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長い一日 ~黒い目の男

「アキちゃん、アキちゃん」


 ギュッと目を瞑り、体を震わせて助けが来るのを祈っていると、布袋の外から小さな声が聞こえた。


「……アーシュさん?」


 ハッとして聞き返すが、擦れた声しか出ない。


「アキちゃん大丈夫。今、袋開けるからね」


 足元がゴソゴソしだして、すぐにビリビリと布が裂ける音がする。


「……大丈夫?」


 途中まで破られた袋をはぎ取られると、目の前に緊張したアーシュさんの顔があった。


「…………アーシュアさん?」


 ……無事、だったんだ。


 ホッとして力が抜ける。震えはまだ収まらないし、心臓の音もうるさいけれど、一人でいる恐怖から解放されて息を吐く。


「うん。アキちゃん、無事? 痛いところはある?」


 アーシュさんがわたしの全身を確認しながら聞いてくる。


「痛いところ……あ、腕をちょっと打ったけど…………」


 とりあえず、聞かれたことに答える。まだ事態が飲み込めず呆然としているので、ぼんやりとした口調で機械的な返事になってしまう。


「……うん。骨に異常はなさそうだね。頭を打ったりもしてない?」

「……してない……けど……、アーシュさん、どうして……」

「門の前のところでちょっと足止めされててね。気付いて良かったよ」

 

 アーシュさんが安心したように大きく息を吐き出して途切れ途切れに説明する。

 領都内は比較的馬車の揺れは少ないはずなのだが、それでもスラスラと話すことはできない程のスピードだ。下手をすると舌を噛む。


「今、飛び出すのはさすがに危険だから、止まるまで待とう」


 そう言うと、アーシュさんは上着の襟元から通信機を出して、爪でカリカリ音を立てたり、馬車の荷台の床にコンコン打ち付けたりする。


「領都の東門から出て川を渡ったから、ランタサルミ荘に入ったはずなんだ。覚えてる? エルンスト様」

「あ…………アンドレアス様のお父さん?」

「そう。あのキュトラ湖があるのがランタサルミ荘」


 そういえば、エルンスト様に呼ばれた時も、東門から出て橋を通った。森の中を切り取ったみたいに、森に囲まれた閉鎖的な空間に、エルンスト様のお屋敷は建っていた。


「このまま抜けるのか、あるいは…………」


 アーシュさんが何か考えているようだが、何を考えているのかは教えてはくれなかった。ただ、アーシュさんの予想では、このランタサルミ荘の森のどこかで降ろされるのではないかということだった。


 それほど遠くない地名にホッとする。もしかしたら、もう二度と帰れないのではないかとさえ思ったのだ。一度行ったことがある場所からなら、逃げ出せさえすれば、何とか帰り着けるのではないかと思えて、微かに希望が湧く。


 落ち着いて状況を確認すると、馬車が少しスピードを落としているのを感じた。森に入ったのだ。


 ……森の中であまりスピードを出すと脱輪する。そういうことを、知っている人たちなんだ。


 日頃から森へ出入りする人たちなのだろう。森の中に入ったのに、脱輪しないぎりぎりのスピードで危なげなく馬車を進めているのだと思われた。


「無策で抵抗しても危険が増すだけだから、一度大人しく捕まろう」

「捕まるのは危なくない?」

「少なくとも、アキちゃんに関しては命の危険はないと思うよ。どう見てもアキちゃんを目的としての誘拐だったからね」

「……アーシュさんは?」

「もし、この荘内で馬車が止まったら、いろいろとやりようはある。もし止まらなければその時に考えるよ」


 詳しいことは分からないけれど、アーシュさんが大丈夫と言うのなら、大丈夫だろうと思う。なにより、わたしにはアーシュさんに従うより他にできることがない。


 馬車の揺れは激しくて、ガタガタとひどい音がするし、舌を噛む危険性があるので、そこからは極力おしゃべりは控えて、大声で叫び、泣きわめきたくなる自分の心を懸命に抑え込んでいた。






 森の中を進んで随分時間が経った。馬車がだんだんゆっくりになっていって、やがて完全に止まる。アーシュさんに緊張が走るのが分かった。


「……けど、ホントにあんな子どもが?」

「知るか。護衛が付けられるくらいだ。本物なんだろ」


 男たちの声が近付いて来る。幌が少しずつ開かれ、光が入ってくる。雪に照り返された白い光が、暗がりに慣れた目に染みて痛い。


「…………は? な、なんだ!?」


 幌を半分程開いて中を覗き込んだ男が、ザッと飛び退いて驚きの声を上げる。


「どうした?」

「い、いや、知らない男が……。な、なんだ、お前! いつから乗っていた!?」

「この娘は我が主が保護していた者。返して頂きたい。条件があるなら聞こう」


 馬車から一歩下がって身構える男たちに、アーシュさんが静かに告げる。


「は? わが主? 誰だ、主って?」

「そういや、たしか、森林領は預かっているだけだと聞いた。……そうか、これは上手くすれば金になるぞ」

「は? 何考えてんだよ、余計なことすると……」

「よく考えてみろよ。せっかく自由になったって、金がなければ何にもできねぇだろうが!」


 最初は小声で話し合っていた男たちの声が、だんだん大きくなっていく。


「……なんだ、うるさい」


 それを遮るように違う声が割って入り、騒いでいた男たちが口を閉じる。低くてよく通る声だった。


「……いえ、あの、予定にない奴まで付いて来ちまって……」

「予定にない者?」


 更に一歩下がった男の横から、始めてみる顔が覗き込む。真っ黒な、飲み込まれてしまいそうな不安を掻き立てられる、暗闇のような目の色だ。


「……何者だ?」


 アーシュさんの姿を上から下までじっくり眺めて、男が問う。


「アーシュ・ネフェル・ザン・ファン・トゥルムツェルグ・ディナール。今回は王族の名代です」

「フン、従者風情か」

「……エルンスト様には以前お世話になったことがありますが。ご健勝であられますか?」


 男が黒い目をスッと細めた。


「何の話だ?」

「おや、僕の方は貴方に見覚えがありますよ?」

「………………」


 しばらく、男とアーシュさんが睨み合う。にこやかに穏やかな口調で応じるアーシュさんから、緊張した空気が感じ取れる。


「男は殺せ」


 心臓が、ドクリと鈍い音を立てて、体がビクリと揺れる。


 頭が真っ白になったまま目を見開いて、息を飲んで、アーシュさんと睨み合う男を交互に見つめる。


 …………どう、する? 


 アーシュさんが、殺される? アーシュさんはわたしを助けに来てくれただけなのに?


 恐怖よりも強い感情が頭を占めて、他の様々な感情が一気に引いていく。この男たちは何なのかとか、わたしをどうするつもりなのかとか、頭を過ぎっていた全てのことが、どうでもよくなる。


 ……そんなこと……あっていい訳、ないでしょう!?


 短く告げられた男の言葉に、空気が緊迫する。その、緊迫する空気の正体を、息を詰めたまま探る。

 纏う空気を、一瞬で冴え冴えとしたものに変化させるアーシュさんと違って、命じられた男たちには戸惑いが見られた。予定していたことと違うことを命じられる戸惑いと、そこからくる緊張。


「……は、はい」


 返事をする男の声が僅かに震えを含んでいる。もしかしたら、人を殺めることに、慣れているわけではないのかもしれない。


「よろしいのですか?」


 男たちの返事を聞いて、もう興味を失くしたように視線をはずし身を翻しかける男に、アーシュさんが穏やかに声をかけた。


「……なにがだ」


 アーシュさんが、広げるように、響かせるように声を出す。呼びかけているのは目の前の黒い目の男だが、それはまるで、周囲の男たちの方に聞かせようとしているかのようだった。


「僕が戻らなければ穀倉領はもちろん、森林領も大々的に捜索の手を広げることになります。先ほども申しましたが、僕は今回、王族の名代としてこちらに逗留しています」

「………………」

「僕がこの荷馬車に飛び乗るところは、もちろん僕の護衛たちが目撃しています。その荷馬車が東に向かったところも」

「………………」


 身を翻しかけた横向きの姿勢で、目線だけでアーシュさんを見ていた黒目の男が、アーシュさんに向き直る。フードを被っている隙間から顔の輪郭をなぞるように、濃い色の髪がうねる。


「……僕とエルンスト様の関係がどうなるかは、お話を伺ってみないことには分かりませんが。なにしろ、僕はこの森林領の者ではありませんので」

「………………縛っておけ」


 目を細めてアーシュさんを眺める男が、長い沈黙の後、短く命じる。周囲の男たちの気配が明らかに緩むのを見て、わたしを殺すつもりはないだろうというアーシュさんの言葉を思い出す。誘拐するのにためらいはなかった気がするので、普段から、そういう悪事を働く人たちなのかもしれない。


 ……でも、人を殺すのは怖いんだ。


 そういう姿を見ると、悪いことはしても、同じ人間なのだと感じられて、少し冷静になる。






 手を後ろに回して縛られた状態で、積もった雪の中を歩かされる。

 ここ3日程雪は降っていなかったはずだが、人の通らない森の中の雪は解ける様子が全くない。時々、木々の葉に積もった雪がドサッと音を立てて落ちるのを、ビクッとして振り返る。わたしを引き連れている男の人も、同じようにビクッとしているので、わたしと同じくらい緊張しているのだろう。

 荷馬車が進んでいた大きな道は、よく使われる道のようで雪は解けていたのだが、少し脇に入るだけで雪が膝下くらいまで積もっていて、馬車でそれ以上入るのは無理だった。


「……雪に足跡が残るな」

「入り口付近は均して隠しておきます」


 黒い目の男の人は、フードが付いたローブのようなものを被っているのだが、その裾から出ている足元を見ると、黒いズボンは他の男の人と違って汚れもなく、厚手の生地でできているようだった。履いているブーツも、いくつものボタンで留めてあって、そのボタンも黒くて艶やかだ。


 ……この人だけ、お金持ちだ。


 わたしを攫ってきた人たちは、外套を着てはいるが薄手で寒そうだ。足元を見ても、ブーツは汚れて擦り切れている。もしかしたら、二重にすらなっていないかもしれない。わたしを縛っている縄を持つ手が震えているのは寒さのせいだろう。


 しばらく進むと、雪に埋もれるようにして小さな小屋がポツンと立っているのが見えた。1階建ての物置小屋のような小さな小屋で、ダンと住んでいる家の半分くらいしかなさそうだ。


「いいか。おかしな真似をすると切るぞ」


 小屋に入る前に、黒目の男の人が剣を抜いて、切っ先をわたしの目の前に突き付ける。


 ゴクンと喉が鳴った。頭が極力動かないように意識する。抜き身の剣を見るのは、小さい頃、あの旅をしていた時以来だ。それが、今、鼻先スレスレに突き付けられていて、心臓がキュッと縮み上がる。

 刃先を見つめると、雪の白さを反射してキラリと光るのが、妙に現実離れしてキレイに見えて、思わず引き込まれそうになるのを、足を踏ん張って堪える。そうやって堪えていると、意識がそちらに向いて、恐怖心からふいに叫びだしたりせずにすむなと、茫洋とした頭のどこかで考えている。


「分かっているので剣をしまってください。相手は子どもなんですよ」


 アーシュさんが非難の声を上げるが、相手は喉を鳴らして笑っただけだった。


「そうだ。オレ達はこの娘に用がある。ただの脅しだと、お前は分かっているだろう。だからこれは、この娘への脅しだ。お前はこの娘を置いては逃げられまい?」


 ……ああ、これで動揺して、わたしがアーシュさんの足手まといになることが狙いなんだ。


 別に動揺などしていないと伝える方がいいのか、動揺したことにしておく方がいいのか、アーシュさんに確認した方がいいかもしれない。

 そう思ってアーシュさんの方をチラリと確認しようとして、視線を動かせないことを悟った。体どころか、眼球さえも動かすことができない。荒い息が口から白い湯気となって舞い散っていくのを、改めて認識する。そうすると、今度は自分の体がひどく震えているのが感じられた。


 わたしの上着には神呪が描き込まれている。この震えは寒さからではない。自分が、思っているよりもはるかに動揺し、恐怖しているのだと分かった。そんなことを冷静に考えている自分の頭は、ちゃんと平常通り、動いているのだろうかと、頭の隅で考える。そうすることで、必死にバランスを保っていた。

 





次話は「長い一日 ~事情」です。

※タイトルは変更するかもしれません。

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