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新しい生活

「ああ、ダン。来てたのか」


 しばらくくつろいでいると、ドアが開く音がした。振り返ると、ドアから入って来たのは、グレーと水色の熊だった。


「あ、兄さん、おかえりなさい」


 ……違った。兄さんだった。クリストフさんかな?


 髪の色と瞳の色が同じなので兄弟なのだろう。……たぶん。


「すみません。昨日の内に来たかったんだが、手段がなくて……」

「今日はどうやって来たんだ?」

「猟師に森の入り口まで送ってもらいました。そこからは歩きで」

「そうか。子どもの足では大変だったろう」


 クリストフさんは労ってくれるが、わたしとしては、そうでもなかった。

 森には、わたしの知らないものばかりだったのだ。ピョンピョン飛び跳ねて、すぐ脇道に逸れるわたしを、そのたびにダンが連れ戻していた。初めて田んぼに行ったときより興奮した。


「ハァ。子どもの足だからってだけなら、背負えばいい話なんだがな……」


 手のひらで額を覆って溜息をつきながら、ダンがジロリと睨む。


 たしかに、あれは申し訳なかったと自分でも思う。わたしはため息を吐きつつ肩をすぼめ、申し訳ないという気持ちを精一杯込めて、素直に謝ることにした。


「ふぅ……。まぁ、それがわたしだからね。しょうがないとは言え、いつもゴメンね、ダン」

「うるせぇ、ちっとは反省しろ」


 ダンがスパーンと頭を叩いた。素直に謝ったのに。


「いや、まぁ……道中楽しめたなら、良かった」


 クリストフさんが微妙な顔でフォローする隣でヴィルヘルミナさんが目を丸くしてる。


「ダン、まずい!ヴィルヘルミナさん、ダンがわたしを虐待してると思ってるよ」

「そんなことないわよ。仲良しなのね」


 焦って大声でダンを振り返るわたしに、ヴィルヘルミナさんがクスクス笑って答えた。


「わたしはこの通り、耳が悪いでしょう?しかもこんな森の中に住んでいるから、人と接することがあまりないの。だから、ダンさんとアキちゃんが隣に住んでくれるならとても嬉しいわ」


 やっとここに来た目的が分かった。つまり、わたしはこれから住む家に連れて来られたのだ。


 ……そうならそうと言えばいいのに。


 隠したというより、言い忘れただけなのではないか。気を遣って疲れ損だ。


 でも、そうか。耳が悪いなら、後ろから馬車が近づいたりしても分からない。森の中に住んでいると、獣の足音なんかも分からなくて危険だろう。あまり家から出られないのかもしれない。


「お隣に住むのなら、これから一緒にお料理したりできるね。楽しみ」

「ふふ。アキちゃんは優しいのね。わたしも楽しみだわ」


 わたしが大きな声で言うと、ヴィルヘルミナもおっとりと笑って答えてくれた。


 ……うん。やっぱり優しい人っていいよね。






「ところで、ダンはここで何をするの?」


 わたしは、クリストフさんに隣の空き家に案内してもらいながら、ダンに聞いた。

 神呪師をやるならば、森の中よりも町中の方が良い。普通の神呪師の仕事をするわけではないだろう。


「当面はクリストフさんの助手をさせてもらおうと思ってる」

「助手?」

「ああ。クリストフさんは炭やき職人なんだ」


 ……炭!?炭って職人さんが作るの!?


 竈で料理をする時なんかに使う炭のことで間違いないだろうか。正直言って、炭なんて簡単にできるものだと思っていた。だって、木を燃やした時とかに燃え残ってるのが、炭でしょう?あれ?でも、じゃあ灰ってなんだ?木を燃やしたら灰になったはず……炭ってなんだ?


「……裏手に炭を焼く窯があるんだ。今度、見に来るといい」


 混乱してきたわたしを見つめていたクリストフさんが静かに声をかけてくれた。


「クリストフさん、すみません。そちらの都合がいい時に声をかけてやってください。どうせ、こいつの好奇心は森中に向けられるんです。いつまでだって待てますから」


 ……なるほど。たしかにそうだ。さすがダン。よく分かっている。


「そうだね。しばらくは森の中で遊ぶから、クリストフさんが見せやすい時で大丈夫」


 わたしは森を見回しながら言った。とりあえず、あの木になっている実がなんなのか、食べられるのかが気になる。


「なんでもかんでも口に入れるなよ」


 先にダンに予防線を引かれてしまった。






「ここが水場だ」


 クリストフさんが連れてきてくれたのは、名前の通り、水場だった。


 井戸ではない。


「水管が見えてる……」

「そうだ。ここは地下水路から水を汲み上げているわけじゃなく、近くの小川から直接水管を通して水を引いている」


 王都などもそうなのだが、町中にはところどころに井戸があって、近隣の住民が共同で管理したり利用したりしている。水のためのトラブルを避けるため、どの井戸をどの区域の住民が使うかきちんと決められており、管理者も指名される。穀倉領ではその管理者も、不正がないよう順番に回ってくるようになっていた。

 ちなみに、王都の井戸には汲み上げ動具が設置されているので、紐で引っ張り上げるような井戸ではない。それは領都でも同じだったが、農家では自力で引っ張り上げるタイプの井戸を使っていた。


「この水場を使うのは、うちと君たちと、あとは野生の動物くらいだ。配慮が必要なのは動物くらいだな。どれだけ使っても構わないが、飲み水なんかに使うなら、浄水処理した方がいい」


 クリストフさんは、水管に設置されている浄水動具を指す。


「これでろ過はできるが、一度沸かした方がいいな」


 浄水動具は水に混ざるゴミや小さな生物を吸着して排出してくれるが、それでも吸着できないものもある。ばい菌なんかは高温で殺菌するしかない。


 続いて、クリストフさんは、ダンに鍵を渡す。


「そこの空き家の鍵だ。動具にはなってないから鍵をも一つ作った方がいいかもしれないな」


 穀倉領の家は鍵が動具になっていて、住人を登録できる仕組みになっていた。初めに森林領の領都に泊まった時に使った金庫と同じだ。だが、錠動具が開発されたのはここ十年くらいのことで、まだまだ広く普及しているとは言い難い。この家のように、物理的な鍵が利用されているドアは、郊外に特に多い。


「この小屋は空き家なんだ。二人で住むならそう狭くもないだろう。好きに使ってくれて構わない。シーツがないなら貸すから取りに来るといい。ヴィルヘルミナには言ってある」


 クリストフさんはそう言うと、家に戻って行った。ダンが鍵を開ける。


 ……日用品は持ってきたけど、これじゃ生活はできないね。


 わたしは、埃が分厚く積もって真っ白になっている部屋を見て真顔で頷く。とりあえず、今日はどこで寝よう。


「……しょうがねぇ、とりあえず寝るところだけでも確保するか」


 考えることは同じなのだろう。ダンが頭をガシガシ掻きながら呟く。


「……ダンはいつから仕事するの?明日?」

「いや、家を整えなきゃならないからな。3日後からと言ってある」


 ダンの言葉にホッとする。もしかして、ダンが仕事してる間に一人で掃除しろと言われるのかと思った。


「掃除道具、あるかなぁ」


 ダンが家中の窓を開けて回っている間に、1階を捜索する。入ってすぐに階段があって、その階段の下が収納庫になっている。


「あったあった」


 わたしは吸引するタイプの掃除動具を見つけて、動かしてみた。


 ……動かないね。


「ダンー。これ、動かなーい。ゲホッゲホッゲホッ」


 わたしは2階の窓を開けに行ったダンに大声で呼びかけた。少し動いただけで埃が舞う。だいぶ吸い込んだ気がする。わたしは掃除動具を持ったまま外に飛び出した。


 境光が落ちたら何もできなくなる。早めにクリストフさんに泣きついて、今夜だけでも寝床を確保しておいた方がいいんじゃないだろうか。


 わたしがクリストフさんの家に向かおうと踵を返したところで、ダンの声が上から響いた。


「アキ!それ持って上に上がって来い」


 ……あの埃の中を突き進めと?


「2階が寝床だ。一室だけでも片付けばとりあえず今日は寝られる。早くしろ」


 わたしは荷物をあさり、口元を覆えるような布を探したが、見つからない。仕方がなく、ドアから少し離れたところで背を向けて、大きく息を吸う。そして、そのまま息を止め、埃が舞うのも気にせず、2階に猛ダッシュした。

 2階に着いたら掃除動具をもったまま窓辺まで走って行き、一気に息を吐き出す。


「ぷはぁー!はぁはぁ……」


 窓から埃が舞い散るのが見える。


「ダ、ダン~……持ってきたぁ~」


 掃除動後を突き出しながら振り返ると、部屋の入口のところに、埃まみれで立ち竦むダンが、半眼でジトッとわたしを見つめていた。




 その後、無事神呪を直してくれたダンへのわたしからのお詫びに、掃除動具をかけて埃を一掃し、シーツをヴィルヘルミナさんに借りに行って、ようやく一息つくことができた。


 まだ寝室一つだけだけどね。ハァ。







ヴィルヘルミナさんに話しかける時は大き目の声で話します。

そこまで怒鳴らなくても、口の動きや状況とかで察してくれることが多いです。


水管は大昔からありますが、汲み上げの動具ができたのは、ここ十数年のことで、徐々に広がっていってるところです。

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