言わぬが花 第二回 形式感の必要性
突然ですが、赤・青・黄色の線を思い浮かべて下さい。
それを二回ずつ使って六本線のしま模様を作って下さい。
はい、できましたか。
どういうものになったでしょうか。
恐らく、同じ色同士をくっつけた人はほとんどいないと思います。
そうすると二本分の太い線になってしまい、六本の線になりません。
三色をまず並べて、その順番をもう一度繰り返して六本にした人が最も多いのではないでしょうか。
同じ色はくっつけない。
同じ順番を二回繰り返す。
これこそが形式感です。
人はこうした規則のある並び方を美しい、好ましいと思うものなのです。
雄大な山並みや寄せては返す波にさえ、無意識のうちに一定の規則や流れを読み取ろうとします。
無作為に適当に並べたものは不安定な感じがします。
人は理由や意味を求める生き物だからです。
これが分かりやすく表われるのが音楽です。
音楽には一定の形式があります。
思い付いた順番にメロディーをただつなげても、人の心は打ちません。
流れを感じて乗れないと、ただ音の切れはしが次々に現れるようで、曲の面白さは分かりません。
初めて聴いた時は理解できなかった曲も、繰り返し聴くとよさが分かってくるのは、これが理由です。
同様に、小説や論説文など、文章にも形式があります。
読んでいて心地よい物語を作ろうと思うなら、形式感は必要です。
こう言いますと、起承転結や序破急を思い浮かべる人が多いと思います。
これは少し違います。
大切なのは意味や理由があることで、既存の形式を使っていることではありません。
では、意味や理由とは何でしょうか。
それは、書き手の意図です。
なぜここにこれが書かれているのか、どうして内容をこういう並べ方・書き方にしたのかが伝わってくることです。
小説を読んでいて、もっと続くと思っていたらいきなり終わってしまったと感じることがあります。
内容に形式やお話の持って行き方が合っておらず、各部分の位置付けを誤って受け取ってしまったのです。
逆に、とてもすっきりと整った作品と感じることもあります。
そういう場合、作者は必ず全体の構成を考えながら書いています。
つまり、思い付くままに適当に書いてはいけないのです。
ストーリーに秩序と予定された流れがあり、この部分にはこう書いた理由があるのだと感じられることで、読者は安心し、物語が安定します。
なぜあの場面の次にこの場面が来るのか。
なぜあの人物がここで出てくるのか。
どうしてあの過去の出来事を語ったのか。
その場面を読んでいる時点では不明でもかまいません。
それでも、前後のつながりと流れが感じられる必要があります。
この場面、この文は読む必要があり、理解する意味があるのだと感じられなくてはいけません。
そして、先を読んだら、読み終わってから振り返ったら、「なるほど、そういう流れだったのか」と納得できなくてはいけません。
これを読者にわざとはっきり見せたものが、いわゆる伏線や布石とその回収です。
そして、前に進んでいる感じが大切です。
列車が駅を通過するたびに目的地に近付くように、エピソードや場面を重ねるごとに結末へ向かっていると感じることです。
意図を持って書いていることが伝わるなら、既存の形式と違っていても、読者が不安になることはありません。
ですが、多くの読者に読んでもらいたいなら、既存の形式を使うのは手堅いと思います。
物語には計画的な構成が必要です。
そのためには、あらすじが決まっていないといけません。
つまり、プロットです。
先の見通しを持ち、終わらせ方を用意し、そこまでどうやって持っていくかを決めていたかどうか。
これはきっと読者に伝わると思います。