『創作のお話』より 第二十六回 書き出す前に決めること
私は長編書きです。
書く時は、必ず事前に執筆設計書を作ります。
大抵はA4の用紙で二十枚ほどになります。
例外は『花の戦記』で、百三十枚を超えて十六万字余りになりました。
設計書で決めたことはほぼそのまま使います。
とりわけストーリーの流れや方向は変えません。現在まで、あらすじや各章の内容が当初の予定と大きくずれたことは一度もありません。
『花の戦記』は執筆期間が非常に長かったため、途中で新しいアイデアがたくさん浮かび、死ぬはずだった数人が生き延びたり、新しい登場人物が多数登場したりして、場面がかなり増えました。それでも、もともとの計画にあった場面はほぼ全て書き、物語全体の流れや決着には影響しませんでした。
この経験をもとに、長編の執筆前の準備について、まとめてみようと思います。
小説を書く際、事前にプロットを作る人と作らない人がいるそうです。
面白いものが書けて完成までこぎつけられるなら、どちらでもかまいません。
それでも、長編小説の執筆には、計画やプロットはあった方が安心だろうと思います。
少なくとも、私には絶対に必要です。
それには四つの理由があります。
一番大きな理由は、内容がある程度決まっていないと書けないからです。
今日書くのはこの章のこの場面と決めて、頭に大体の筋とイメージが浮かんでいないと駄目なのです。
細かなことは書きながら流れで決めますが、それは家に例えるなら壁紙の色や家具の配置です。間取りやどこに柱があってどこに壁が必要かは事前に決めておきます。
二つ目の理由は、先の見通しが立つことです。
今書いている部分が全体のどの辺りで、後にどういう場面があるかが分かっていないと書きにくいです。
例えば、恋愛小説では、どの段階でどの程度二人の仲が進展していて、どこで喧嘩をするといった予定がないと、ストーリーの展開が難しくなります。
プロットを作ると物語の先が見え、終わりが決まります。
プロットを作らずに小説を書く人も、大まかな流れは思い浮かべていると思います。
「ああなって、そうなって、こうして、こんな感じで締めよう。」
「ここまでの流れを受けて、次はこういう方向に持って行った方が面白いはず。」
それに、全体の計画があると素材を有効活用できます。
例えば、登場人物を重要人物と忘れられてよい人物に分け、重要な方は二度以上使います。覚えてもらったのに一度しか出さないのはもったいないからです。
この場面のこの役割はあの人物にさせればよいとか、後で出てくる道具を前の方でも使っておくといったことは、伏線や布石のような効果を生みます。
また、いつまでに書き終えるか、長さをどれくらいにするかといった目標がある場合も、全体の計画がないと実現は難しいです。
三つ目の理由は、書いている途中で止まりたくないからです。
執筆には勢いというものがあります。
書き始めてしばらくすると、頭がその場面のイメージでいっぱいになり、言葉が次々に湧いてきます。一日に五千字から一万字くらい書くこともあります。そういう時はとにかく先へ進んで、場面を書き切ることを目指します。
翌日、推敲をします。冷静になって細部を見直すのです。ここで確実に分量が増えます。足りない言葉を補うからです。
木像造りにたとえると、のこぎりや鉈で大まかに削った後で、小さなのみややすりで形を整えるのです。推敲はその後も数度します。
乗って書いている時に、中断して調べ物をしたり、先の展開を考えたりすると、集中が途切れて勢いが失われます。
すると、手が止まり、なかなか進まなくなります。
これが文章の質に大きく影響します。集中している時に書いた文章は、自然な流れがあってよいできになることが多いのです。
こういうわけで、できるだけ止まらなくてすむように、各場面の設計や、必要なアイデアの用意、資料の下調べなどは先にしておきます。
使う言葉やそれ以外の調べ物が途中で必要になることもありますが、先を書く以外の作業は可能な限り事前の準備や推敲の時にするのです。
四つ目の理由は、私が天才ではないからです。
プロットや計画を作る作業とは、言い換えれば、書く前に作品の内容をよく考えるということです。
事前に時間をかけて考えたことと、書きながらその場その場で思い付くことと、どちらがしっかりした考えでしょうか。どちらが矛盾がなく、今後の展開や全体のバランスに配慮がされているでしょうか。
答えははっきりしています。
もし、勢いでとっさに書いたことが、長時間の思索と検討の結果よりも毎回すぐれている人がいれば、それは天才です。
文章を面白くするには、アイデアや知識や論理性や構成の工夫が必要です。ひらめきや感性だけで判断できない場合も多くあります。
このように、作品をよいものにしたければ、計画をある程度は立てた方がよいと思います。
一方で、プロットを作ることで起こる問題もあります。
後から変更するのが難しくなるのです。
特に、伏線を張り巡らせている場合は困ります。
執筆ずみの場面を一つ削りたいと考えた時、ある登場人物を印象付けたりトリックのヒントを仕込んだりするのが他の場所では難しいといったことが起こります。
長編の場合、かなりの分量の書き直しが必要になることもあります。
また、プロットをきっちり組んでしまうと執筆が作業になると考える人がいるようです。
既に決まっているものを文章化するだけでは楽しくないと思うのでしょう。
気持ちは分かります。
書こうとする物語にわくわくしていないと意欲が起きません。
ですが、執筆はもともと作業です。
特に長編はそうです。
大きな館の大掃除に似ていると思います。
どうしてもしなければならないことではありません。
ですが、やろうと決めて、準備をして取りかかります。
たくさんある部屋を毎日一つずつ、丁寧に掃除していきます。
部屋ごとに掃除の仕方が違うので、毎回知恵を絞って工夫する必要があります。
しかも、時々以前に掃除した部屋をのぞいて、更にきれいに磨きます。
疲れますが、その日の分が終わると少しすっきりして満足します。
これが数十日に渡って続きます。
毎回集中して取り組まなくてはなりません。
手を抜くことは許されず、やり切らないと意味がありません。
ですから、計画が必要なのです。勢いだけでは挫折します。
執筆に楽しさを求めるのではなく、作業を楽しめばよいのだと思います。
全て計画通りに行かなくてもかまいません。
実際に書いてみて分かることもありますし、途中で新しいアイデアを思い付くこともあります。
その場合は、一旦手を止めて、計画を練り直せばよいのです。
変更は事前に決めてあってこそできます。プロットの段階では迷っていたことに、納得の行く結論が出たりするものです。
では、計画書の作り方です。
必ず書くべきことは八つあります。
書くことで忘れるのを防ぎ、自覚することで執筆に生かせると思うことです。
一番目は、小説の題名です。
私は仮の題名を付けておき、書いている途中で決定することが多いので、候補や使いたい言葉などを書き留めておきます。
二番目は、追究テーマです。
物語を通して作者が考えたいことです。
読者にメッセージや教訓を伝えたい場合もあります。
小説に必須のものではありませんが、あるなら言葉にして書いておくことをお勧めします。
三番目は、数行あらすじです。
作品の内容を数行でまとめたものです。
「○○な主人公が、~して、…して、―になる話」で大体これになります。
自分が書こうとする物語の要点を書いておくことで、話がぶれることを防げます。
四番目は、「ねらい」と「絶対に書きたいこと」です。
作品執筆の目的や基本となるコンセプト、描き出したい対象物です。
「息子に読み聞かせるお話」「思い出を忘れぬように書き留めておくため」
「主要人物に象徴する花を用意して効果的に用いる」「時代の流れに逆らう人と乗ろうとする人を対比して書く」
「最高の美少年をかっこよく書く」「魔神達が住む世界とその不思議な暮らしぶりを生き生きと描く」
こういったものです。
読んでもらいたい人や対象とする層が決まっている場合は、彼等向けにするための注意点などを書いておくことも意味があります。
五番目は、作品の舞台となる世界の設定です。
民族や種族。動植物や怪物や妖怪とその生態。地形や風土。社会の仕組みや文化。背景となる世界情勢や歴史。魔法や超科学などの理論。その世界の神話。
書く時に念頭に置くべきことは、文字にしておいた方がよいでしょう。
特に、現実世界に存在しないものや、自分で考えた新しいものは、事前に細部まで想像しておくと後で困りません。
書いて整理することで忘れたり勘違いしたりすることが減りますし、自分がしっかり理解していないと読者に上手く伝えられません。
六番目は、登場人物一覧です。
物語に必要な人物を書き出して、性別・年齢・容姿・身分・職業・特技などを決めておきます。
イメージのもとになりそうな逸話や生い立ちや過去、性格の傾向、他の人物との関係もあれば書きます。
また、主要人物の名前は事前に決めます。これはとても重要です。
小説を書く時に何が一番大変ですかと聞かれたら、私は「固有名詞を考えること」と答えます。それくらい、登場人物の名前や地名を決めるのは時間がかかります。
名前なんて覚えやすくて他の人物と混同しなければよく、必要があれば変更する程度のものなのですが、なかなかよいものは思い付きません。
執筆中に「この人物の名前は何にしよう」なんて考え出したら、その日はそれだけで終わってしまいます。
七番目は、日程表です。
「一日目:主人公は旅の途中で少女と出会う。敵は主君に少女の暗殺を命じられて、深夜に町へ到着する。二日目:敵の襲撃、主人公は少女を守って負傷する。夕刻、敵は襲撃の失敗を報告して主君に叱られる。」
こういうふうに、日付と、その日に起こる出来事を書いておきます。
これは非常に大切です。とりわけ、物語の中で数週間や一年といった長い時間が流れる場合や、複数の勢力が離れた場所で活動している場合は、これをしておかないと矛盾が出ます。
旅や軍隊の移動など、ある程度の時間がかかる行動を書く場合も必要です。うっかりすると、主人公が十日かけてたどりついた場所に、出発した町から一日で手紙が届いたりしてしまいます。
八番目は、全体の詳しいあらすじです。いわゆるプロットです。
章ごとに、起きる事件の発端と経過と結果と関わる人物を書きます。箇条書きでも、文章でも、両方でもかまいません。
副題を付けるとその章や節の目的がはっきりします。小説本体には書かなくても、決めて無駄にはなりません。
また、言わせたい言葉や思い付いた表現、使えそうなアイデアなどを書き留めておきます。
張るべき伏線も書いておきます。
視点変更がある場合は、それも計画しておくとよいでしょう。
なお、九番目として、合戦の作戦、推理物のトリックのように、特別なアイデアや経過が必要なものは、別に詳細をまとめておきます。
更に、必須ではありませんが、十番目として、その世界や町や城や戦場の地図も重要です。
こうした準備ができたら、いよいよ執筆です。
そこで一番大切なことは、四番目に挙げた「ねらい」です。
これが作品のできあがりに非常に大きな影響を与えます。
本命用のハート形の手作りチョコレートは、渡しそびれても他の人にはあげにくいです。
趣味全開で自分が楽しむために書いたものを公募に送っても、受賞はあまり期待できません。
大人を読者に想定して書いたものを子供向けに直すのは難しいです。
ファンタジーなら、どこまで世界を作り込みますか。
恋愛物なら、どの程度どろどろした心理に踏み込みますか。
戦記なら、戦場の残酷さや人の死の重みをどのくらい大きく扱いますか。
技術面も同じです。
文章の構成や言葉の選択は、想定する読み手と読まれ方によって変わってきます。
例えば、感情移入と一口に言っても、主人公になり切って物語を自分のことのように体験してもらうのか、遠い世界のお話にお茶を飲みながら耳を傾ける感覚なのかで、書き方は随分違います。
その作品は何のために書くのですか。
誰に読んでもらいたいのですか。
小説という形式を選んだのはどうしてで、どこに小説らしさがありますか。
この問いに対する答えを常に持ち、何をどのように書くか、どこにどれくらい切り込むかを決めて、徹底して守ること。
これができなければ、中途半端な作品になります。
小説は文芸です。芸術と考える人もいます。
高い評価を期待するなら、相応の準備と努力と技術が必要です。
小説というものを愛し、自作を大切にして最大の労力と工夫を注ぎ込める人にこそ、本当に面白い作品が書けるのだろうと思います。




