体調
もやもやとしたものを抱えながらも、アリーサ先生とは仲良くできている。
ただ、問題は、今のところアリーサ先生が教えてくれる内容が、食事の作法、歩く作法、学習する姿勢のみということだ。
なにせわたしは、ここ3日間ずっと本を読んでいる。
心臓に始まり、血に進み、今は神力ってなんだろうという根本的な部分で引っかかってしまっている。神力を意識的に動かせるのが人間だけなのだとしたら、どうしても街灯を作動する人員が必要になってしまうのだ。領内に無数にある道の街灯全てを一つ一つ作動させるなんて、現実的に無理だと思う。ずっと考え続けているので、さすがにちょっと頭がぼんやりしてくる。
「明日は野の日でございますね」
「あ、そういえば、フレーチェ様とのお茶会はいつも通り行われるのでしょうか?」
「いえ、明日は夜分にマリアンヌ様と共にこちらを訪うとのことでしたわ」
……うん? 聞いてないけど? ちょっとイヤな予感がするよね。
「ええと……、それは、準備は誰が……」
「誰か分からない時には、どなたが、の方が良いですわね。お土産にお菓子を持参すると仰られていましたよ」
「あ、そうなんですね」
アリーサ先生の言葉にホッとする。もしかして、また何か作れとか言われるのかと思った。
「ええ。ですので、こちらもお土産を準備しなければなりませんね」
「へっ?」
「あら、お土産を頂くと分かっているのですもの。何も用意していないと凡愚と謗られてしまいますわ」
驚く私にアリーサ先生は当然のように言う。
「アキ様はお料理をなさると聞き及んでおります。先方はそちらを期待なさっておられるようですので、明日の午後はお土産の準備に当ててくださいませ」
「えっと……仕事が……」
「あら、いつも野の日の午後はお茶会のためにお休みされていると伺っておりますわ」
「……そうですね」
午後いっぱい使ったって、王族の手土産に相応しいお菓子なんて作れるわけじゃないけどね。
「あの、わたし……」
「わたくしと仰いませ」
「……わたくし?」
「アキ様はもう11歳。官僚として働くというのは異例ですけれども、普通にしていても、もうどちらかでお世話になっているお年です。これから成人までに十分に大人にならなければなりませんもの。言葉遣いや振る舞いも大人の練習をしなければなりませんよ」
……そうか。なんだかバタバタしている間に11歳になってしまってたんだった。
本来なら、今頃春からの出店の予定をのんびり立てていて、ダンと一緒にヒューベルトさん辺りに怒られいたはずなのだ。そろそろ大人として振る舞えと。そうしてダンが面倒くさそうに適当な返事をして、わたしはたぶん、自分のことをわたくしと言うようになって、春にはきっとコスティにも、私って言うように勧めてるのだ。
でも現実は全然のんびりしていない。出店のメニューを考えたり、お城に住んで神呪を描いたり創ったり、それに礼儀作法が加わり王族に出すお菓子を作らされ、更には大人の真似を始めろと言われる。
……真ん中の4つが完全に予定外なんだよね。
正直言って、そこまで要求されるのは理不尽だと思う。わたしが依頼されたのは、光の神呪だけなのに。
「……必要なんだろうというのは分かっています。でも、今はそこまでできません」
なんだか、一気に疲れた出て来る。力が抜けて背もたれにもたれ掛かかる。
「この場所で過ごすには必要なことですわよ」
特に声を荒げるでもなく、アリーサ先生が分かり切ったことを言う。あまりにも当たり前で、でもそれはわたしにとってはとても理不尽なことで、なんだかムッとする。だってそれを承知する義務は、本来わたしにはなかったものだ。
「マリアンヌ様がわたしに興味を示さなければ、本来礼儀作法もここまで徹底される必要はなかったんです。わたしの仕事は神呪を描くことなんだから。アンドレアス様のわがままに付き合う約束はしたけど、マリアンヌ様のわがままにまで付き合う約束はしていない。わたしができる範囲を超えることは、飲めないです」
「できる範囲を超えますか?」
「……少なくとも、わたしはここにいる間に大人になる気なんてないですから」
わたしはダンの元で育ったのだ。ダンの元で大人になって、ダンの元から巣立つと決めている。こんな、突然来ることになった何の思い入れもない場所で、ダンのいない場所で、今までの自分と違う自分にはなりたくない。
……だって、ダンはわたしの手を離さないって、クリストフさん言ったんだよ。
わたしを置いて、例えばヴィルネルミナさんとどこかへ行ったりしないはずなのだ。少なくも、わたしはそう思うから、ダンの元を離れてこんなところに来ているのだ。
「わたしは、こんなところにいる間に大人になったりしない」
そう言うと、じわりと涙が滲んできた。あの日見た光景が目に浮かぶ。
……ダンは、待ってくれる。
そうは思っても、胸が痛むのが治らない。
……だって、まるで恋人同士みたいだった。
大人になってしまったら、もうあそこには戻れなくなってしまうかもしれない。
「……分かりました。ではそちらはまた来週お話しするとして、明日用意する物を話し合いましょう」
「話さなくていい。その話はもう消してしまっていいよ」
「アキ様」
アリーサ先生が初めて咎めるような口調で呼びかけるが、どうしても聞き入れられない。
……わたしはいらないって言ってるのに。
「どうして今までと同じじゃないの?」
「……アキ様?」
アリーサ先生の声が怪訝そうな、心配するような声色に変わるが、そんなことに構っていられない。先生の声が、なんだか遠く感じる。
「わたし、どうしてこんなところにいるの? どうしてこんなことになったの? どうしてみんな変わってしまうの?」
……いつの間に、ダンはわたしだけのダンじゃなくなってたんだろう。
「アキ様? アキ様!」
「もうイヤだ」
グラリと体揺れる。体が傾いだ気がしたが、よく分からない。どうなっているのか考えることができない。
……これからどうしたらいいんだろう。
わたしはまだ、ダンから離れる覚悟はできていないのに。
「誰か! 誰か来てくださいませ!」
「どうしました!?」
「すごい熱で……寝台へ運んでください!」
なんだか遠くで声が聞こえる。よく分からない。頭に味噌樽を乗せられたようにズンと重い。
「医者を呼んで参ります!」
「いや、リニュスの方が速い。リニュス!」
「了解!」
「あなたはペッレルヴォ師に連絡を」
「承知致しましたわ」
……すごくバタバタしてる。
わたしの頭もザワザワしていて、言葉が上手く聞き取れない。なんだかユラユラするのが気持ち悪い。
「……疲れが出たか」
なんだか息が切れる。額に置かれた手が冷たくて気持ちいい。
「……神呪…………描かなきゃ」
こんな時は神呪を描かないと。頭がグチャグチャしてる時には神呪を描かないと。
「それは熱が下がってからにしろ。とりあえず今は寝るのが先だ」
「……寝たら……神呪、描く?」
「ああ。元気になったら思う存分描けば良い。今は寝ろ」
「うん……」
……元気になって起きたら、全部元に戻っているといいのに。
熱は、翌日の昼には下がった。お医者様によると、風邪だそうだ。
「風邪……噂には聞いてたけど、こんなにきついんだね」
寝台の上でお粥を食べながらしみじみする。それにしても、寝台で食べるなんて危険ではないだろうか。この熱いお粥をこぼしたりしたら火傷してしまいそうだ。
「半日で治るとはね……意外と丈夫なんだね、アキちゃん」
「普通は治らないの?」
「うーん……熱が出る前に喉が痛くなったり頭が痛くなったりする場合が多いかな。あとは咳とかくしゃみとか」
……どれもなかった気がする。
「でも、まぁ、風邪をひく心当たりならあるよね」
「何?」
付きっきりで世話してくれていたヒューベルトさんと交代したリニュスさんがサラリと言うが、わたしには心当たりがない。ちなみに、ヒューベルトさんは報告書を書きに行った。
「深夜に暖を取ってもいないホールで、上着を脱いで、あろうことか使用人に着せていただろう?」
「……え? ……あれ? 気付いてたの?」
「当たり前」
ペトラの上着に神呪を描いた、あの日のことだ。こっそりと出て行ったつもりだったのだが、まさか気付かれていたとは。しかも、完全に見られていたようだ。
「どこから見てたの?」
「オレは外に追って出て、ヒューベルトさんは階段の影からだね」
……全然気づかなかった。さすがだ。
「ずいぶん打ち解けてたね」
「うん。寒そうだったから上着に温める神呪を描いてあげたの。そしたらすごく喜んでくれたみたいで、ペトラのお母さんからもお礼を言われたんだよ」
「そうか」
リニュスさんが少し表情を緩める。もしかしたら、ペトラはリニュスさんの中ではまだ警戒対象だったのだろうか。
リニュスさんと話していると、ヒューベルトさんが戻って来た。
「ねぇ、ところで、アリーサ先生は?」
「フレーチェ様のところだよ」
リニュスさんが当然のように席を譲りながら答える。わたしの看病はヒューベルトさんが担当のようだ。
「フレーチェ様?」
そういえば、アリーサ先生の仕事はわたしが仕事をしていない時間帯だ。普段なら、この時間は仕事をしている時間なのだから、のんびり休憩しているのかもしれない。
「お叱りを受けに行った」
部屋を出て行くリニュスさんの代わりにヒューベルトさんが答える。
「ええっ!? お叱り!? なんで!?」
「アキ殿をこんな状態になるまで放置したからだろうな」
ヒューベルトさんの言葉に愕然とする。だって、そんなことアリーサ先生の仕事じゃないはずだ。
「我々も、今度お叱りを受けるだろうな」
「えっ!? ……あー……、そっか。……護衛だから?」
それはなんとなく分かる気がする。まぁ、病気はどうしようもないとは思うんだけどね。
「でも、アリーサ先生はどうして?」
「アリーサ殿は家庭教師だからな。教育をする上で、生徒が今どういう状態か把握しておくのは当然のことだ。あれだけ一緒にいて気付かないのは、たしかに不始末だろう」
「でも、わたしが何も言わなかったから……」
わたし自身が不調に気付いていたら良かっただけのことだ。
「教育係とは言え、教育するだけが仕事ではない。一緒にいて世話を任されている以上、子どもの健康状態にまで気を配っておくのは当然のことだ」
……当然じゃないじゃない。
契約している以外の仕事まで任されるのは、不当じゃないのか。
「仕事とはそういうものだ。アキ殿を任されている以上、アキ殿が倒れるまで気づかなかったのは、我々周囲の大人全ての責任だ」
「………………」
分かってはいるけれど、納得したくない。そんな気分で黙ってお粥を食べ終えると、ヒューベルトさんがお皿を片付け始める。
「今日はこのまま寝ていろ。明日の外出もまだ止めた方が良いだろう。ダン殿には事情を説明しておく」
そう言うと、ヒューベルトさんは、わたしの枕元に塩と砂糖とレモンの果汁が入った水とコップを置いて、わたしの肩まで布団をきっちりかけて出て行った。もう完全にお母さんでいいと思う。
次話は「ペトラと交流」です。




