言わぬが花 第二十回 行動と共感
私は架空歴史小説を書いています。
このジャンルの作品の多くと同じように、戦争を扱っています。
そうした小説では、軍隊の行動がしばしば記述されます。
太鼓の音に合わせて前進した、一斉に矢を射た、盾を構えた、騎馬隊が突撃したなどはよく使います。
こうした記述をする時、大切なことがあります。
それについて書こうと思います。
さて、次の文を読んで下さい。
俺は腕を振り上げた。
俺は腕を下ろした。
面白いと思いましたか。
きっと違いますね。
ただの「事実の羅列」だからです。
では、これはどうでしょうか。
俺は腕を振り上げた。
「てめえ、俺の妹の顔を殴りやがったな!」
「お兄ちゃん、待って! これは私が悪かったの!」
妹は慌てて事情を説明した。
「ちっ、そういうことかよ。早く言えよ」
俺は腕を下ろした。
少しは面白くなったと思います。
腕を上げる・下ろすという動きに意味が生まれました。
単なる動作ではなくなり、「俺」の気持ちが推測できます。
すると、読者の頭には感想が浮かびます。
「俺」は妹思いだね。
「俺」は頭に血が上りやすいなあ。
慌てて殴らなくてよかったね。
妹は焦ったよね。
渋々下ろしたけれど、怒りのやり場がなくて、その辺の壁でも殴りたいんだろうなあ。
ストーリーや登場人物たちに興味を持ち、理解したのです。
そうなると、物語を追いかけることが面白くなります。
読むとは、このように文章の内容に何かを感じ考え続けることです。
これが、小説の文章の書き方の基本です。
記述や描写は、単に事実を伝えればよいのではありません。
読者に働きかける必要があります。
心を揺さぶり、喜ばせ、笑わせ、悲しませ、問いかけ、考えさせなくてはいけません。
読者を共感させ、感情・感想・感興といった反応を引き出す書き方が必要です。
それがよい文章であり、よい小説です。
そして、これは、戦争物の難しさの理由でもあります。
また例を挙げます。
「ありがとう」
彼女は微笑んだ。
彼は顔を真っ赤にした。
このように、追いかけるのが登場人物なら、読者は自然とその気持ちを想像し、共感したり批判したり、面白がったり不愉快に感じたりします。
しかし、次はどうでしょうか。
合図の銅鑼が鳴り響き、一万の軍勢は前進を開始した。
対する敵軍一万も、こちらに向かって動き出した。
兵士たちの気持ちが想像できましたか。
指揮官が何を考えているか分かりますか。
恐らく、難しいだろうと思います。
単に表面的な事実を述べているだけで、心情を想像する材料がないからです。
この例の通り、軍隊の動きから思考や感情を読み取るのはかなり難しいです。
人物なら表情や発言や身振りで表現できますが、大砲を打った、軍船が帆を上げたといった記述では、そうしたことは伝わりません。
仮面をかぶって無言の人の気持ちを、動作だけで描こうとするようなものです。
このため、戦争物の小説では、味方や敵の行動の意図や込められた感情を解説する必要があります。
敵の混乱を見て一気に勝負をつけようと突撃したのなら、どのような結果になるか読者はどきどきします。
仲間が危機にあり、救おうと矢を放ったのなら、読者は仲間を思う気持ちに共感し、助かって欲しいと願います。
小説は、心情が想像できて読者の感興を引き起こすように、ストーリーや記述を工夫しなければなりません。
こうしたドキドキや共感をドラマといいます。
第十三回で書きましたが、戦いにはドラマが必要なのです。
とりわけ、登場人物を丁寧に描くことは重要です。
意気込みや恐怖や怒りといった戦いに臨む気持ち、戦わなくてはいけない事情や背景をきちんと伝えなくては、戦闘場面が盛り上がりません。
戦争物の小説はしばしば三人称で書かれ、視点移動して敵側の将軍の発言や表情や思考を描写し、戦っている兵士たちの気持ちを描きます。
このように、ただ事実を伝えたり事態の経過を並べたりするだけの説明的な記述は、基本的に面白くありません。
作者はいろいろ分かっているのでつまらないと感じませんが、読者は退屈します。
作者の都合でそういうものを読ませてはいけません。
読者が知りたいこと、読みたいもの、興味を持つことを書かなくてはなりません。
事実を伝える時は、興味を引くように、面白く感じるように書く必要があります。
では、どうすれば読者の興味を引く記述になるのでしょうか。
それは目的を明示することです。
単に動きや事実を描くのではなく、その行動が何のためなのか、何を意図しているのか分かるようにするのです。
目的とは意志であり、感情です。
登場人物の行動には必ず目的や意味があります。
何も目的がないのに旅に出る人はいません。
何の意味もなく笑う人はいません。
その意味や目的を察するから、共感したり批判したりできるのです。
ですから、軍隊の行動や、戦闘時などの身体の動き、武器を使った動作にも、全て読者に分かる理由を設けなくてはなりません。
軍勢が前進するなら、そう命じた人には目的があるはずです。
刀を振り上げたら、何か意図があるはずです。
それを読者に伝えるのです。
言葉ではっきり書くかどうかは場合によりますが、目的や意味が推測できない記述があってはいけません。
伏線など意図やねらいをわざと隠す場合も、その場面の流れの中で不自然にならないような仮の意味を与えておきます。
こうしたことは、各人物や部隊の行動だけではありません。
そもそも戦争には目的が必要です。
『孫子』という兵法書にこう書かれています。
百戦して百勝するのは最善ではない。
負けてもよいという意味ではありません。
戦わずに勝つのが最上ということです。
戦えば兵士が死にます。
城は崩れ、町は壊れ、田畑は荒れ、生産力は低下します。
元に戻すには多額の費用と長い時間がかかります。
しかし、交渉で屈服させれば、味方に損害は出ず、ねらった土地や町を無傷で手に入れられます。
戦わないで勝つ方法をまず考えるべきで、戦いは常に次善の策なのです。
実際、戦記物では政略や謀略によって問題を解決する政治家や軍師も登場します。
相手国を経済的に締め上げたり、外交で孤立させて弱らせたり、恐ろしい破壊力を持つ兵器を作って降参させたりする物語も珍しくありません。
重要人物を暗殺したり味方に引き入れたりすることで、敵国に戦争開始を断念させることもできます。
これらが不可能であると示して、戦わざるを得ないことを読者に納得させなければ、戦いを始められません。
もちろん、戦記物の読者は戦いを期待しています。
このジャンルの作品を書く以上、戦闘を入れなければ読者はがっかりします。
面白い戦いを書かなくてはいけません。
ですが、戦いを成り立たせるには、まず、なぜ戦うのかを設定しなければならないのです。
つまり、戦いが勃発した背景の説明が避けられません。
それを知ってこそ、登場人物達の行動や発言や打った手の意味を読者は味わえるのです。
ゆえに、戦争物の作品は、いきなり派手なアクションや戦闘から始めることは難しく、各陣営の人物や国力などを紹介してから戦いに移ることが多いです。
戦闘場面から始めた場合も、少し書いたら一時中断して、なぜ両軍がここで衝突しているのかを伝えなくてはなりません。
しかも、戦いの背景の説明は事実の羅列です。
読者の興味を引いて物語に誘い込みたい冒頭にそれを置かなくてはならないという難しさがこのジャンルにはあります。
そして、個別の戦闘にも目的があります。
拠点防衛、征服や占領、敵軍の兵力を減らす、追い返す、時間稼ぎ、できるだけ損害を抑えて撤退するなど様々です。
これが提示され、それに従って各部隊が行動することで、戦いの流れを理解できるようになります。
物語の登場人物たちは、それぞれ恋や友情や欲望といった動機で動いていて、発言や行動には意味がありますが、それと同じようにするのです。
スポーツ物の場合、試合をするのは当たり前のことと見なされます。
なぜ恋をするのかと問われることはあまりありません。
しかし、戦争を始めるには理由が不可欠なのです。
ところで、戦争物で、戦闘の勝敗は何によって決まるのでしょうか。
兵力ですか。地形ですか。作戦ですか。指揮官の能力ですか。兵器の性能ですか。
答えは簡単、ストーリー上の都合です。
作者が勝たせたいと思えば、一万対百万でも一万が勝ちます。
合戦の部隊の動きなどの記述は、それを読者に納得させるために用意されます。
もちろん、楽しませるためでもあります。
では、どうすれば戦闘の経過や結果に説得力を与えられるのでしょうか。
この答えも同じです。
目的を明示するのです。
両軍の作戦や行動は目的の実現のためにあります。
行動や手段が目的と合っていて見事達成されれば、読者はそういう結果になったことに頷きます。
このように、目的と意味の明示は非常に重要です。
そして、それらは作品のテーマや作者が書きたいことと深く関係しています。
何のためにその記述があるのかを意識していれば、自然と全てのことに意味や伝えたいものが宿るでしょう。
笑える会話や読んでいてつっこみたくなるような記述、散りばめられたギャグ、美しくはっとするような言葉の使い方なども、感情に訴えかけてきます。
そういった心を動かし続けるような文章や描写が、物語を面白くするのです。




