閉ざされた記憶②
気がつくと、そこは見たことの無い部屋だった。
なぜこんな所に自分はいるのか。考えてみたが思い出せない。
(私は......誰だ?)
混乱する意識の中、目の前に立った誰かが声をかけてきた。
「やあ。私はヤーゴン。君の主人だよ」
「しゅじん......?」
しゅじんって一体なんだろう。
「君には新しい名前が必要だね。そうだな......ファシルなんてどうだい?」
「ファシル......?」
「そう。ファシル。それが君の名前だ」
ファシルはヤーゴンと暮らすうちに、ヤーゴンの事が大好きになった。
過去の記憶が無いことに最初は戸惑ったが、ヤーゴンとの生活はとても楽しく、いつしか過去なんてどうでもいいと考えるようになっていた。
ヤーゴンはよく夜になると、天窓を開けて星を観察していた。その窓を開けるのはファシルの仕事だった。
「どうですか?ヤーゴン様ー」
望遠鏡を覗き込むヤーゴンの背中に声をかける。
「あぁ。バッチリだとも」
ヤーゴンは多くは語らない人であったが、ファシルに愛を持って接してくれた。
ファシルが悪夢にうなされる夜は、ヤーゴンが隣で星の話をしてくれた。ヤーゴンの魔法で自由に動き出した星々は、様々な動物の形に姿を変えてファシルの周りを駆け巡る。
それにつられてファシルが手を伸ばすと、ファシルの指先から氷で出来た花が咲いた。
「おお。ファシル。凄いじゃないか」
魔法を見せるとヤーゴンはとても喜んでくれた。喜ぶヤーゴンを見るのが楽しくて、いくつもの魔法を見せた。
なぜ自分が魔法を使えるのかは分からなかったが、ヤーゴンが喜んでくれるならそれでいいと思った。
ヤーゴンは国から任されたという、ある恒星の周期記録を観測してまとめていた。
ファシルは気になったが、
「これは人間のくだらない政治に使われるものだ。無垢なお前は近寄らない方がいい」
と言ってヤーゴンは詳細を教えてくれなかった。
時はあっという間に過ぎて行き、ヤーゴンが病に倒れた。
「ヤーゴン様! 死んじゃ嫌です!」
ファシルはヤーゴンの枯れ木のように細くなった腕を握り、必死に呼びかける。
「可愛いファシルや......私はもうすぐ死ぬ。そしていつかは私の魔法も効果を失うだろう。お前が過去を全て思い出した時、絶望してはならない......。私はお前に生きる役目を与えるつもりだ。この塔を守りなさい」
その言葉を聞いた時、ファシルは自分の魂が震えるのを感じた。
「この塔はお前であり、お前はこの塔だ。この塔を守ることは、お前が生きる事。それ以上に私が望むものは無い......」
そう言ってヤーゴンは力尽きた。
ファシルはヤーゴンの遺体を外に埋めたかったが、ファシルは塔から出られない。
結局、遺体が骨まで全て塵になるまで魔法で焼却して、その塵を、ヤーゴンが毎日座って星を見ていたあの天窓から外へ飛ばした。塵は風にさらわれ、あっという間にファシルの手から姿を消した。
ヤーゴン城には三人の人間の召使いがいた。皆身寄りがなく、ヤーゴン亡き後もヤーゴン城に留まり、ファシルの話し相手をしてくれた。
だが時は流れ、二人は病で亡くなり、一人は城を捨てて出ていった。
ファシルは一人ぼっちになった。だが少しも寂しいと感じなかった。ヤーゴンとの思い出を思い出すだけで、ファシルは幸せになれた。
それから二百九十年の時が過ぎた。
突然空から落ちてきたドラゴンと仲良くなり、ファシルの悲しみは紛れた。
しかし、記憶の空白は埋まらず、いつまでもファシルの心に影を落としていた。
それから十年後、今度は塔に人間がやってきた。ヤーゴンと同じ人間が来たのだ。ファシルは喜んだ。
アオバとシャズイーニとの生活は毎日が楽しくて、ファシルは空白の過去のことを忘れかけていた。
しかしある日、突然全てを思い出したのだ。
弟のこと、東エルフの国のこと、そこで起こった悲劇を......
その日はアオバに外出に誘われたが、塔を離れられないファシルはこの誘いを断った。
そしてアオバが出かけると、自室へこもった。そして自らの記憶に蓋をしたのである。どうやったのかは覚えていなかった。
ただ一心にヤーゴンの遺言通りに『この塔を守る』事だけを考えた。
そしてアオバが帰ってくる頃には笑顔で
「おかえりなさい」と言えた。
しかしそれから数週間後、突然固く閉めたはずの心の蓋が開いてしまった。それどころか、いつも魂と繋がっていたこの塔との繋がりが切れていた。
ファシルはなす術もなく、押し寄せる悲しみの濁流に意識は飲み込まれていった。
ファシルはその小さな体にたくさんの苦悩を抱えていました。それでもアオバとシャズイーニに向けた笑顔は本物でした。
作者が言うのも変ですがなんだか切ないですね...。




