4話 ドングリ池の伝説
逆さ虹の森を救うため、俺とキツネはいたずら好きのリスを加え、植物たちの小さな囁きの聞こえる森を通ってドングリ池へ向かっていた。俺らの歩く道の脇には多くのクヌギのような木が立っていたが、その枝にはドングリさえ付いておらず、実が付いているものは一つもなかった。
「どうしてオイラがこんなやつに協力しないといけないだで」とリスはキツネの頭に乗った状態で、不満げに言った。
「だってドングリの隠し場所を知っているのは君だけじゃないか。君がドングリの居場所を教えてくれなきゃ祈ることすらできないだろう?」とキツネが言った。
ドングリがないと祈ることができない? どういうことだ? 気付いたら俺は口をぽかんと開けたまま動物たちの会話に聞き入っていた。
「あ、ニンゲン君はまだ知らないよね」キツネは俺にすっと顔を向けた。その動きはそこまで大きくなかったが、突然だったのでリスはキツネの頭から落ちそうになった。「ドングリ池はよく澄んだキレイな池でね、ドングリを投げ込んでお願い事をすると叶うと言われているんだ。ドングリを投げ込んだ動物で僕が知っているのはリス君だけなんだけどね」
「でもそんなの迷信だで。森が埋もれるくらいたくさんのドングリが欲しいと願っても叶わなかったで」リスは落ちないようにキツネの毛をしっかり掴んで口を挟んだ。
「リス君、そんな願いが叶ったら僕たちは息ができなくなっちゃうよ」
なるほど、だからドングリ池っていうわけか。
「話は戻るけど、願うのに必要なドングリは全部リス君に独占されちゃったんだ。それも、誰も知らない場所に隠されている。だからリス君の力を借りなきゃいけないんだ」と嫌味らしく言う。
「ドングリはオイラの飯だで」リスはそっぽを向いて言った。
「森の物はみんなの物だよ」
「だけどオイラはドングリ探しのプロだで。オイラが管理するのは自明の理だで。欲しいときはそう言えばいいんだで」
「何を引き換えにくれるんだ?」ずっと黙って聞いていた俺は気になって尋ねた。この世界には貨幣制度なるものが存在するのだろうか。
「引き換え? そんなものないで。求める者には与えるのが筋だで」
どうやらこの森にはそんな複雑な制度というのはないらしい。むしろ、この動物たちの倫理観はキリスト教に基づいているように思われる。
そんなことを考えていると、不意にすぐ傍の茂みからガサガサという音が聞こえてきた。
「うわぁ!」思わず俺はその茂みから退く。とっさに動いたせいで、リスは驚き、キツネから落ちてしまった。
「いてて……、おい、あぶねぇで!」リスは憤って大声を上げた。しかし、その声はそこまで威圧的に感じられず、むしろかわいいくらいだった。
「い、今そこで何かが……」俺は音の聞こえた茂みを指さし、情けない声で言う。
「きっと少し大きめの虫か、リス君くらい小さな動物じゃないかな」キツネはくすくすと笑った。
「おい、オイラは体こそ小さいが、懐は大きいんだからな!」
「リス君、それを言うなら、『懐が深い』だよ」とキツネは淡々とリスの誤りを訂正した。
あまりにも静かな森だから、突然の物音で過剰に驚いてしまった。こんな些細なことで驚いてしまうとは。
「あ、ドングリ池が見えてきたよ!」とキツネが目を輝かせて言った。
ドングリ池はキツネの説明した通り、とても澄んでいてキレイな池だった。虹の湖のように神秘的ではないが、あまりにも不純物がないので、自然物とは信じがたいほど美しかった。池の水面には蓮のような小さい葉が浮かんでおり、その下の水底にはくっきりと影が出来ている。光を放っているわけでもないのに、キラキラと輝いているようだった。
「どう? キレイでしょ」とキツネが俺に問いかける。
「ああ、とても……」俺は半ばぼーっとしながら答えた。虹の湖を目にしたときとは異なる感情が奮い立たされたのだ。虹の湖が驚きならば、ドングリ池は落ち着きだ。この池を見ているだけで時間が停止したかのように感じられた。
「どうやら、ニンゲン君もドングリ池の虜にされちゃったみたいだね。ところで、肝心のドングリは……」キツネはわざとらしくリスをちらちらと見た。
「あーわかったで、あんたは他の誰よりも信頼の置ける動物だから、あんたにだけ教えてやるで」とリスは諦めたような様子で池から離れたところへ歩き出した。「ただし、ニンゲンは見るな。ずっと池を見てろ!」
「わかったー」俺はほぼ無意識的にそう返事し、そのようにした。
しゃがみ込んでドングリ池を呆然と眺めていると、二匹の動物の話し声が小さく聞こえてきた。
(ここだで)
(わあっ、茂みに覆われた樹洞に隠していたんだね!)
(あんたわざとか!?)
そのような会話を聞いていると、俺の頭上を通って何か細長いものがキツネとリスの方に飛んでいった。