塔の主
近づいてみて分かったが、この城は城と言うより塔と言われた方がしっくりくるだろう。
中央の一番大きな塔の周りに一回り小さな塔が四本隣合って建っている。
中央塔と四本の塔は中で繋がっていると思われる。
周りの四塔に三角形の屋根がついているのになぜか中央の塔には三角形の屋根がついていなかった。
まるで円柱に蓋をしたような、不格好な作りだ。
城壁だったと思われる壁が崩れて破片がそこらじゅうに散らばっているのに対し、塔のような城はどこも崩れることなく、三百年前の栄光をうかがえる。
三百年も経っているのになぜ塔だけが当時のままなのか。
気になるところだが、アオバは太陽が沈み始めている事に気づいた。
とにかく今晩はこの塔の中で休まなければならない。
門は中央の塔にしか見当たらない。分厚い木製の両開きの門で、取手は鉄製だ。
門の前まで来ると見れば見るほど大きな塔だと分かる。
アオバは一つ深呼吸をした。それに合わせるようにピーターがブルルと身震いする。
門に錠はかかっていなそうだ。
アオバは一気に門を引き開けた。
中は闇だった。
すると突然視界が明るくなったかと思うと、目の前には灼熱の炎を纏った二本角の魔人が現れた。
騎士達が言っていた怪物とはこいつのことに違いないなとアオバの冷静な部分の脳が言っている。
魔人が拳を振りかざすとアオバの足元が炎に包まれた。
「ヒィィーーン!」
ピーターが悲鳴に近い鳴き声をあげ後ろ足で立ち上がった。
そしてアオバの持つ手網を引きちぎり、そのままどこかへ走り去ってしまった。
魔人は追いかける様子もなく、アオバに再び炎を浴びせる。
そこでアオバはあるおかしな事に気づいた。
(この炎はちっとも熱くない。これは幻だ)
魔人が口を開いた。
「お前、なめぇは」
舌が炎だから呂律が回らないのだろうかとアオバは分析する。
(いやいや、そんなことはどうでもいい。問題は名前を聞かれたから答えるかどうかだ)
「お前、なめぇは!」
魔人は先程よりすごみを効かせて聞いてきた。
(名前を知れば相手を支配できる。これは魔術を扱う中では常識だ。つまりこれは誰かによる幻術攻撃!!)
相手の手の内が分かったアオバは一気に攻勢に入る。
「元王専属の星読み師を舐めるなよ!星々よ、我に力を!ウル・キルラバー!」
アオバが幻術封じの魔法を唱えると、魔人と周りの炎は消えた。
気がつくと、アオバは塔の中にいた。
周りには先程の幻術の炎の代わりに本が至る所にうず高く積まれている。
「見渡す限り本、本、本だな......」
どうやってお目当ての星の周期記録を探そうかと溜息をつきかけたアオバだったが、目の前のある物に息を飲んだ。
中央の塔の真ん中、そこには息を呑むほど美しい、翡翠を思わせる青緑色の龍の石像が置かれていた。
上を見上げると、平らな屋根はステンドグラスで出来ているらしい。
美しい白鳥のデザインだ。上から差し込む日没の淡い光がこの龍の石像を照らしている。
この世のものとは思えない美しさだとアオバは思った。
龍の左手には一冊の本が開かれており、右手はまるで長い爪で文を追っているか如く本の上に爪を一本置いている。
長い首を曲げて、人間のように本を読んでいるモチーフらしい。
大きな翼を合わせても十五メートルはありそうだ。
「ここの主は大層な芸術家だったんだろうな。」
龍、またはドラゴンと呼ばれる生物は人間の家畜や財宝を奪うため、悪のイメージが強い。
しかしこの石像はそんな認識を忘れてしまうほどに美しかった。
しばらく見惚れていたアオバだったが、自分の使命を思い出して目当ての本が無いか辺りの本を片っ端から開き始めた。
床にあぐらをかき、本を開いては閉じを繰り返す。
物語や草花の本、占い本と様々な本があったが目当ての星の周期記録は見当たらない。
ただ本を開いてページをめくる音だけが塔の中でこだまする。
時間だけが悪戯にすぎていく。
「今日は諦め......」
今日はもう休もうかと思った時、アオバはある違和感に気づいた。
すでに日は沈み、月の光だけが頭上のステンドグラス越しに差し込んでいる。
青白い光に包まれた塔の中、何かがおかしい。そう、そこにあるはずのものが無いような...。
「あ......龍の石像がいない......」
「いない」という表現をしたのは最初から生きているかのようにリアルな石像だと思ったからかもしれない。
とにかく、自分が本探しに熱中している間に何者かが龍を動かした。
または夜になると動き出すいわく付きのものだったのか。
アオバは護身用の短剣を抜き、龍が置いてあった方向へ向ける。
恐怖に心臓が早鐘を打つ。緊張で手が汗ばみ、短剣が手から滑り落ちそうになる。
盗賊が相手だった場合、星読み師のアオバが勝つ確率はゼロに等しい。星読み師は魔法を遠くから飛ばして初めて戦闘に加われるのであって、至近距離からの攻撃の前では一般市民と変わりないからだ。
「誰かいるのか!」
声が震える。
「いるなら出てこい!」
突然強い衝撃がアオバの腹部を襲った。
次の瞬間にはアオバは宙に投げ出されていた。
何が起こったのか分からないアオバはそのまま柱へとぶつかって下へうつ伏せのまま滑り落ちる。
あまりの衝撃に肺の空気が一気に無くなったため、酸素を求めて口をパクパクさせる。
アオバの背中を大きな何かが押さえつけた。
再び肺の空気を押し出されたアオバは声にならない呻きを漏らした。
「模擬戦闘としては上出来かな?それともこんな素人相手では無意味か」
どこからか声が聞こえる。
いや、耳から聞こえるのではない。心の中に直接声が聞こえる、そんな感じだ。
「人間種ヒト族ヒト科、オス。年齢およそ17〜21歳」
押さえつけられていて上は見えないが、アオバを押さえつけているのは何かの巨大な手の一部らしい。
アオバの顔ほどもある長い鋭い爪がアオバの目の前にあるのが恐ろしい。
「シャズイーニったらダメですよ!お客さんをそんなふうにして」
突然上から別の声がかかる。
「こいつがお客さん?人間だろーが。というかファシル。なんでこいつ中に入れたんだよ」
「私は入れてませんよ。勝手に幻術破って入ってきちゃったんですよ」
アオバは二人のやり取りを聴きながら自分の状況を分析する。
まず、自分はあまり歓迎されていない。これは今突然襲われた状況から見ればわかる。
そしてもう一つ。この二人(二匹?)はアオバの処遇に困っている。
これはこれからのアオバの生命に関わる重大な問題だ。
「とりあえずシャズイーニ。その前足を上げてあげてください」
猛獣のうめき声の様な音の後、アオバを押さえつけていた力が無くなった。
前を向いたアオバは悲鳴をあげそうになるのをすんでのところで抑えた。
目の前にいたのは美しい金髪の少女と一匹の龍だった。
しかし、少女は宙に浮き、龍はまるで生きているかのように瞬きをしているではないか!
いや、龍は元々生きていたのだ。
石像だと思っていた龍は生きていて、幻術を仕掛けてきたのはこの少女ということだ。
よく見ると少女の美しい金髪から覗く耳はとんがっているように見える。これは魔法を得意とする種族、エルフと言うやつだろう。
「シャズイーニは前から私みたいな助手がもう一人欲しいって言ってたじゃない。ここから返すわけにもいかないし、助手として置いてあげましょうよ」
金髪のエルフがニコニコと嬉しそうに言う。
「言ったけど僕は人間なんてごめんだね!寝首をかかれて僕ら二人ともおしまいさ!」
龍は相変わらず心に直接声が聞こえる不思議な喋り方をする。
「その心に直接語りかけるのは、魔法か何かなんですか?」
アオバは言ってしまってからしまったと思った。龍がご立腹の今、ここは自分が声を出してはいけなかった。
しかしエルフの少女は宙を滑るようにアオバに近ずいてきた。その目はなぜかキラキラと輝いているように見える。
「その通りです! 貴方は魔法の知識がお有りですね?良かった! それならここでの生活にもすぐに慣れますよ。あ、私はファシルと申します。そしてこのふてくれドラゴンがシャズイーニです。綺麗でしょーこの鱗。実はシャズイーニは密かにこの鱗を自慢に思っててー......」
「あーもう!また始まった!」
シャズイーニはそう言い捨てると翼を広げて上へ飛び上がった。
この塔は龍が羽ばたいてもビクともしない程頑丈で大きかった。
シャズイーニが天井のステンドグラスに近づくと、独りでにステンドグラスが扉のように空に向かって開いた。
夜空に輝く三日月がシャズイーニの巨体を青白く照らす。あのステンドグラスは屋根であり扉でもあるようだ。
シャズイーニがステンドグラスの扉から飛び去ると、塔の中は静けさに支配された。
ステンドグラスがまた独りでに動いて閉じた。
上を見上げて目を凝らしても、扉を思わせる二枚のステンドグラスの境目は見えなかった。
とても精巧に造られているようだ。
「...ごめんなさいね。シャズイーニは気難しいんです。あれでも根はいい子なんですよ?」
ニコッと笑うこのエルフはシャズイーニのことを子供のように思っているらしい。
龍といえば何百年も生きると言われている。
ではこのエルフの少女は何歳なのか。
気になったアオバだったが、今度はしっかり口を噤んだ。
「さぁ! 文句が多いドラゴンもいなくなったことですし、まずは貴方の自己紹介が聞きたいです。」
突然興味津々という目でこちらを見るファシルに話を振られたアオバはどぎまぎしながら答える。
「あ......えっと、アオバ・エルグ・リトゥーバと申します......」
「エルグ! 確かエクーナ王国の星読み師学校を卒業するとエルグと名乗れるんでしたよね。なるほど。貴方は星読み師でしたか。それなら私の幻術を破れたのも納得です」
うんうんと頷くファシルにアオバはまた質問したい衝動に駆られた。
「あの、なんでエルフが人間の王国の制度を知っているんですか?」
遠慮がちに聞くアオバにファシルは物知り顔で胸を張る。
「何せここには古今東西人間からドワーフ、エルフに至るまでの様々な生物が書いた書物が集まってますからね! あ、敬語じゃ無くて大丈夫ですよ? 今日から同僚になるんですから」
自分は敬語じゃねーかとツッコミをいれかけたアオバだったがぐっと堪えて笑顔を作る。
「そうする。俺はここで働くってことでいいの?」
「そうです。まずはここの説明と貴方の部屋に案内しますね」
アオバは頷きつつ心の中で安堵する。
ここでもたもたしていたらいつまたあの龍が戻ってきて食い殺されるか分かったもんじゃない。
「では中央の塔から説明します。主な用途は書庫です。一番広くて明るいのでシャズイーニの読書場でもあります。入口の門のが北西の方角です。その隣が北塔、東塔、南塔、西塔があります。そのうち東塔以外は書庫で、東塔は調理場や寝所があります」
ファシルは東塔に歩き始める。アオバもそれに続く。
東塔に入ってまず目に入ったのは立派な厨房だった。そこから螺旋階段が続いている。
「食事は心配ご無用です。調理は私に任せてください」
ドンと胸を叩いたファシルにアオバは胡散臭そうな視線を送る。
「だ、大丈夫ですよ!人間のアオバのお口に合うように工夫しますから」
階段を登っていくと、二つの書庫と四つの部屋があった。書庫には本がぎっちり詰まっている。
(俺が生きているうちに星の周期記録は見つかるのだろうか......)
アオバが軽く頭痛を感じてきたとき、最上階のフロアが見えた。ファシルがドアを開く。
「ここがアオバの部屋です」
案内された部屋は綺麗に整理されているが、ベッドと書き物机、クローゼットと小窓があるのみの貴族の城とは思えない簡素な部屋だった。
不思議なことに、三百年放置されていたにも関わらず、床にもベッドにもホコリは全く積もっていなかった。
夜なのに室内が明るいのは塔全体に無数に配置してある発光石のおかげらしい。この部屋にも発光石が二箇所、壁に設置されている。
「それではおやすみなさい」
そう言ってファシルが扉を閉めると部屋は静寂に包まれた。
「んあぁぁぁー!」
アオバは思い切ってベッドへダイブする。子供の頃はよくやっては父親に怒られていたが、近頃は忙しくてそんな余裕も無かった。
「とにかく首の皮一枚で繋がってるな......こんなありえない状況で童心に帰れるのも皮肉なものだなぁ......」
アオバの独り言が静寂に消えていくなかアオバは深い眠りについた。
ついにメイン3人が出会いました!
このでこぼこ3人組を今後も読書の皆様に暖かく見守ってもらえると嬉しいです。