神呪が引き起こすもの
避難所を出たわたしは、家に帰って早速、紙切れの神呪を眺めた。火を使うというのがヒントになると思う。わたしも昨日、一瞬、炎が頭をよぎったのだ。検証の価値はあるだろう。しかし、一度作動させてみようにも、火は危険だ。しかも、派手なことはしないように言われている。
「とりあえず、火の神呪を消してみようかな」
火の神呪は、複雑だが見つけやすい。種類が少ないのだ。しかも、お兄さんは最新式だと言っていた。研究所で研究していた火の神呪だと、わたしが知っているものでは、永続的に灯しておくというものと、発火の範囲を広げるというものだった。どちらも、厨房で使うための要望での研究だった。
わたしは、別の紙に描き写した神呪をじっと見つめる。火を探すという、はっきりした目的があると、多少は目安が付きやすい。わたしは、神呪の区切れ目だと思われる部分に印をつけ、それ以外の部分を別の紙に写し取ることにした。
作業を始めて数日が経った。今朝は境光が出ていなかったので、ゾーラさんのお店へは後で行こうと思う。きっとザルトが様子を見にくると思うので、一緒に行くとザルトも安心するかもしれない。
ゾーラさんのお店への納品は続けているが、それ以外は自室に閉じこもっている。ダンが相変わらず遅いので、夕飯を作る必要もない。ザルトが時々呼びに来るが、わたしがあまりに集中しているので声をかけずにそのまま帰って行っている。目の端に捉えてはいるのだが、集中を途切れさせたくない。本当は納品にも行きたくないくらいだ。休憩に、糠床をかき回す以外は、神呪を見つめては描き散らしてを繰り返している。
「できた……」
火が関係する部分は全て、消すか描き替えるかできたはずだ。
ちぎれて分からなくなっている部分はそのままだが、意味がつながっている部分だけでも、何か発動できるのではないかと思っている。
「……どうしよう」
何かしら発動するとは思うし、危険な部分も取り除けたんじゃないかと思っている。だが、派手なことはするなと言われている。神呪がどう発動するか分かっていない以上、派手なことにならないとも限らない。
……ハァ。
わたしはため息をついた。こそこそと暮らすのは、本当に不便だ。わたしには泥棒稼業とかは絶対向かないと思う。
「アキー」
わたしが自分の職業適性について考えていると、ザルトの声がした。神呪に集中している間に境光が出たようだ。
「こっちー」
「お、今日はちゃんと返事したな」
ザルトが満足そうに言いながら、わたしの部屋に入ってくる。
「おわっ!なんだ?この部屋!いくらなんでも散らかし過ぎだ」
わたしの自室は、壺が三つずつ入った、水を張った樽が二つ、壺が一つ入った桶が二つ。その横には焼き石灰が入った袋があり、その隙間を埋めるように、いろいろなグニャグニャ模様が描かれた紙がまき散らかされている。部屋の隅には、以前ザルトからもらった鉄くずとか塩とかも置いてある。
ザルトは呆れたように部屋を見回した。わたしも見回して、びっくりだ。いつの間にこんなことになったんだろうか。
「ダンさんが見たら、神呪がなくたって怒られるだろう?」
もっともなことを言いながら、ザルトが片付けを手伝ってくれる。
「あ、ザルト、気を付けて。その辺の神呪、触ったら発動しちゃうかも……」
わたしが注意するために振り返った時、ちょうど、ザルトがまき散らされていた紙を拾ったところだった。
「……え?……え?な、なんだ?」
ザルトが戸惑ったような声を上げる。恐らく、ザルトのが触れたことで神呪が作動するのを感じているのだろう。
……まずい!
わたしは息を飲む。
「ザルト!紙、捨てて!」
わたしが叫んだ瞬間、ザっと音を立てるように、わたしとザルトの周囲に闇が広がった。
闇に包まれたのは一瞬だった。周囲に明かりが戻ったことにホッとして、ザルトと顔を見合わせる。何とも言えない間が、二人の間に流れる。たぶん、二人とも同じことを考えている。
……ダンに報告、する?
「…………ザルト」
わたしは、意を決して重々しくザルトを見上げる。
「見なかった、ということで」
「……は?え、ええ?」
ザルトが戸惑ったような声をあげる。どうやらザルトは報告するという方向に進むつもりだったようだ。だが、この真っ暗闇事件がこの部屋の中だけのことだったならば、少なくとも「派手なこと」にはな当てはまらないのだ。「大変なこと」には当てはまるかもしれないけど。
「えぇー……?いいのかなぁ?」
ザルトは顔を顰めて首を傾げて考えている。揺らいでいるならまだ勝機はある。
「だって、一瞬暗くなっただけだよ?この部屋だけだったのかもしれないし。ダンだって、わたしの仕業だとは分からないよ」
「……でも、報告しろって言われてるだろう?」
遭遇したことのない不可思議な現象が起こったのだ。自分達だけで抱え込むことにザルトが怯える気持ちは、わたしにも分かる。
「うーん……、じゃあ、今のことでダンが何か言ってたきら、その時は報告する」
「……それまでは?」
「…………じゃあ、わたしの言い訳が固まったら言う」
結局、ザルトにもらえた言い訳作成期間は2日間だけだった。明日は都の日で仕事が休みなので、ザルトは工房でダンと顔を合わせることはない。まぁ、ザルトからすれば、ギリギリのところなのだろう。
ザルトが帰ってから、自室でもう一度神呪を検証してみる。ダンにバレたら、全部没収されてしまうかもしれない。今のうちだ。
「んっと、真っ暗になったってことは、闇に関する神呪が入ってるってことだよね、きっと……」
自分で呟いて、その言葉に興奮する。闇に関する神呪は、この世界には伝わっていない。少なくとも、わたしが研究所に出入りしている間には存在していなかったはずだ。
この神呪と一緒に出てきたのは火の動具だったはず。何か関係があるだろうか。
……火と光って似てるしね。
発火現象を起こす神呪は伝わっているので、火を付けるための動具はすでに作られている。民間にも出回っている。結婚するときに、娘が嫁入り動具の一つとして持たされるものだが、逆に言えば、嫁入り道具として誰でも買える程度の値段だ。生涯のうちには何度か買い替えることもある。
発火動具は、加工自体はそれほど難しいものではない。
蝋を詰めた筒状の薄い金属で、持ち手の神呪を作動させると先端が発火する。作動させ続けている間、蝋がある限り燃え続ける。加工が少ない割に値段が高いのは、それだけ神呪が複雑だからだ。
この神呪が描ければ将来職には困らないと研究所のお姉さんが頑張って練習していた。ちなみに、このお姉さんは当時19歳だったが、まだ未婚だったため、嫁入り動具ではなく個人所有として発火動具を作っていた。もう結婚できただろうか。
……闇と光は反対なんだから、そっちからの動きがあるのかもしれない。
分からない部分が真っ暗闇に関する神呪だと思うが、この神呪には火の神呪が入っている。その部分から手がかりを探すしかない。火の神呪なら、いくつか覚えがある。
わたしは、薬剤店の巨窯にあった神呪を思い出しながら、描き出してみた。
……作動させないように気を付けないと。
わたしは、神呪に力を流さないようにするための特殊な手袋を装着した。普段はそれほど気にしないのだが、さすがに巨窯を高温で熱するような神呪だ。万が一にも神呪が作動するようなことがあってはならない。下手するとこの辺いったいが吹き飛んでしまう。
「この部分は、大きさを決めてるっぽいよね……」
発火動具の神呪と巨窯の神呪を並べて、紙切れに描いてある神呪と比べる。
やはり、ただ発火させるようなものではないように思える。発火動具には火の大きさは描かれていない。神呪が伝わる点が指定されるだけだ。発火という現象を起こさせる場所を指定すると、その箇所にあるものに火が付くのだ。
「大きさの範囲を広げたいのなら、その地点に燃えるものを置いておかなきゃいけないし……」
だが、そのような指定の仕方はされていない。
わたしが、とりあえず元の神呪がどんなものだったのかを描き出してみようと神呪具を持ち直したその時、玄関の方からバターンと大きな音を立ててドアが開いた音がした。
「アキ!」
ダンの唸るような、切羽詰まったような低い怒鳴り声がした。
自室で神呪を検証していたわたしは、ダンの本気の怒りを感じてビクッとし、恐る恐るドアから顔を出した。ダンが本気で怒ることなんて滅多にない。単純に、怖い。
「は、早かったね、ダ……ン……?」
眉間に深い皺をつくり、ギラギラした目をカッと開いて、ダンは勢いよくわたしを振り返った。
ギクリとした。殺されるのかと、咄嗟にそう思った。
神呪には、伝えられずに失われてしまったものがたくさんあります。
光・闇・結合・消滅・創造なども伝わってません。
化学反応を起こさせる神呪はないので、薬剤師さんは重宝されます。




