持ち運べるハチミツ
去年の最後の納品から5ヶ月程経った。雪はまだ残っているが、空気が少し温んできた。今日はダンとクリストフさんと、領都に来ている。炭を卸すのと、薬を買うためだ。
「火傷?」
「ああ。窯を扱っているとどうしてもな」
そう言って、クリストフさんが袖を捲って見せてくれた腕には、たしかに引き攣れたような痕がいくつかある。
「手の甲は火傷しないの?」
「手袋をしているからな」
なるほど。熱いから袖を捲っちゃうのか。冷やす神呪はあるのだから、手袋に描くとかして何とかならないだろうか。
考えながら歩いているので、つい遅くなってしまうわたしの頭を、ダンが時々小突く。時々小突くが発展して首根っこを掴んで引きずられる頃に、目的地に到着した。
「ここだ」
ヨウシア薬剤店は、ガルス薬剤店の半分の更に半分くらいのお店だった。庶民に寄り添う薬屋さんという風情だ。
カラフルなドアを開けて中に入ると、入ってすぐにカウンターがある。まぁ、この狭さで奥で調剤までやろうと思ったら、お客さん用のスペースはなくなってしまうのも当然だろう。
「おや、クリストフさん。お久しぶり」
「ああ、久しぶりだ」
クリストフさんは常連らしい。薬剤師のおじいさんは、クリストフさんを見るとすぐに、薬棚をあさり始めた。
「火傷の薬ですかな?」
わたしも薬棚を見たいのだが、カウンターが高くて見えない。
「ねぇねぇ、おじいさん。ハチミツってある?」
今日私が連れてきてもらったのは、ハチミツの卸先を増やせないかと考えたためだ。
コスティの家で読ませてもらった本の中に、ハチミツの殺菌効果について書いてあるものがあった。どうやら、怪我をした時に傷口に塗ったりしていたらしい。
「うん?ハチミツかぁ。わしが以前勤めていた薬剤店にはあったなぁ」
「ここには置いてないの?」
「高いからな」
とても納得がいく理由が帰ってきた。
「ハチミツって何に使うの?」
「切り傷や火傷なんかにも使えるな。薬を油やハチミツで練るんだ」
なるほど。練り薬になるらしい。
「でも、高くて使えない?」
「まぁ、使わなくても薬ができないわけじゃあないからな」
うーん……それでは売れないかな?
「ハチミツはそのまま舐めるだけでも薬代わりになるからなぁ。もっと手軽に取れるようになればいいんだがなぁ」
「え、舐めるだけ!?」
「ああ。栄養がたっぷりな上に殺菌作用があるからな。病気しにくくなる。金持ちは旅先に持って行ったりもするぞ。風邪対策だな」
「旅……」
木の実のハチミツ漬けはその辺りの効用を知ってもらうことができれば、お客さんも広がるかもしれない。
……甘いお薬なんて、子どもも喜びそう。
「ああ、だが栄養がたっぷりだからといっても赤ん坊にはダメだぞ。かえって病気になることがあるからな」
「え?病気?赤ちゃんだけ?」
「ああ。外を走り回れるくらいの子どもなら大丈夫だがな」
赤ちゃんだけがダメなんて、不思議なお薬だと思う。でも、そこはしっかり注意を促さないといけないだろう。わたしの商品を食べて病気になったなんて言われたら大変だ。後でトピアスさんのところに寄らせてもらうことにした。
「なるほど。旅先にですか」
「うん。この宿には、ハチミツを持ち歩けるくらいのお金持ちの人って、泊る?」
宿に立ち寄って、アルヴィンさんに先ほど聞いたことを相談してみる。宿のお客さんにハチミツをそのまま売れればいいんじゃないだろうか。
「泊まらないこともありませんが……旅先で気軽に持ち歩くなら、容器を考えなければならないと思います」
容器に関しては、わたしも考えようと思っていた。壺だとあまり魅力的には見えないのだ。だが、アルヴィンさんが言っているのはおしゃれとかそういうことではなさそうだ。
「蓋が密閉できないと、馬車で揺られて零れたりするかもしれません」
馬車に積んでいたカバンの中でハチミツが零れるところを想像したわたしは、考えただけでげんなりししてしまう。あのドロドロベタベタが容赦なくカバンの中に広がるのだ。しかも揺れているので更に被害が広がるかもしれない。
……悲劇だ。
お金持ちの人なら、きっと従者とかお手伝いさんとかを連れているのだろう。荷物の持ち主にはもちろん、悲劇は周囲の者達にもふりかかる。
「ハチミツに関しては、私の方でも兄に話してみます」
アルヴィンさんが協力姿勢を見せてくれるのは、なんだか嬉しい。わたしは、春までに何とか持ち運ぶ手段を考えることを心に誓った。きっと、物知りのコスティがいろいろと考えてくれるに違いない。
「いや……オレが知ってることなんてたかが知れてんだけど」
わたしの話を聞いて、コスティが謙遜する。
「でも、ハチミツのことならコスティが詳しいでしょう?」
「たとえ詳しくても、それと物を売ることは別のことだ。実際、お前の方がハチミツを売ることは上手じゃないか」
そんなことはない。わたしはコスティの話や本などで得た知識を形にしようとしているだけだ。そもそもの元になる知識がなければ何も浮かばない。
「カバンの中とかでひっくり返っても零れないようにしたいんだよ」
「うーん……ただ零れないようにってだけなら、結晶化したものの方が零れにくいとは思うけど……」
「結晶化?」
……結晶って、宝石とかのことじゃなかったっけ?
首を傾げるわたしに、コスティは木箱の中に入れてあった壺を持って来て見せてくれた。蓋を開けると何か白っぽい塊が中に入っているのが見える。
「ハチミツは冬になると固まるんだ。溶かす時はお湯につけないといけない。結構熱いお湯だから、夏になって気温が上がったくらいじゃ溶けない」
「え?そうなの?」
わたしが最後にコスティからハチミツを受け取ったのは、雪がちらつき始めた頃だ。その時には固まっていなかった気がする。
「お前に渡す前に溶かしといたんだ。暖かいところに置いとけっていっといただろ」
そういえば、そんなことを言われた。でも、じゃあもしかすると、宿屋のカウンターに置いてる壺は固まっちゃってるのではないだろうか。
「どうだろうな。受付の奥の部屋に暖炉があったし、その先に食堂もあっただろ?冬でも暖かくしてるんじゃないか?」
なるほど。コスティはちゃんと分かったうえで何も言わずにいたらしい。
「でも、じゃあ結晶化したハチミツを売れば売れるんじゃない?そのまま食べられます。栄養たっぷりで風邪ひきにくくなりますって」
「いいけど……見た目が良くないししちょっと食べにくいんだ。売れるのかな」
そう言って、コスティは台所からスプーンを持って来て一口すくってくれる。
……あ、ホントだ。なんかジャリジャリする。
なんか、中途半端なジャリジャリ感だ。果汁を凍らせるともっと全体がシャリッとしててすぐに溶けるが、ハチミツの結晶は、完全に固まりなわけではない。ドロッとした中にジャリジャリがいっぱい入っている感じ。しかも壺に蓋をしたくらいだと零れそうだ。
「なんか中途半端だね。いっそもっとちゃんと固まってたらいいのに」
「これがそのまま固まるとスプーンで取れなくなるだろ」
たしかにそうだ。というか、旅の途中で食べるのにスプーンが必要って不便じゃないだろうか。
「う~ん……もう少し簡単に……あ、そうだ!」
コスティに紙をもらって神呪の試作を始める。基本は砂糖動具から飴を作り出すのと同じでいいのではないか。
「ねぇ、コスティ、ハチミツと砂糖って何が違うの?」
「え、ええ~?ちょっと待てよ……なんかハチミツだと虫歯になりにくいらしいぞ」
わたしの突然の振りにコスティが急いで本を開いて答えをくれる。さすがコスティだ。わたしの質問の答えがどの本に載っているのかすぐにピンとくるらしい。
「あとは……なんかいろいろ成分が含まれてるみたいだな。ダメだ。栄養価が高いとしか書いてない」
「そういえば、栄養って、なんだろう?なにか甘さ以外の成分がつぶつぶ入ってるってことかな?」
栄養栄養と言うが、つまりそれが何で、どういう状態で入っているのかが分からない。
「は?……いや、別につぶつぶはしてないだろ?結晶化してなければ」
イメージの問題である。神呪でハチミツに何をさせたいのかイメージできないと、動具にできない。工房がないので、できることと言えば今手元にある動具の神呪を描き替えることくらいだ。
わたしは、ハチミツの中に何かいろんなものが混ざりこんでいる様子を想像しつつ、神呪を決めていった。ダンが迎えに来て、描いてる紙を手元からザッと引き抜かれるまで、わたしは夢中で神呪を描いていた。
「できたー!」
わたしは相変わらずダンと一緒に窯に行き、そこで一人黙々とハチミツ飴作りに励んでいた。
窯では、クリストフさんがダンを伴って、木の束を抱えて窯の中に入って行く。この作業は、わたしが作った冷却用の神呪を服の内側に貼ることで、ずいぶんやり易くなったと言われた。窯が熱を持っているうちに立てかけるように並べるので、中に入って作業する必要があるのだ。当然、熱い。これまでは、長時間いると火傷しそうになっていたそうだ。部屋を涼しくする神呪の応用だが、発明しておいて良かった。
「ハチミツ飴、できたよ!」
「ハチミツ飴?」
木を窯に持ち込んで並べては出て来て、また持ち込んで並べてを繰り返しながらも、クリストフさんはこちらに気を向けてくれていたようだ。ダンは汗だくで、口を開く余裕もないらしい。
「そう!ああ、大変だったぁ」
ちょっと神呪をいじればできるかなーと思って始めたのだが、甘かった。いろんな成分が入っているとは言われても、それが何なのか、排除して良いのかなどが全く分からない。
水に含まれる成分ならば、それを取り除いたり増やしたりする神呪はあったし、そういった成分に関する本が手元にあったので、それを参考にしたのだが、ハチミツには本当にいろんな成分が含まれていた。
比べるために砂糖でもいろいろ試したのだが、砂糖の方には甘さ以外の成分は入っていなさそうだった。砂糖動具の神呪を見ても、余計な成分を排除するようなものはなかったので、やっぱり、ハチミツには砂糖と違っていろいろな成分が含まれているのだろう。つまり、これが栄養というものなのだろうか。
本に載っている成分とは違うものが何か入っていたようで苦労したが、やはり、全部揃ってこそのハチミツだろうと思い、中に含まれる成分は全部そのままであめ玉に凝縮することにした。
「栄養価が高いハチミツそのままのあめ玉ができたよ」
わたしの手のひらには、黄色がかった透明なあめ玉が乗っている。形は半円形だ。これなら目立つ心配はないだろう。
ハチミツは消毒のために傷口に塗ったりするので、実は猟師さんが非常食と兼ねて持ち歩いています。
クリストフさんには、見た目は平凡だけど実はスゴイんです系のお知り合いがいっぱいいます。
ここ何年か、ハチミツが結晶化するところを見てないです。
花粉が僅かに混じることで、そこを核に結晶化するのだと聞いたことがあるのですが、核になるものを全て取り除くと結晶化しなくなるということなんですかね?




