【閑話】ハチミツ飴の行方①
「兄さん。これ、試食品として配って欲しいて。アキさんが」
アルヴィンが、見慣れた小さな壺を差し出してきた。開けてみるとハチミツ飴が詰め込まれていた。
「試食品?」
「そう。単価が高いから大店の店主なんかに売りたいみたいだよ。大店に繋がりがあれば渡して欲しいって。あと、できれば薬剤店に置いて欲しいらしい」
なるほど。現状のままでは売れないと見るとすぐに方向転換し、売れる方法を模索し始める行動力が好ましい。
「だが、大店との繋がりか……。うちは大店とまでは行かないから会合に呼ばれる機会もないしな……」
自分で口にして、少し落ち込む。
3年ほど前に食事処を起ち上げて、順調に売り上げを伸ばしてきた。だが、やはり老舗にはなかなか叶わない。古くからの客はやはり行きつけの店を贔屓するのだ。アキが欲している人脈は、私が欲している顧客層でもある。
「大店の方は置いとくとして、薬剤店はどうにかなるんじゃない?」
「……ヨウシアさんとこか?」
ヨウシアさんは、人気のない裏通りで小さな薬剤店を営む初老の男性だ。以前は領主御用達の薬剤店の店主兼筆頭薬剤師だったそうだが、随分前に引退して、今はのんびりと好きにやっていると聞いている。
以前、アルヴィンの母が病に倒れた時に、人に紹介してもらって世話になったのだ。彼女の病はもう手遅れでどうしようもない状態だったのだが、素人目にも分かるほど手を尽くしてくれて、本当に感謝している。依頼、薬を買う時にはいつもお世話になっている。
「そうだな。本人は金はないかもしれないが、金持ちの客はまだ多いようだからな。今度持って行ってみるか」
もし上手く行った暁には、アキから専属でハチミツ飴を卸してもらう権利を貰っておかなければ。
「上手くいくといいね」
アルヴィンが薄く微笑む。この弟は、あの少女に随分気を許しているようだ。あの能天気さに引きずられて調子が狂うと以前愚痴を言っていたが、ついに陥落したのか。
「ああ。お前も接客の腕を磨かないとな」
アルヴィンの様子を見て込み上げてくる笑いを、必死に抑えて言う。この弟は繊細で、笑われていると思うと硬くなってしまうのだ。いずれこの宿はアルヴィンに渡そうと思っているので、それまでにもう少し強かさを身に付けてもらいたいと思っている。
「受付で売れるかどうかはお前次第だからな」
仕事中は儀礼的な笑顔しか浮かべなかったアルヴィンが、最近ふと、柔らかい笑顔を客に見せることがある。アキのしつこいしつこい仲良し攻撃に、だいぶやられている。
「クッ……」
「……兄さん……」
堪え切れずに笑ってしまった私を、アルヴィンが軽く睨めつける。この、年の離れた弟がこんな表情をするようになったのかと思うと感慨深い。
「アキは風のような娘だな。あの娘が通ると何かしら物事が動き出す。そういう性質なんだろう」
「そうだね……」
あの娘が出入りするようになってから、アルヴィンの態度が公私共に軟化し、ここ数年失われていたカレルヴォの職人魂が熱を取り戻し、食事処と切磋琢磨し合う良い関係性が出来上がってきている。
「注意は必要だが、上手く掴めばこちらが動き出したいときに追い風になってくれる。そういう人脈は大事だ」
「はい」
アルヴィンが真面目な顔で深く頷く。
……もう少し遊び心も育てた方がいいだろうか。今度アキが来たら相談でもしてみるかな。
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「料理長、境光が落ちました!」
オレと同じ新人料理人のタウノが、厨房に飛び込んで来て大声で報告する。今日の出店当番はタウノだった。
「よし、それじゃあエーロとヘンリク、応援に行け!」
料理長の言葉に、ベテラン二人が手早く出店メニューの準備をして飛び出していく。
「ヨーセフとエルノは仕込みだ」
リッキ・グランゼルムは、店の近くの広場に出店を出している。すぐ近くなので、境光が落ちても避難所の明かりを頼りに難なくたどり着けて便利だ。オレは森林領を出たことはないが、隣の穀倉領だと避難所がうちほど明るくならないらしくて、ホントにすぐ近くにいないと、避難所まですらたどり着けなくなると聞いた。しかも、避難所に出店もないそうだ。境光が出るまでみんなどうするんだ?
……まぁ、あの子なら何かしらおもしろいことを見つけるんだろうけどな。
去年出会った、妙に飄々とした子どもを思い浮かべてため息が漏れる。あの子もたしか、穀倉領から来ていたはずだ。
境光が落ちると、途端に客足が落ちる。うちは高級料理店だから、境光が落ちたのにウロウロしているような客層ではないし、近くに避難所があるから飛び込んで来て境光が出るのを待つような客も来ない。だから境光が落ちた時は、店の方は出すメニューや量を搾り、その分出店に回す。広場には暇をつぶしたい人間が多く集まるから、そっちをメインで稼働させるのだ。
「エルノ、お前この前のメニューいくつか仕込んどけ。明後日はコンティオラ夫妻が来店されるからそこで披露しろ」
「ええっ!?コンティオラ夫妻にですか!?」
オレもビビったが、周囲も同じくらい衝撃を受けたのだろう。どよめきが半端ない。コンティオラ夫妻はこの店の出資者の一人で、オーナーへの口出しも多いらしい。
……そんな大事なお客さんにオレなんかの新メニュー、出しちゃっていいのかよ。
「コンティオラ夫妻に認められれば穀倉領からの仕入れに協力してもらえるかもしれん。輸送費がバカにならんからな。出資者を納得させられないことには調味料一つ買えん」
オレの出した新メニューは肉で野菜を巻いた料理だったが、ソースに穀倉領の調味料を使うことにしていたのだ。レヴァダ・イェンナという領都の食事処では、その穀倉領の調味料から新しいメニューがいくつも考案されているらしい。だが、行商から買わなければ手に入らないこの調味料は、とにかく高いのだ。
「ついでに何か新しいデザートも考えとけ」
「あ、明後日までにですか!?」
あまりの驚愕に目を見開く。声が裏返ってしまった。
……そんな無茶振りがあるか!?
新メニューなんて、いつも1ヶ月かけて作っているのだ。オレだって他の新人だってそうだ。それを今日と明日の2日だけでだなんて、無理に決まっている。
そうは思っても、料理長に面と向かって反論する勇気なんてない。オレはため息を吐きながら、明日の仕込みを始めた。
「まだやってたのか、エルノ」
みんなが帰った後も、オレは残って一人でデザートを考えていた。ちなみに、リッキ・グランゼルムは全寮制だ。境光がなくてもすぐ裏手に寮があるから、誰も帰るのに困ったりしない。オレ一人置いて、みんな遠慮なく帰って行った。ま、新人の扱いなんてどこでもこんなもんだよな。
「料理長……」
「なんて声出しやがる」
オレのヨレヨレの情けない声に、料理長が呆れた顔をする。
「明日あの子どもにでも相談したらどうだ?」
……ウッヘ、料理長にはバレバレだったか。
オレは首を竦める。料理人が自分で料理を考えずに他の人間、ましてや小さな子どもに相談していたなんて、怒鳴られるに決まってる。
「ああいう奴は、オレ達普通の人間とは違う目を持ってるんだ。オレ達と同じものを見ているようで、全く違う見方をしている。あれは才能だな」
そう言って、料理長は食材が出されて空っぽになった木箱に座った。オレもおずおずと腰掛ける。
……怒られないのかな。
それにしてもこれ、間違って食材が入っている木箱に腰を掛けたりしたらぶん殴られるからな。気を付けないと。
「あの子に相談すると、今まで普通だと思ってたものが突然違うものに見えてくるんです。そういうのがおもしろくて……」
あの子はオレの相談に、うーんとか軽い口調で言いながら、すぐに何かしらの答えを持ってくる。それは常に正解だとは限らなくて、驚くほど的外れなことも結構あるのだが、とにかく間髪入れずに次の案を出してくる。オレが問題点を言うたびに、次々と奇抜なアイディアを出してくるのがおもしろい。そこにオレの感覚も触発される気がする。
「ああ。オレにもそういう友人がいる。煮詰まった時には奴と飲みに行くと何故か考えがまとまってスッキリする」
「……え、料理長でもですか?」
……驚いた。
料理長は、長というだけあって料理の腕は一流だ。下ごしらえなんて下っ端の仕事は普段やらないが、手が足りない時などにオレ達に怒鳴りながら片手間に片づける仕事は、正確で丁寧だ。そんな料理長でも解決できなくて相談することなんてあるのか。
「オレは決まったことをきちんとやるのは得意だが、奇抜なことを思いつくのは苦手なんだ。だが、ないものは他から調達すればいい。結局、他の奴が出したアイディアだろうと、形にするのはオレなんだ。アイディアを出した奴が形にできないのなら、恥じることはない。形にできるという部分がオレの能力だ」
息が、止まるかと思った。
……なんで、オレが迷っていることが分かるんだろう。
思いついたものはあった。でも、これもやっぱりあの子からもらったものがきっかけで考え付いたものだから、それを採用すると、オレはもういらないんじゃないかと、自分自身に突き付けられそうな気がしていた。
「目標がある奴は他人にそれを折られたりはしない。目標を折り、道を閉ざすのはいつだって自分だ。自分が捨てない限り、目標への道は常にどこかしらで開かれてる。捨てる気がないのなら、必死で開かれている道を探せ。自尊心や見栄なんて、結果が出せた奴にしか用はないもののはずだ」
そう言って、料理長はのっそりと立ち上がり、何事もなかったかのように出て行った。
残されたオレは、一人脱力してしまった。料理長はきっと知っているんだ。オレがいずれもっと大きな店に移ろうと思ってること。料理長からしたら失礼な話だろう。手間暇かけて育てたのに、この店を盛り立てるためじゃなく自分が出世するためにそれを使おうというのだから。
……それで怒るんじゃなくてアドバイスくれるとか、どんだけカッコいいんだよ。
なんでか腹の底から笑いが込み上げてくる。なんだろう。やけに気分が高揚する。
「んじゃ、やってみるか!」
よっと声をかけて立ち上がり、ポケットから、紙に来るんだハチミツ飴を取り出す。以前見た時から気になっていたので、アキにもらっといたのだ。
「これを砕いて……」
翌日、果物の横にクリームを添えて、その上から砕いたハチミツ飴を散らしたものをデザートとして出して、無事、合格を貰った。散らした飴がキラキラと光を反射して輝いている様子がとても綺麗だと、他の料理人からも好評だった。
オレは領主様の専属料理人を目指してる。だから、目標に辿り着くまでの道程は、オレにとっては夢への階段の途中に過ぎない。でもどうせなら、途中の一段一段で「アイツがいて良かった」と言われたいと思う。いや、言わせたい。
その方が、次の一段を登る時のはずみになるだろう?
領都の宿屋のお兄さんと、リッキ・グランゼルムのさわやか兄さんです。
長くなったので、二話に分けました。
次話も閑話です。




