『創作のお話』より 第二十四回 思い付きと具体化
この文章はエッセイです。
私は小説も書いています。
エッセイと小説の違いはどこにあると思いますか。
それは、既に知っていることを書くか、新しいことを考え出さなければならないかだと思います。
エッセイはしばしば知識や筆者の体験から語り始めます。これは自分が生み出したものではありません。
また、それらをもとにした考察も既に頭の中に存在するものです。
はっきり言葉にしてはいなかったけれど普段からぼんやりと考えていたことだったり、何かをきっかけに思い付いたことだったりします。
題材を与えられてその場で書いた場合でも、全く新しい考えが急に湧いてくることは多くないと思います。
このように、文章自体はその場で組み立てますが、大まかな内容は書き出す前に既にできています。
これに比べて、小説は書こうと思った時点ではほとんど何も決まっていません。
意欲のもとになったアイデアはあるかも知れませんが、それだけでは作品を書き上げるには到底足りません。
特に長編小説には多くのアイデアが必要です。本一冊分の内容を創り出す必要があります。
まず、物語の発想自体がアイデアです。テーマやどういうストーリーにするかを決めなければ物語は始まりません。
次に設定です。
登場人物の生き方や考え方は独自のものを考えないと、本当によい作品にはなりません。
政治や社会の制度、地理、人々の暮らしぶりも、相当頭を絞らないと個性を出すのは難しいです。
更に、起こす出来事も、その物語にふさわしくて面白いものを考え出さなくてはなりません。
目指す結末を実現するにはクライマックスに工夫が必要ですし、どんでん返しを仕込みたいなら効果的にする方法も考えます。
このように、小説は様々なアイデアの集合体です。
ここを怠けて、ほとんどを他の作者からの借用や既存のものですませる場合、オリジナリティーに乏しくなることを覚悟する必要があります。
頭を使うのを嫌がる人に、よい小説は書けません。
では、アイデアはどうやって出したらよいのでしょうか。
小説に必要なアイデアを大きく三つに分けて考えます。
一つ目は、「こういう物語が書きたい!」「こういう人物を書きたい!」といった欲求に基づくものです。
物語の根幹をなすもので、テーマやあらすじのもとになります。
こういったアイデアは、思い付くのを待つか、自分の心に問うしかありません。
ひねり出すものではなく、探し出すものです。今までの人生や読書経験の中で、心の奥や思い出の底に、いつの間にか芽生えています。
これを自分で見付けられない人は、そもそも小説を書こうと思わないか、型にはまったつまらないものしか書けません。はっきり言いますと、小説書きに向いていません。
この種のアイデアを得るには視点が必要です。
自分なりの物の見方や問題意識があれば、日々の出来事や体験、創作物やテレビのニュースなどから、様々なことを考え思い付くことができます。
そのためには物事を常識やよくある解釈で分かった気持ちにならず、自分の目と頭でじっくり考える癖をつける必要があります。
二つ目は、人物や世界の設定、起こす出来事などです。
これは、その人の趣味や嗜好、興味や得意分野が物を言います。
つまり、「こういうのが好きなんです!」を突き詰めていく作業になります。
一作に全てを盛り込むことはできませんし、何でも詰め込めばよいわけではありません。
好きなことならいろいろと連想が広がるでしょうから、それを取捨選択し、物語に合った形に加工していきます。
重要でない部分は借用も可能です。少し形を変えるなどして、ただのまねにならないようにした方がよいですが、そこでも趣味が生きます。
コツとしては、物語世界全体のバランスをとることを考えると、決めやすくなります。
三つ目は、物語の筋を考えていった結果、場面の記述にどうしても必要になるアイデアです。
例えば、戦記なら戦闘場面は必ずあります。
敵との最終決戦は味方が非常に不利だが奇策で勝利すると決めた場合、奇策の中身が必要になります。
ここで語ろうとしているのは、こういうアイデアの出し方です。
三つ目の種類のものは、二つの対処法があります。
まず、アイデアを出さずにすます方法です。
知識を使います。
例えば、死体があったが解剖しても何も出なかったと書きたいとします。こういう時、そういう毒はないか探す、というやり方です。
戦闘場面の場合は、歴史上の有名な戦いを調べて展開や作戦を借用します。もちろん、自作に合った形に加工する必要があります。
自分で考えたことではなく、探して見付かるのですから知っている人は知っているのですが、多くの人が知らないものなら驚いてくれて、アイデアのかわりになります。
これが無理もしくは嫌なら考え出すしかありません。
この場合、じっくりと少しずつ論理的に思考を進めるのが思い付く近道です。
論理のよいところは、天才性や偶然を必要とせず、時間をかければ大抵は結論が出るところです。
さて、思考は三段階で行います。
第一段階は、アイデアの必要な場面と種類の決定です。
アイデアは基本的に、その物語、その場面のためのものです。
どういう驚きを与えたいか、どんな展開が必要かに合わせて用意します。
合戦なら、双方の兵力、どちらが勝つか、辛勝か圧勝か苦戦して逆転か、誰がどんな活躍をするか、戦いの結果の影響などを決めてから、それを実現する作戦を考えます。
漠然とよいアイデアはないかと考えるのは暇な時ならよいですが、執筆に際しては時間の無駄です。
ですので、どこにどういうアイデアが必要なのかを絞り込み、そのアイデアを受けての展開も大体目途を付けておきます。
そのためにはプロットが必要です。物語の流れや結末、各場面の目的が決まっていなければなりません。
使い道が決まれば評価基準ができます。
天才軍師の考えなら読者を感心させる必要があります。凡人の作戦ならちょっとひねってあるくらいで充分で、あまり突飛だとかえっておかしくなります。
例えば、温泉に入っている時に排水口に引き込まれて異世界に飛ばされたことにしようと考えたとします。
このアイデア自体は非常に陳腐です。
しかし、飛ばされた先が、住民は全て裸の世界だったらどうでしょうか。もしくは、裸では非常にまずい場所だったらどうでしょうか。科学的で理論的な転移方法よりも、面白くなりそうに思いませんか。
こういう判断は、物語の流れや場面のイメージがあるからできるのです。ここが曖昧だと、アイデアが浮かんでも上手く使えないかも知れません。
第二段階で、いよいよ具体的なアイデアを出します。
拙作『花の戦記』の光姫の戦い方を例に挙げます。
彼女は十八歳の女性です。
一手の大将で、馬で突撃の先頭に立って、敵を次々に倒していく姿を書きたいです。
早速問題が出てきました。
女性は腕力や体力で男性に勝てません。馬や武器がすぐれていたとしても、一騎打ちで斬り合って勝つのはかなり難しいでしょう。ましてや、「次々に倒していく」のは不可能です。高名な美女という設定なので、筋肉むきむきの大女にはしたくありません。
非力な女性でも敵を倒せる武器はないでしょうか。
あります。飛び道具です。弓矢や鉄砲です。
どちらがよいでしょうか。
鉄砲はこの世界では火縄銃なので、弾込めの問題があります。馬上ではやりにくいですし、連射もできません。大将が一発撃つたびに馬を下りて弾込めなんて様になりません。
お供の者にさせる手もありますが、それでもかなりの手間ですし、毎回「新しい銃を受け取った」などと書かなくてはなりません。
その点、弓なら矢をたくさん持てばよく、腕のよい人なら連射してもおかしくありません。強弓を引くには腕力がいりますが、接近して放てばよいのです。
ところが、ここでまた問題が発生しました。どうやって敵に当てるかです。
動く的は当てにくいです。しかも、光姫は馬に乗っています。自分が移動しつつ動く敵に命中させるのは大変困難です。
そこで、光姫か敵か、一方を止めようと考えました。
どちらをと言えば、それは敵でしょう。大将が戦場で止まって矢を射ていたら、敵にねらわれます。光姫には馬で駆け回りながら矢を連射して欲しいです。
ですから、止まるのは敵です。流鏑馬の要領で、そばを駆け抜けながら敵を射抜く姿を想像しました。
では、どうやって敵を止めましょうか。
敵兵か馬のどちらかが止まらざるを得ない状況を作ればよいのです。
それぞれの弱点を考えました。
「次々と」のためには、手軽で繰り返し使える方法でなくてはなりません。
その結果、詳しくは書きませんが、光姫に狼を同行させることにしました。
こうして、大きな狼を連れた美しい姫武将が誕生しました。
当初の予定では段落一つ分程度の記述で終わる小さなアイデアのつもりだったのですが、光姫の見せ場が必要になって一騎打ちで使いました。
もう一つ例を挙げます。『狼達の花宴 ~大軍師物語~』の第一話からです。
クライマックスの合戦で、菊次郎は奇策を使います。
この奇策にはいつくか条件がありました。
一つ目は、読者が大軍師らしいと思う奇策であること。
二つ目は、接近してくる敵を通さなければよく、殺したり打ち破ったりする必要はないこと。
三つ目は、その場で思い付くため、事前に準備や仕込みができないこと。
さて、ここで注目したのが二つの目条件でした。
細い道を進んでくる敵の多くは同じ家中の者達です。
合戦が主人公たちの勝利に終われば、帰順して味方になります。
つまり、戦後のことを考えれば、できるだけ殺したり傷付けたりしない方がよいのです。
論理的に考えていきましょう。
敵を殺さずに弱らせたい時、何を使いますか。
そう、催涙ガスです。
ただし、物語の舞台は日本の戦国時代によく似た文化です。
化学工場で合成するのは無理ですし、そんな準備も時間の余裕もありません。
では、自然界にそういう効果を持つものはないでしょうか。
その場にたまたまあっても不自然ではなく、簡単に利用できるものです。
偶然ですが、ちょうど季節は春でした。
それで、ああいう作戦になりました。
ただ、それだけだとやや弱く、都合よく進みすぎる印象があるかも知れませんので、他にもいくつかアイデアをくっつけました。
結果、十分奇策と呼べて、面白いだろうと判断し、採用しました。
このように、考えを少しずつ進めていくのです。
新しい問題が生まれるたびに、その解決法を常識的に考えていきます。
こういう論理性が、アイデアを説得力のあるものにします。
この時、それまでの読書や人生経験が生きてきます。
光姫の戦い方は、流鏑馬が行われる様子をテレビで見た記憶があったから思い付いたのです。
ヒントになる材料をたくさん知っていると、新しいアイデアが浮かびやすくなります。
最後に、第三段階です。そのアイデアを、他の要素にも応用するのです。
『花の戦記』では、狼を出すことに決めたので、国を狼の形にしました。国名も「吼える狼の国」で吼狼国です。
実は、国内の各地域の位置を読者に伝えるのはかなり難しいと考えていました。
地球のどこかがモデルなら分かりやすいですが、そうでないといちいち説明するか、添付の地図を見返してもらわないといけません。
全体が横たわった狼の形なら、首の国、尾の国、手の国と書けば、大体の位置は分かります。
更に、どうして狼の形なのかを説明するために、吼狼国の建国神話を作り、宗教も決まりました。
合戦でも狼を使った作戦を考えました。
このように、一つのアイデアが決まると、様々なことに応用できます。
これなら考えやすいですし、世界に統一感を出すこともできます。
プロット作りとは、こういう作業の繰り返しです。
大変ですが、ここで手を抜くと後で苦しくなります。
大作を書ける人は、これを楽しんで徹底的にやれる人だろうと思います。




