『創作のお話』より 第二十二回 心の視界と過去
これ以降の回は、以前公表していたエッセイ『創作のお話』から選び、手を加えたものです。
蜜蜂という昆虫がいます。
花の蜜を集めて巣に運びます。
どうやって花を見付けているか、知っていますか。
蜜蜂の目は、人間には見えない紫外線を見ることができます。
蜜蜂が集まる花は、花の周辺部分が紫外線を反射します。中心の花粉や蜜のある部分は紫外線を吸収します。
蜜蜂は紫外線の反射で明るく輝いて目立っている花を見付けて飛んできます。近くへ来たら、反射しない暗い部分を目がけて降りるのだそうです。
人間には黄色一色に見える花が、蜜蜂には二色に見えます。
同じ景色が、他の動物の目には違って映っているのです。
実は、これと同じことが人間関係でも起こります。
拙作『狼達の花宴』の登場人物、菊次郎・直春・忠賢・田鶴の四人を例に挙げます。
菊次郎は軍学塾の居候で衣食住に不自由はありませんでした。直春・忠賢・田鶴の三人はお金を稼ぎながら旅をしていました。
三人には当たり前のことが、菊次郎には分からない場合があります。
また、忠賢は戦場に出たことがあり、直春も用心棒をしていました。命のやり取りの経験がある二人は、互いの実力を認め合っています。
田鶴も武芸ができるので、ほとんどできない菊次郎より二人の話を実感として理解できます。
一方、田鶴は女の子でまだ十三歳なので、他の三人とは感覚が少し違います。
直春や忠賢には分かる菊次郎の気持ちが分からなかったりします。
半面、年の近い菊次郎と通じ合える部分もあります。
やや年上の直春と忠賢は、そんな二人を温かく見守っています。
このように、登場人物達には、それぞれ分かることと分からないことがあります。
色にたとえると、「三人は赤が見えるが一人は見えない」とか、「二人は青が見えず、そのうち一人は紫外線が見える」といった違いになります。
ある登場人物には一色に見える花が、別の登場人物には二色や三色に見えています。
いわば、登場人物一人一人が違う視界を持っていて、その人にしか見えない世界を生きているのです。
「キャラクターが立つ」という言葉があります。
その登場人物の個性が際立っているという意味です。
能力・活躍・発言など、物語の中で読者に強い印象を残すことに成功した時に言われます。
分かりやすいところでは、外面の印象が挙げられます。
強面で腕が立ちそう、穏やかでやさしそう、線が細くて荒事は苦手そう、弁が立って頭がよさそう、純真で素直そう、腹黒く意地悪そう、内気で不器用そう、いつも元気で明るいが何かを隠していそう、といった主人公や語り手が説明する印象です。
もちろん、これはとても大切ですが、もう一つ重要な要素があります。
それは「心の視界」です。
主人公から相手がどう見えるかを書く一方、相手が主人公をどう見ているか、向こうの態度や表情、言葉から分かるようにするのです。
他の人物や仲間達に対しても、どう評価していて、どういう感情を抱いているのかが読者に伝わるように書きます。
これをしないと、キャラクターが本当の意味で立ちません。
この時、注意することが一つあります。
作者には全てが見えていても、登場人物達はそうではないことです。
例えば、主人公が二人の異性に惚れられている場合、一方の気持ちは察していても、もう一方は上手く隠しているので知らない、といったことです。
読者には分かりますが、視点人物は気付かないことで、やきもきさせたり、相手の異性に同情させたりできます。
他の登場人物は、主人公達の関係を面白がったり、可哀想に思ったり、自分がその異性を好きなので複雑な気持ちだったりし、そういう彼等をまた他の人物が眺めていたりします。
登場人物同士の会話や集団での行動を書く時は、彼等のそれぞれが、どこまで分かっていて、どこから分かっていないかを意識する必要があります。
視界は、年齢・性別・職業・身分・立場・能力・知識・頭の良さ・興味の方向・性格といったもので変わります。
この結果、思い付くこと・気が付くこと・全く頭に浮かばないこと・することやしないことも違ってきます。
言葉で言わなくても伝わる関係・決して分かり合えない敵同士といったものは、この視界の違いが引き起こします。
人間関係はそうした視界の交錯の上に生まれるものなのです。
視界とは、その人物の物の見方や考え方の表れで、人柄や個性そのものと言えます。
ある登場人物をしっかりイメージできるということは、その人物の視界を作者や読者が感じ取れたということなのです。
多くの登場人物を描き分けることの難しさは、ここに起因しています。
では、登場人物達の視界の違いを、作者はどうやって理解したらよいのでしょうか。
その年齢や職業の人の気持ちになってみればよいのですが、手掛かりもなく想像するのは難しいです。
まして、五人十人となると、うまくイメージできないかも知れません。
そこで、重要になるのが登場人物の過去です。
その人物の価値観や考え方に決定的な影響を与えた出来事や人物や言葉を設定するのです。
人は過去の経験に縛られます。
大きな出来事の場合、トラウマになっていることもあります。
その人物がなぜそういう考えを持つに至ったのか、何を体験し感じ考え決意したのかを想像しておきます。
主君に命を懸けて忠誠を尽くす騎士は、なぜそうするようになったのですか。
恋に臆病で迫られてもはぐらかす人物は、過去にどんな体験をしたのですか。
姫君が腹黒く陰湿な性格になったのは、どんな出来事がきっかけだったのですか。
自分と違う個性の人物を漠然とイメージするよりも、事件や家族や友人や師匠を決める方がずっと楽です。
物語の中でなぜそういう行動や判断をしたのか、説明できる根拠を作っておくのです。
ここが決まると、登場人物に根っこができます。
設定がただ張り付けただけのものでなく、登場人物の一部になって、彼等の願いや喜びや苦しみを実感を持って書けます。
過去を作る過程で具体的なことがいくつも決まっているはずなので、それを元にイメージを膨らませれば、性格や言動がぶれることも防げます。
それぞれの登場人物を誰よりも分かっているのは作者です。
その個性を描き出し、魅力を伝えられるのも、作者だけです。
主要人物達にいかにもその人らしい発想や行動や発言が書かれ、それらが上手くからみ合って話が進んでいく作品には、作者の情熱と愛情を感じます。




