世界が堅く結ばれた日
世界が堅く結ばれた日
世界。一重に文字に置き換えると簡単な響きのある言葉。
しかしながら、誰しもが深くこの意味を知ろうとはしない。各々が生きる空間を説明しろと言われれば、情報の過多によりパンクするのも想像は簡単だ。だから、とは言わないが、ここで知って欲しいのは、世界は平等でなくて当然であること。
もろいくらいが丁度いいものである。
だが、今日この時をもってわたしの世界は堅く結ばれた。
街を歩く青年が、こう呟いた。
「僕は一人じゃない。僕が死ねばもう一人の僕がいる」
僕。僕。僕。うるさい。一人称をそれほど繋げなくても、いいだろうに。寒い冬景色に白い息と、虚ろな言葉が漏れていた。
彼らは名を持たない。あれ。や、あいつ。強いて区別するなら、これらの言葉であろう。
いつも彼らは、街の端を歩く。身体はぴっちりとした黒いタイツ姿。上も下もない。
そんな彼らは、幅にして30センチ感覚に距離をあけて、もう一人の彼がついて歩き、その後ろにもう一人の彼が‥‥‥。と永遠に後ろまで続く列が皆下を向きながら歩く。
さながら、道端のありと同じだ。
一人が、右手を上げれば、後ろに続く同じ様態の者がすっと、同じタイミングで右手をあげる。そうすれば、又後ろの者が。とコピー運動していく。
生を受けて、いつからだろうか。この光景が当たり前になっているは。
親から聞かされた話では、世界の三分の二はこの奇妙な者達で占められているらしい。
母は言った。
「世界が結ばれるのはあと少しね。あなたが最後の一人よ」
父は言った。
「名誉なことだぞ。最後に世界を堅く結んだ者になれる。誇れるじゃないか」
わたしの両親は、声高らかに食事風景の一片に、語ってくれた。小さな頃はこのことに、やった。みんなに自慢できるね。と食事中でありながら、食卓の周りを走り回り、怒られたものだ。
そんな話も何十年も昔のこと。
ぐるりとあたりを見渡す。
その参列の中にいつも見ていた。父。母。の顔があった。すかさず。目の前まで行きジッと凝らしてみる。
何年も前。二人がこうなってからわたしはいつもこうしている。毎朝欠かさずだ。
常々おもう。
これで本当にわたしで最後だ。世界は堅く結ばれようとしている。
世界とは人が定義する上で、欠かせない言葉の一つであろう。
みんな平等でないのは、おかしい。
では、何をもって平等となるのか。
わたしは知っている。
世界が堅く結ばれる時。本当に平等となり、全ては一つの世界になる。
世界は一つであるのだから、不思議に考えては行けない。
元から一つなのだ。
「僕は一人じゃない。僕が死ねばもう一人の僕がいる」
歩く大きな音が一つ。
回る世界も一つ。
生存者75.3億人
彼が右手を上げれば、彼も右手を。
彼が転ければ、彼もこける。
彼が死んだ日には、皆が死んだ。
世界は堅く結ばれた。
そして、最後の日になった。
小さなわたしがニタリと笑う。
「見てみて、わたしが最後に世界を堅く結んだんだ。すごいでしょ」
相手はそれを同じようにニタリと笑った。
そして、相手も口を開いてこう言った。
「見てみて、わたしが最後に世界を堅く結んだんだ。‥‥‥すごいでしょ?」