんな風に話すと思うのだが、違いがよく分からない。しかも、わたしは結局、まだ丁寧な話し方を身に付けられていない。丁寧に話さなきゃと思うと話す内容の方が疎かになってしまって無理だった。やっぱり2週間くらいじゃ身に付かないらしい。アーシュさんからは、話の内容が良ければ点数は付くだろうからそれで構わないと言われた。合格が目的じゃないしね。
「では、午後の試験を始めます。1番の方、準備はよろしいですか?」
先ほど、レンニという少年を止めた少年が「ハイ」と答えて、試験官と共に出て行った。4人組の中では一番大きいようだ。成人まであと1、2年だろうか。次の席に座っているレンニ少年はそわそわしていて落ち着きがない。
「では、2番の方、どうぞ」
次々に呼ばれて行って、5番までの人が出て行った。試験官は5人いるらしい。
……5人同時に進めたとしても、41番までは時間かかるよね。
問答は、アーシュさんが用意してくれていた砂時計1回分くらいだと聞いた。だとしたら、41番までだと鐘1つ分以上かかるだろう。仕方がないので、勉強したり机に指で神呪を描いてみたりして時間を潰すことにした。パンを焼くための動具は問題なくできそうだと満足できる、有意義な時間を過ごせた。
「では41番の方」
パン焼きの動具から飛んでランプを作る方に頭を悩ませていたら、ついに試験官が呼びに来た。
……しまった。結局あんまり勉強しなかった。
問答だと、何をどんな形で質問されるのか分からないので、何を勉強すれば良いのかがハッキリしないのだ。その結果、何をどうするか考えればハッキリする、動具作りの方に頭と心が傾いてしまった。きっと、同じ状況になればお父さんやお母さんも同じことになるだろうと思うので、仕方がないと諦める。
建物の入口へ戻るように進むと、最初に通ったろうかの両側にある部屋の一つに案内された。会議室を出る時に荷物を持たされたので、終わったらきっとみんな、このまま帰るのだろう。
「失礼します」
「名前は?」
正面に座っているのは、白髪と白髭のおじいちゃんだ。おじいちゃんには違いないが、目が鋭くて厳めしい顔をしているので、気軽に「おじいちゃん」と呼んではいけない人なのだろうと判断する。
「アキ・ファン・シェルヴィステアです」
「よろしい。座って」
おじいちゃんに促されて、おじいちゃんの正面に座る。
「創世神話では、神人がこの世界の全ての物を創ったとされている。だが、わしはそうは思わん」
いきなり神話の否定から始まった。これはもう問答が始まっていると思って良いのだろうか?
「その時に全てが創られたのならば、人に神呪を授ける必要はなかったはずだ。神人は、自分がいなくなった後も、人が自ら何かを創るだろうことを予見していたということだ」
「う~ん……、たしかに、わたしも神人じゃなくて、人が創り出したものはあるんじゃないかと思ってるよ。けど、神呪が何かを創り出すために与えられたというのは、どうだろう?それ以外にも使えるんだから、神人がそこまで考えて与えたっていうのは、正直分からないと思うよ?」
初っ端から神呪の話が出されると、わたしも黙ってはいられない。つい、いつもの口調で答えてしまう。
「ほう?では、人は与えられた神呪を使うことで偶然物を生み出すことができたということかね?」
「偶然ではないかもしれないけどね。今でも神呪についてはたくさん研究されてるでしょ?神人に与えられた時点で、これは使えるってこっそり思ったのかもしれないよ?そもそも、神人が、今の人間の生活の仕方を全部予測するなんて無理じゃない?だって、神人は自分と違うものとして、人間を創ったんだもん。人間と神人が同じような考え方をするとは限らないよ」
「なるほど、そう仮定すると……」
わたしとおじいちゃんの問答は白熱した。
気が付くとずいぶん時間が経っていたようで、話の途中で入ってきた試験官の人に遮られる形で試験は終わった。部屋を出るとアーシュさんがいて、わたしを見て苦笑する。
「ずいぶん楽しそうだったね。でも、こっちもちょっと人を待たせちゃってるんだ。遮っちゃってごめんね」
そう言うとアーシュさんは、出口ではなくお城の中の方に向かって歩き始めた。
……今度はどこに連れて行かれるんだろう?なんだか忙しい一日だね。




