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新しい領地

「なんかあったら、いつでも声をかけてくれよ」

「ああ、今まで世話になったな」

「よせよ。オレができることなんて大したことじゃねぇ。お前に比べればな」


 もうすぐ湖だ。船を操りながらタージオンさんはダンに話しかけたが、意識がわたしに向いているのが感じられた。

 ダンがわたしを引き取ることになったいきさつを、この人は知っているのだろうと思った。


 例えば3年前の事故がなかったとしても、子どもを引き取って育てるなんて、大変なことだろう。ましてやダンは独身で、子育て経験もない。

 今更ながら、どうしてわたしがダンと一緒にいるのか不思議だった。だが、研究所や家にいた人たちを思い浮かべても、やっぱり、一緒に暮らすならダンが一番落ち着ける気がした。ダンはわたしが生まれた時から家にいたのだ。


 ……他の人と一緒じゃ、わたし、こんなに元気じゃなかっただろうな。






 湖に着き、タージオンさんと分かれたわたしたちは、馬車を雇い、湖沿いに西に進む。

 この湖を更に西に進むと、王都に入る。わたしは覚えていないが、王都に住んでいたときに一度、湖のほとりに遊びに行ったことがあったらしい。思いがけず、王都に近づいてドキッとする。体が強張るのが自分でわかる。


「王都に行くの?」

「いや、ちょっとした攪乱だ」


 ダンは、行先を口にしない。誰かに聞かれたくなかったのかもしれない。湖の畔の村々は漁や船荷の運搬で生計を立てているが、どこの領にも属していない。小さな村それぞれが、それぞれの決まりに従って生活しているのだ。どこかの領のお役人が訪ねてきたとしても、そう簡単に口を割らないらしい。

 そして、どこの領にも属していないということは、戸籍の移動が必要ない土地だということだ。


 わたしは、周囲を見回した。

 右側に湖が静かに波打ち、小舟に釣り人が見える。釣り人は岸にもいて、竿を持ってのんびり欠伸をしている。湖の真ん中と岸辺で捕れる魚が違うのだろうか。

 

 ……ここに住むなら、お魚の糠漬けとか売れば暮らしていけるかな。


 取り留めのない考えがぼんやりと浮かんでは消える。こんな、穀倉領の隣で糠漬けなんて売っていたら、すぐに居場所が知られてしまう。そういえば、お魚の行商さんはこの辺りで商品を仕入れていたはずだ。


 ダンは、行くところは決まっていると言っていた。でも、そこはわたしの知らない土地だ。王都ですら、家と研究所とお城しか知らない。

 穀倉領に住み始めた頃は、わたしはまだ4歳で、家から出なくても、お金の心配をしなくても、ご近所づきあいができなくても仕方がなかった。何も知らなかった。何もできなかった。


 ……それが、許されていた。


 でも、今はもう7歳だ。外に出ない言い訳はできない。知らない土地で、知らない人たちに教えを請い、知らない生活に馴染んでいかなければならない。


 せめて、糠床があったら良かった。何も知らない、何もできないわたしが、穀倉領でやっと見つけた、できること、だったのに。

 

 ……また、最初の頃に戻ってしまった。


 それが、とても怖いことに思えた。






 半日ほど馬車に揺られて、湖の畔の宿に泊まる。それを二日繰り返したあと、船に乗り換え、今度は東へと向かった。半日揺られて今度は穀倉領とは対岸に宿を取る。

 湖の畔の景色はどこもそれほど変わらないが、こちらの岸辺よりも穀倉領側の方が、多少豊かに見える。家も多い。


 境光が出ている時間帯が遅い時間帯のことも多かったので、生活は不規則になった。わたしは基本的に鐘の時間に合わせた生活をしていたので、夜にこんなに境光が出ているものだと知らなかった。これならたしかに、農家などは鐘よりも境光に合わせる方が作業が捗るだろう。王都の方が少数派なのだろうと、今更ながら実感した。


「ところで、アキ。あの神呪はどうしたんだ?」


 途中、ダンが何気ない風で聞いてきた。あの神呪というのは、一瞬真っ暗になった、あの神呪の事だろう。


「オジルさんにもらったの。ひったくり犯の家で見つかったけど、よく分かんないから捨てようとしてたんだって……」

「そうか……」


 何となく、ビクビクしてしながら答えるわたしに、ダンは何か考え込むように生返事を返す。心なしかホッとしているようにも見えたが、それ以上、その話題に触れることはなかった。


 五日目には森に入り、川を上る行程になった。穀倉領の川を下った時は、風で稲が金色に輝いて揺れる様子を広く眺めながらの工程だったが、ここは一面の木々だ。川岸のすぐそこまで木が迫っていて遠くまで見通せない。

 わたしの何倍もの高さの木に囲まれているので、視線が自然と上に向く。そうすると、相変わらずのグルグル模様の空が目に入った。


 ……そういえば、前に空の夢を見たっけ。


 見渡す限りの広い青空は、いまだに鮮やかに目の奥に焼き付いている。どうせなら、ああいう空を眺めていたかったのにと、ため息をついた。






 森に入って最初の船着き場で馬車に乗り換え、川に沿って進んで二日目。森が開かれ畑が広がる先に、木の柵に囲まれた大きな町が見えてきた。これまで宿を取っていた村々とは全く違う、瀟洒な街並みが、柵を透かして見える。とにかく大きな町だ。


「森林領、シェルヴィステアの領都だ」


 柵の内側に入って馬車が停まると、ダンは荷物を抱えて歩き出した。3袋あった背負い袋は、途中で中身を使ったり売ったりして、2袋になっていた。それでも、ダン一人で抱えるのは大変そうだった。


「うわぁ!」


 町中に足を踏み入れて、目を見開いた。


 色が目に飛び込んでくる。とにかくカラフルだ。緑ばかりの森には飽きたとでも言わんばかりの色彩ぶりだ。


 ……なんかまとまりなくて落ち着かないけど。


 大きな通りの両側にはカラフルな家々が並んでいる。その壁は、青だったり黄色だったり橙だったりと、とにかく何かしら色が塗ってある。

 戸口に看板がかかっているものが多いので店舗なのだと思うが、入り口が特に大きいわけでもなく、普通の家のように見える。看板だけが店舗の目安となっているが、カラフルな家にカラフルな看板がかかっているので、埋もれていてよく分からない。慣れが必要なのだろうと思う。

 家の造りは、丸太を積み重ねたような感じで、2階建ての建物が多い。穀倉領では2階建ての建物はほとんどなかったので、ちょっと圧迫感を感じる。なんというか、空が狭い。


「この宿に泊まる」


 ダンが立ち止まったのは、大きな通りを一本入った、2階建てのこじんまりとしたキレイな宿だった。これまで泊ってきた宿は、村の空き家をそのまま利用しているような宿だったので、少しホッとした。

 ちなみに、湖の畔に建つ家々は木造の家でわたしが見知ったものだったが、中州に建っている家が不思議な形だった。船の船頭さんの説明によると、葦という、湖に生える茎の長い草を組んで作っているのだそうだ。その草で船も作れるという。なんだか小さくて丸っこい、ちょっとかわいらしい家だった。どうせならあの家に泊めてもらいたかった。


「宿泊したい。何日になるか分からないが、泊れるか?」

「長期の宿泊ならば、一月単位でのお支払いをお願いしているのですが……」

「分かった。とりあえず、一月で頼む。後はまた改めて決めていいか?」

「承知致しました」


 宿の受付は、成人したばかりくらいのお兄さんだった。宿と言えば女将さんだと思っていたので、ちょっと驚いた。目をぱちくりして見つめていると、お兄さんは、こちらを見てちょっと笑いかけてくれた。

優しそうなお兄さんで良かった。わたしもちょっと笑って返す。


 ……一月もお世話になるんだもん。愛想よくしなくちゃね。


 穀倉領では、最初の一月を丸々閉じこもって過ごした。その間に宿泊費も嵩んでいったはずなのだ。今度は、そんな無駄な時間を過ごさないようにしようと思う。ここに何年いることになるか分からなけれど、分からないことを考えたってしょうがない。できることがないのなら、できることを探すか作るかするしかないのだ。






「アキ、アキ、起きろ。飯の時間だぞ」


 ダンの声が聞こえて、意識がゆるゆると戻ってくる。


「んー……」

「……部屋に運んでもらうか?」


 ダンが少し気遣わし気に聞いてきて、ハッとする。


「んーん。いい。起きる。ダン、先に食堂行ってて」


 3年前のわたしとは違うのだ。わたしはさっと着替えて顔を洗った。水差しの水が冷たいし、ここは穀倉領よりちょっと寒いみたいだ。持って来た上着を羽織って部屋を出た。


 ……それにしても、ダンの気遣いが3年前と同じというのが解せないんだけど。


 穀倉領を出る前には、わたしもずいぶん成長していたし、割と活躍していたと思うのだが。わたしは首を捻りながら、着替えて階段を下りる。昨日は疲れていたのであまり気にならなかったが、穀倉領では1階建ての家がほとんどだった。階段を上り下りするのが普通の生活という今の状況が、ひどく懐かしく、同時に不思議な感じがして、わたしは、一段一段ゆっくりと足を運んだ。


「おはようございます」

「おはよう!」


 階段を降りたところにちょうど昨日の受付のお兄さんがいて、笑顔で丁寧に挨拶される。昨日も思ったけど、森林領の人は穀倉領の人より、ちょっと余所余所しい気がする。

 同じく丁寧な態度だったセインさんを思い浮かべたが、セインさんは丁寧だけど堅苦しさがなくて、こちらを受け入れてくれそうな気配を感じさせた。このお兄さんも優しそうではあるが、なんというか、あまりべたべたと近づいては行けない雰囲気がある。べたべた近づこうと思っているわけではないけど。


 ……他の人もそうなのかな。


 このお兄さんが森林領の代表というわけではないが、一応、頭に入れて置く。必要もないのに不快な思いをさせても、お互いに良いことなんてないもんね。


「あ、お米なんだね」

「そうだな。穀倉領がすぐそこだからな。安く仕入れられるんだ」


 ダンが座っていた席に着くと、すぐに食事が運ばれてきた。森林領の主食はお米だった。農家で、このお米が世界中で食べられているんだと聞いても、いまいちピンと来なかったのだが、こうして他所の領地でお米を見ると、なるほどと思えて、なんとなく誇らしい気分になる。そんな自分に少し驚いた。


 ……わたし、穀倉領の人になってたのかな。


 自分では、中途半端なつもりだった。何なら、まだ王都の人間で、ちょっと穀倉領に寄っているだけという意識もあると思っていた。でも、他の領地に来て、部屋を見回して、目が自然に探すのは穀倉領のものだ。それに気付いて、そこに、自分がもう戻らないことを思って、少し胸が痛んだ。


「でも、糠漬けはないんだね。あれば一皿おかずが増えるのに、わたし、作ろうかな?」


 涙が出てくる前に、パッと顔を上げて軽い口調で言ってみる。


「……ハァ。あれは目立ち過ぎだ。もっと地味なこと探せ」


 ダンが頭を抱えてため息をついた。冗談だったんだけどね。通じなかったようだ。


 ……それにしても、漬物を漬けるって、普通は地味な部類だよね?







第二章です。

アキはまだ少し沈んでいます。

湖は穀倉領の1/4くらいの大きさで、穀倉領、森林領、牧草領、王都に面しています。

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