上司という立場
鍋やらおろし器やら鍋敷きやらを持って、ラウレンス様がいる隣の部屋の扉を叩く。
「どうぞ」
「失礼致します」
ラウレンス様の部屋が殺風景なのはいつものことだが、今日はいつものような書類仕事ではなく、神呪の開発をしていたようだ。応接用のテーブルの上に、いろいろな神呪を描いた紙が散乱している。
「……ラウレンス様、神呪の開発されてたんですか?」
「当然だろう。僕は神呪師だ」
ラウレンス様が、神呪を凝視しながら顔を上げずに言う。
「どうして、みんなと一緒にやらないんですか?」
「………………」
ラウレンス様は相変わらず神呪を凝視ししている。あんなに集中して追わなきゃいけないってことは、解析でもしているのだろうか。
「……失礼します」
とりあえず、ラウレンス様の向かいのソファに座る。
「…………水?」
散乱している紙を見て呟くと、ラウレンス様がチラリと視線だけ向けて、すぐにまた手元の神呪に戻す。
「…………空気……風? あ、膜か。あれ? でも、これだと動く?」
「…………ハァ。これだけでそこまで読み取るのか。恐ろしいな」
首を傾げていると、ラウレンス様がため息を吐いて顔を上げる。
「で? 何の用だい?」
「あ、この動具の確認をお願いしようと思って……」
「確認?」
「神呪の」
ラウレンス様が、ああと頷く。
「……特に問題はないようだ」
「ありがとうございます」
「それにしても、次々と思いつくものだね」
鍋の表面を撫でながらラウレンス様が少し呆れたように言う。
「あったら便利な物って多いですよね。でもわたし一人で作れるものって限られてて……」
「君が権力を握ったら世界がひっくり返りそうだ」
ラウレンス様が珍しくクッと笑う。元々優しそうな顔立ちをしているので、笑うと途端に親しみやすそうな印象になる。どうしていつも笑っていないのだろう。
「どうしてみんなと一緒に開発やらないんですか?」
「…………僕は彼らの上司だからね」
「え?」
……意味がよく分からないな。上司だと、何だろう。
「……彼らは自由にやっているだろう?」
「そうですね」
かなり自由だと思う。森林領は仕事には厳しいイメージがあるし、たしかに仕事中に他のことをやったりはしないが、それでもアルヴィンさんなどと比べると、開発室の面々にはとても緩い印象がある。
「だから時々引き締める役が必要なんだ」
「……はぁ」
「それは上司の役目だろう」
なるほど。たしかにその役目は上司だろう。
「引き締める役は絶対必要なんですか?」
「絶対だ」
ラウレンス様が頷く。
「逸脱することを監視し、修正する機構があるからこそ、普段の自由を保障することができる」
「ラウレンス様がすごく怖がられてるのも、そのためですか?」
「………………まぁ、そのためだけではないが、その理由も一部にはある」
……ものすっごく溜がながかったから、ホントに一部でしかないんだろうな。
でも、たしかに、ラウレンス様という怖い人が、常に隣の部屋にいるのが分かっていて、尚且つ目には入らないからこそ、神呪師たちは楽しくワイワイやりながらも、羽目を外し過ぎることがないのだろう。
「でも、ラウレンス様が寂しくないですか?」
他の仕事ならともかく、神呪の仕事は他の神呪師たちと同じ仕事だ。みんなに自由にできる環境をあげようと考えるくらいなのだから、ラウレンス様だって楽しくワイワイやりたいのではないだろうか。
「それは特に感じないな。君だって、神呪のことに集中している時には他の者など意識に入ってはいないだろう?」
なるほど。それもそうだ。
「彼らは一人で集中するよりも、数人で知恵を出し合う方が良い結果が出せる。そこが研究所の神呪師との違いだな」
「研究所の神呪師?」
「研究所に所属する神呪師は精鋭だ。一人で考えても素晴らしい成果を出せる。むしろ、他者と互助することを好まないものも多い」
たしかに、思い返してみれば、わたしの印象に残っている神呪師たちも、概ね一人でいる。わたしにかまってくれる人は数人いたけれど、わたしがいなければ一人で仕事をしていた印象だ。
「開発室の神呪師には精鋭はいない。研究所に所属する程の技量を持たない者達だ。だが、彼らは数人で知恵を出し合うことを好む、精鋭が一人では考え付かないことを考え付いたりする」
森林領のお城には庶民の声が届きやすい。求められるものを理解し、庶民の生活に寄り添った動具を開発する。研究所のように、何もないところに、自分の閃きだけで成果を求めて飛び込むのとは仕事の質が違う。
「下手に僕が入っていくより、彼らに任せていた方が成果が出やすい。それに、上司と部下の間には絶対的な溝が必要だ。それがなくなれば、徐々に制御が効かなくなる。僕はこの部屋にいて、時々彼らを引き締めに行くのが一番効率が良いんだよ」
「足元に溝があっても、その上で手を取ることはできるのではないですか?」
「そういうやり方を好む者もいるだろう。その辺りは単に僕の好みの問題だね」
ラウレンス様が頷きながら言う。距離を取る方が、上司としての仕事がしやすいということなのだろう。
「……ラウレンス様。わたしはラウレンス様の部下ですか?」
「君が?」
虚を突かれたようにキョトンとされる。そんな表情を見るのは初めてなのでなんだかこっちまでキョトンとしてしまう。
「いや……君は顧問なのだから、どちらかというと、僕とは同僚になるんじゃないかな?」
「じゃあ、ラウレンス様はわたしの上司じゃない?」
「そうだね。上司ではないだろうね。責任は負っているけれど」
頷くラウレンス様に、わたしも頷き返す。
「じゃあ、わたしは溝のそっち側に行けるんですね」
「は?」
「は?」
「は?」
ラウレンス様に言ったのだが、同じ声が後ろからも二つ聞こえた。思わず振り返ると、ヒューベルトさんとリニュスが呆気に取られた顔をしている。
……え、でもそういうことだよね?
数回瞬きしてラウレンス様に向き直る。
「じゃあ、わたし、ここでラウレンス様と一緒に開発してもいいですか?」
「………………は?」
ラウレンス様は、さっきからお口をポカンと開けている。そろそろ閉めないと口の中がカラカラに乾いてしまいそうだ。
「そうすれば、何か迷った時とかに、すぐ相談できるでしょう?」
「いや…………」
ラウレンス様が戸惑ったように視線をウロウロさせる。今日は初めて見る反応が目白押しだ。
「……アキ殿、それは…………」
「うん。新しい神呪の開発とか解析とかはさすがにここではやんない。でも、お鍋とかおたまとかに今まであった神呪を描くとかいうくらいは別にいいでしょ?」
「む…………」
ヒューベルトさんは渋っているが、そこは自分で考えた。わたしは、自分が考えた動具をできるだけたくさんの人に使ってもらいたい。だって、わたしはいつも、わたしも含めた誰かが便利になるために神呪を考えて動具を作っている。
アーシュさんのことは信用してるけど、アーシュさんの元でわたしの神呪を確認したり再現したりしている人のことを、わたしは知らない。わたしが神呪師として知っているのは、この森林領の神呪開発室の人なのだ。わたしがラウレンス様に委ねたいと思ったものは、わたし自身の手でラウレンス様にお願いする。
「ラウレンス様。この動具は、わたしのお友達のペトラのために考えたものです。だから、他の人にとっても良いものかどうかが分かりません。どうすれば、たくさんの人が便利に使えるようになるかは、ラウレンス様にも考えて頂きたいです」
わたしはこの森林領に来てまだ2年だ。しかも、その間のほとんどの時間を森の中に閉じ籠って過ごしている。森林領の人々の生活に寄り添うような開発をするには、まだ経験が足りない。
「……分かった」
後ろの二人が厳しい顔をしているだろうことは、ラウレンス様の視線や空気でなんとなく分かる。でも、譲る気はない。わたしは、まだ誰の元にも所属してはいない。
「だが、優先するのはランプだ。他の神呪師が描けるようになるまでは必要個数は君が全てこなす必要がある。そして、可能な限り、街灯の開発に時間を割いてもらいたい」
「分かっています」
今ここにある全ての動具よりも、街灯が優先される。そこには、領民の安全と生活がかかっている。
「……でも、街灯を灯し続ける仕組みを考えなければ先に進めないんです。そしてその仕組みができたとしても、それはさすがに、わたしの一存でラウレンス様に公表はできません」
「……そうだね。そこは承知しているよ」
それぞれため息を吐きながらの会話になる。なかなか全てがすんなりとは進まない。
「……人間の心臓って、どうなってるんでしょうかね」
「は?」
……ホントは、その部分こそ、誰かに聞いて助言してもらいたいんだけどね。
「ところで、ラウレンス様が解析していたその神呪は何のためのものなんですか?」
「ああ、水の膜はどうしても火に耐性がないからね」
テーブルに広がる紙をいくつか拾ってみせてくれる。
「……火への耐性を付けるんですか?」
「君も一時期考えていただろう?」
たしかに、調理道具全体が膜に覆われていれば、出店で使う時に洗わなくて良くて便利だなと思っていた。洗い場女中の手荒れも軽減されるだろう。
「あ、手に膜が張れれば洗濯女中も助かるかな」
ペトラのお母さんが喜んでくれるかもしれない。
「…………手に水の膜を張ると余計荒れる気がするが」
「ハッ! そうか!」
とりあえず、休憩時間はここに来て、洗わないおたまを開発することにしよう。
洗わなくていい調理道具ができるといいなと心の底から思います。
次話は「わたしの立場とアーシュさんの立場」です。




